避難所の記憶、語り継ぐ=「自ら動いて前向きに」―熊本地震9年

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2025年04月14日 07:01  時事通信社

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時事通信社

取材に応じる吉村静代さん=3月30日、熊本県益城町
 震度7を観測した熊本地震の前震から14日で9年となった。災害関連死を含め45人が亡くなった熊本県益城町で語り部活動を行う吉村静代さん(75)は、さまざまな工夫を凝らしながらつらい避難生活を乗り切った体験などを伝え続けている。「自分から動くことで前向きになる」。能登半島地震の被災地へボランティア活動にたびたび訪れており、被災者支援にも力を入れている。

 2016年4月の被災後、吉村さんが身を寄せた避難所の益城中央小には、車椅子の被災者を含め約400人が詰め掛け、当初は「足の踏み場もなかった」という。

 余震が続く中「このままでは二次災害が起こるかもしれない」と思い立ち、まずは町職員と協力して非常口と避難経路の確保に奔走。高齢者や車椅子の被災者を非常口付近に案内するなどした。

 互いに面識がない人ばかりだったが「トラブルが起きてもみんな帰る場所がない。避難所が生活の場になる」と、小まめな整理整頓や、数少ない掃除用具は融通し合うよう呼び掛け、乳幼児がいる母親には「子どもが泣くのは当たり前」と気を配った。次第に「手伝うよ」と声を掛けてくれる人が増えた。

 発生の約1カ月後、段ボールベッドが届くと、全員総出での設置を提案。余った資材で、喫茶コーナーや子どもの遊び場も設けると、ようやく避難所にも笑みがこぼれるようになったという。

 5月下旬ごろに避難所は自主運営に移行したが、自宅の片付けなどの負担にならないよう、明確な役割分担はしなかった。「できる人ができることをできたしこ(できた分だけ)」を合言葉に、避難所が閉鎖されるまで「楽しい思い出をつくろう」と工夫を凝らし続けた。

 県内最大規模の仮設団地に移ると、吉村さんは自治会長を務めた。被災者の孤立を防ぐため、運動会の開催や、毎朝、玄関先に黄色い旗を掲げて安否確認し合うなどの取り組みを行い、人とのつながりを重視した。

 能登半島地震で大きな被害が出た石川県輪島市などを複数回訪れ、ボランティア活動を続けているという吉村さん。語り部として自身の体験を伝えることが「減災につながる」と信じており、「熊本地震で全国からもらった恩は、次の被災地に『恩送り』する」と力を込めた。 

このニュースに関するつぶやき

  • 関西の某テレビ局が、熊本が地震大混乱でガソリンスタンドに長蛇の列が出来ていたのに「ウリは上級国民ニダ」と割り込んだのも語り継がれるべき。忘れてはいけませんね。
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