
2024年3月。ひとりの日本人女性が、フランス・パリで行われる、世界最高峰のファッションショー、通称“パリコレ”の舞台に立ち、堂々とランウェイを歩いた。彼女の名前は斉藤菜桜さん。今年3月に21歳の誕生日を迎えたダウン症のモデルだ。
『ダウン症(ダウン症候群)』は染色体が通常より多くあるために起こる。筋肉の緊張が低く、心身共に発達に遅れがみられるほか、心臓や消化器系、目の疾患、難聴など、さまざまな合併症を伴う場合が多い。
菜桜さんは生まれてすぐにダウン症と診断。体温調節ができずタオルでぐるぐる巻きにされ、ミルクも飲むことができなかった。
「食道がつながっていない、食道閉鎖という合併症でした」(菜桜さんの母・由美さん、 以下同)
菜桜さんはさまざまな手術を受けることに
産院からすぐにこども病院に転院。出産6日目に胃にチューブを入れる胃ろうの手術を行う。2週間目には心臓の手術。その後も目や喉などさまざまな手術を行い、その数は17回を超えた。
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「食道を広げる処置は、今でも定期的に行う必要があって、それも含めると40回以上は手術を受けていますね」
出産直後は菜桜さんがダウン症であることを受け入れられなかったと、由美さん。
「3人目の子どもで安産だったこともあり、まさか、そんなはずはないと泣いてばかり。菜桜に向き合うことができませんでした。そのころの写真は、病院のスタッフが撮ってくださったインスタントカメラでの1枚くらいしかないんです」
ショック状態だった由美さんに変化が訪れたのは、生後2か月のこと。
「抱っこしたら笑ってくれて、初めて愛おしいという感情が芽生えました。でも、それはわが子だからで、ダウン症を受け入れているのとはまた違ったと思います」
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ゆっくりだけれど成長していく菜桜さんとの日々の中で、由美さんの気持ちも変わっていく。「ダウン症じゃなかったら……という気持ちから、菜桜が小学校高学年のころには、生まれ変わっても、ダウン症のこの子を産みたいと思えるようになりました」
菜桜さんのモデルデビューは9歳のころ。日本ダウン症協会のファッションショーに出演したことがきっかけだ。「とても楽しかったらしく、その後も当日の動画を見ては“また、やりたい”と言っていました」
そして、地元の県内で開催される障害者のファッションショーの出演を依頼されたのが14歳。そこで、ウォーキング講師の方と出会い、以後、月2回レッスンに通うことになる。ただ、ダウン症の菜桜さんにとっては、モデルのウォーキングやポージングは困難な動作。
ウォーキングの練習は困難を極めた
「筋力がないので、どうしても猫背になってしまうんです。それでも少しずつよくなっていき、まっすぐに歩けるまで5年かかりました」
時には、由美さんが「もうやめよう」と言うこともあったが、本人が泣きながらも「やる」と言い、家でもウォーキング練習を続けてきた。ひたむきに励んだ自主練が実を結び、各地ショーへの出演や雑誌、テレビなどでも紹介されることが増え、念願のパリコレにまでたどり着いた。
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「たくさんの人たちの縁に支えられたパリコレでした。出演が決まったものの、菜桜のサイズの衣装がなく、急きょ衣装を探すことに。そこで紹介されたのが、成人式の個性的な衣装で知られる、北九州市の貸衣装店『みやび』の店主、池田雅さん。初対面で衣装を無償で提供してくださることになり着付けのためにパリにも同行してくださることに。また、パリへの渡航費、宿泊費などは、クラウドファンディングで300人以上の方に支援していただきました。本当に感謝しています」
菜桜さんが着たのは、和の要素を取り入れた華やかなドレス。
「雅さんが、普段の靴でも歩きやすいように工夫してくれたこともあり、堂々と笑顔で歩くことができました」
しかし、メディアでの露出が増えれば“アンチ”の存在も目につくようになっていく。スケジュール管理やSNSの運用など、マネージャー業務は由美さんがひとりで担っているが、SNSには時に心ないコメントが書き込まれる。多いのは「ダウン症モデル」というネーミングについての意見や“モデルなのに歩けていない”“親のエゴ、見世物にしている”など。
「インスタはあえて“キラキラ”した部分を見せていますが、何度も手術を繰り返したり、レッスンで泣いたりと、見える部分だけじゃない。それゆえ、娘にはネットの書き込みを見せないようにしています。『ダウン症モデル』というネーミングも、ダウン症であるのは事実ですし、モデルを続けるのも本人の希望。嫌だと言えばすぐにやめてもいいと思っているんですけれどね」と由美さんは困惑する。
「アンチは人気がある証拠」「見なければいい」と周囲は言うが、心はナイフで刺されたように傷がつく。
「でも、その傷ついた気持ちをなぐさめてくれるのも、SNSで出会った人たちなんです。アンチコメントについて、悲しい気持ちを発信すると、多くの人が温かいコメントをくれます。そのような人たちのおかげで、今では各地でオフ会も開催できるように。また『菜桜ちゃんを見て自分も夢を叶えたい』と言ってくれた子から、数年後に『夢を叶えました』と、メッセージをもらうこともあり励みになります」
菜桜さんと由美さんの二人三脚の旅路
今後の活動については?「自分がいつまで健康でいられるか不安はあります。今までどおり、菜桜の面倒を私がすべて見られるとは限らない」
実際、由美さんは2年ほど前に、急なめまいで倒れ入院。退院した足で菜桜さんのショーに同行したということもあったそう。
「私が倒れたら菜桜の夢が終わってしまうという気持ち。10歳若かったらと思うこともあります。本当にいつやめてもいいし、のんびりと家族で暮らすのもいいと考えますが、本人がやりたいうちはサポートを続けたいですね」
今年1月には、パリコレと同じく夢だったTGC(東京ガールズコレクション)の舞台に立った。
「緊張で少し猫背に。笑顔もなかったことが悔しかったみたいで、また出たいと言っています。菜桜の目標は、みんなが笑顔になれるモデル。ニューヨークに行きたいとも。ニューヨークがどこかちゃんとわかっていないんですけれどね」と由美さんは笑う。
「願いは口に出すことで叶うと信じているんです」
菜桜さんの天真爛漫な笑顔とともに、夢への二人三脚は、まだまだ続いていく。
取材・文/小林賢恵