
Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由
FC町田ゼルビア ドレシェヴィッチ インタビュー 中編
FC町田ゼルビアのDFドレシェヴィッチにインタビュー。ここでは少年時代のストリートサッカーやコソボ代表を選択した経緯など、自身のこれまでのサッカー人生を語ってくれた。
前編「ドレシェヴィッチが語るJリーグと日本での生活」>>
後編「ドレシェヴィッチが明かすシーズン中の断食期間」(4月12日掲載)>>
【少年時代のアイドルはネイマール】
バルカン半島にルーツを持つスウェーデン出身のフットボーラーと言えば、真っ先にこの名前が浮かぶ。
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ズラタン・イブラヒモビッチ――インテルやミラン、パリ・サンジェルマンなどで活躍し、スウェーデン代表でキャプテンを務めた大型ストライカーだ。似た出自を持つレジェンドのことを、イブラヒム・ドレシェヴィッチは尊敬している。
「大好きだよ。偉大なキャリアを築いた真のレジェンドだ。気が強く、タフなパーソナリティーもいいと思う。もちろん、パフォーマンスもすごかった」
とはいえ、少年時代の彼のアイドルはまた違ったタイプの選手だったという。まずは身近なロールモデル、兄を慕ってボールを蹴り始め、彼と同じ守備のポジションに就いたが、観戦するのは自分には真似ができないほどのスキルを持つ選手だった。
「一番のお気に入りはネイマール。驚くようなプレーをする選手だから、見ていて楽しかった。僕はあまりフットボールを見ないけど、せっかく見る時は楽しみたいんだ。DFなら、チアゴ・シウバだね。センターバックながら、ブラジル人らしいテクニックに魅了されたよ」
ピッチ上のドレシェヴィッチを見ていると、そのような趣向にも納得できる。大きな体躯を脱力させ、軽快かつしなやかに動かし、来たボールを跳ね返すだけのようなプレーはあまりしない。マイボールの時は、前方にスペースがあれば自ら持ち上がり、相手がプレスにくれば、引きつけてパスを出す。
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「もちろんDFなので、失点をしないことが大切だと考えているけど、なるべくフットボールをプレーしようと考えている。できるかぎり、ただロングボールを蹴るようなことはせず、チームにとって最適な選択をするように心がけているんだ。それが僕のプレースタイルだからね」
【ストリートフットボールの賜物】
それはイブラヒモビッチと同じように、ドレシェヴィッチもスウェーデンの移民街のストリートで身につけたものだという。
「間違いなく、ストリートフットボールの賜物だ。僕は少年の頃、放課後はいつも友だちと暗くなるまで通りでボールを蹴っていた。休みの日は朝から晩まで。僕が暮らしていたのは、戦火などを逃れて移ってきた家族やその子どもたちが住む移民街だった。そこで少年たちはフットボールやフットサルに明け暮れていたよ。
ストリートでは、色んなことを学んだ。プロのフットボーラーになるには、基本的なことを備えるだけでは足りない。ピッチ上で違いを生み出す必要があり、そのためにはイマジネーションが不可欠だ。僕はそうしたものをストリートで身につけた。そこでは何度ミスをしても、叱られるようなことはない。だからクリエイティブになれるし、相手を欺くようなテクニックや駆け引きも習得できた」
そんな風に守備者としての素養を育んできたドレシェヴィッチは現在、FC町田ゼルビアで国籍の違う仲間に指示を出している。町田のようにプレスを生命線とするチームにとって、フリーになった相手やスペースがあれば、すかさずチャージしたり埋めたりすることが重要だ。そのためには、視野が確保できている後方からのコーチングがカギになる。
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インタビューに英語で受け応えするドレシェヴィッチは、そのほかにスウェーデン語、ボスニア語、そしてオランダ語を少し話すという。イブラヒモビッチ――スウェーデン語、ボスニア語、英語、イタリア語の流暢な話者だ――と同じマルチリンガルだ。日本語については「チョット、チョット」とビギナーレベルのようだが、実際にチームメイトに指示を送る際は、どうしているのだろうか。
「チームメイトのなかには英語を理解する選手も少しいるので、英語を使うこともあるけど、そうでない場合は覚えた日本語を使う。右、左、前、後ろといった基本的な単語だよ。僕はあまり大きな声を出すほうではないけど、コーチングはチームのためになるので、不可欠な仕事だと思っている」
【自身のルーツの代表を選択】
生まれつき多様な背景を持つドレシェヴィッチにとって、新しい土地やチームへの適応は、さほど難しいことではないのかもしれない。幼少期に親しんだ遊びが職業となり、それによって世界各地で生活できていることは、すばらしい人生と言えるが、そのためにはフットボールの才能だけでなく、向上心や自信、モチベーションが欠かせなかったはずだ。彼がそれらも高く備えていたのは、出生国ではなく、ルーツの代表を選択したことからも推測できる。
「スウェーデンのアンダー世代の代表でプレーしていたけど、A代表からはなかなか声がかからなかった。その頃の僕は、オランダのヘーレンフェーンでレギュラーとなり、毎週のように高いパフォーマンスを披露していたというのにね。僕はとにかく代表チームでプレーすることを目指していたので、スウェーデンが興味を示してこないのであれば、ほかの可能性を探ろうと思い、コソボ代表からの要請に応じたんだ」
コソボの住民の大多数はアルバニア人で、彼の父のルーツを辿ってコソボ代表にデビューした。前述したように、同代表の一員としてイングランドやスペイン、そして出生国スウェーデンらと対戦してきた。最近では日本でも他国にルーツを持つ子どもが少しずつ増え、トップレベルのスポーツのシーンで台頭している選手もいる。極東の島国でも、徐々に多様な社会が広がりつつある。
ただし、宗教上の理由で大きなハンディキャップ――少なくとも外部からはそう見える――を負って、第一線で活躍している選手の存在については、それほど知られていないだろう。ドレシェヴィッチもそのひとりだ。
つづく(4月12日掲載)>>
ドレシェヴィッチ
Ibrahim Drecevic/1997年1月24日生まれ。スウェーデン・リッラ・エデット出身。エルフスボリのユースチームから2016年にトップチームへ。2019年にオランダのフェーレンヘーンへ移籍して活躍。2022年からはトルコのファティ・カラギュムリュクで2シーズンプレー。2024年からFC町田ゼルビアでプレーしている。ユース年代ではスウェーデン代表を選択していたが、A代表では2019年にコソボ代表でのプレーを選んだ。