スポーツアニメはケレン味で見るか? 日常系で見るか? はたまた“試合時間”の一体感か【藤津亮太のアニメの門V 117回】

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2025年04月14日 18:51  アニメ!アニメ!

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藤津亮太のアニメの門V
4月上旬に発売になる某雑誌の企画で「スポーツを扱ったアニメ・マンガ」というテーマで対談に参加した。今回は、その対談のためにあれこれ考えたことをベースに近年のスポーツアニメについて考えたいと思う。  

スポーツアニメを考えるときの重要なポイントは「競技を描くときのケレンの度合い」だ。物理法則を超越した派手な技を熱く見せるのか、それとも地に足のついた表現の中でその競技の魅力を描き出すのか。
スポーツアニメはマンガ原作が多いから、この「ケレンの度合い」も原作に寄っている。しかし同時にそこは動きと色と音が加わるアニメ化の“伸びしろ”の部分として大切なところでもある。もちろんオリジナル企画の場合であっても、競技シーンをどう見せるかは重要な要素である。大雑把にいうと、スポーツアニメはケレン味が多い作品を中心に広がり、21世紀に入ってからはリアリティに軸足をおいた作品が増えているーーという流れがある。  

近年、なぜか連続して放送されたゴルフを題材にしたアニメは、偶然にもこの「ケレン味の度合い」の違いを比べるためのちょうどいいサンプルになっている。  

一番ケレン味にあふれているのは『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』。本作はBN Pictures制作によるオリジナルアニメで、マフィアが絡んだ「闇ゴルフ」というアイデアが盛り込まれたことからもわかるとおり、本作はかなり振り切った設定で、スーパーショットを打つときには、(ちゃんと)技名を叫ぶ演出もある。  

逆にかなり地に足がついた作品が『オーイ! とんぼ』。こちらはゴルフ雑誌「週刊ゴルフダイジェスト」に長期連載中のマンガで、可能性を秘めた主人公が成長していく様子を丁寧に描いている。もちろん主人公には天賦の才があり、そこがフィクションならではのカタルシスを生み出す源にもなっているのだが、それでもゴルフ描写は『BIRDIE WING』に比べてはるかに“リアル”だ。  

この対照的な2作の関係はそのまま、スポーツアニメの縮図といえる。また少年ジャンプ作品の『ライジングインパクト』は、このふたつの作品の間の“ややケレン寄り”といった立ち位置だろう。  

ゴルフ・アニメでおもしろいのは、この3作品に加えて新たな“第三極”が加わったことだ。その作品は『空色ユーティリティ』。オリジナルアニメの本作は、こちらはあえてジャンルに分類するなら“日常系”に近く、「趣味としてのゴルフ」を扱っている。そのためゴルフの競技としての側面はほぼ登場しない。そういう切り口だから、主人公も劇中でそこまで劇的に上達することはない。「地に足がついている」というならばこれほど「地に足がついている」作品もない。方法論としてはトレッキングの『ヤマノススメ』、キャンプの『ゆるキャン△』、日曜大工の『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』といった作品に連なるものと説明すればわかりやすいだろう。  

ゴルフ・マンガの数に比してゴルフ・アニメの数が少ないのは、おそらくアニメファン受けしそうな主人公の作品が少ないことと、競技が基本的に個人単位のため、「バトル的な見栄えの弱さ」があるからだろう。そこを埋めるにを「ケレンで盛る」方向ではなく、「キャラクターへの愛着」を入口に「勝負ではなく趣味の楽しさに軸足を置く」という方向でアプローチしたのは新鮮だ。このように競技としてではなく趣味としてのスポーツという切り口に注目すれば、このほかにもテニスや草野球などに可能性があるように思う。これは実は「ケレン抑えめでリアルにスポーツを描く」という昨今のアプローチにも合致しやすいという特徴もある。  



スポーツアニメのもうひとつの注目ポイントは「競技の時間」と「登場人物の内面の時間」をどのようにバランスするかだ。  

マンガでは、そのプレイの瞬間を表現する一コマに、登場人物の内面を表現する長いモノローグがついても、そこまで違和感は生まれない。なぜならそうした内面のモノローグは、その瞬間に登場人物が思ったり感じたことを、読者にわかりやすいように言葉の形で展開したものなので、そこに時間は含まれていないのだ。  

しかし、アニメになるとそのモノローグは音声として発せられることになる。そうなると時間がどうしても発生するから、「競技の時間」とモノローグで表現される「内面の時間」の差をどこかでうまく両立させなくてはならなくなる。この課題は『巨人の星』の頃からよく指摘されているスポーツアニメのキーポイントだ。  

具体的には、止め絵もしくはスローモーション(的な表現)を使って、プレイの時間をゆっくりと引き伸ばして描く方法や、プレイとプレイの合間の「間」を使う方法などが使われている。しかし、スポーツのタイプによってこれらの使い方は変わってくる。  

例えば野球はひとつひとつのプレイの独立性が高く、それぞれのプレイの間に「間」が多く挟まれる。このためプレイ中の時間を引き伸ばすだけでなく、随所に「内面の時間」を挟みやすい。  

一方、サッカーやバスケットボールなどは選手が動き続けるスポーツのため「間」はほとんどない。とはいっても時間を引き伸ばしてばかりいると、競技特有のスピード感が薄れてしまう。こうして考えると、しばしばアニメならではの奇妙な描写として『タイガーマスク』のリングや、『キャプテン翼』のグラウンドが“異様に広い”ことが指摘されるが、「プレイを止めずに、登場人物の内面や各種説明伝えるため」だったと考えると、一種の合理的な判断であったことが浮かび上がってくる。  

映画の中でひとつの試合をまるごと描いた『THE FIRST SLUMDANK』と『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』は、どちらも競技の時間のほうにぐっと重心をかけた映画だった。もちろん回想やモノローグなど「内面の時間」も登場するが、そちらはあくまで「従」であって、映画そのものは「競技の時間」の中に観客を巻き込むことを主眼に構成されている。これはここ10年弱で「応援上映」を通じて定着した、「映画館はライブ感を味わう場所である」という楽しみ方とも地続きの方法論でもある。  

ただ、この方法論がとれる作品は案外少ないのも事実。ひとつの試合(勝負)が短いものであれば『メダリスト』のフィギュアスケートように、放送の話数の中でまるまると演技を見せてしまうことも可能ではある。ただフィギュアスケートの大会をまるっと映画でやろうとすると、主人公の登場時間が短すぎる形になってしまう(ただし主人公以外にも人気キャラが大勢いるのであればこの問題はクリアされる)。

また興行として成立するには、観客が最初からその試合を見たいと思っている、ということが必要となる。だからある程度実績を持った作品でないと、わざわざまるまる試合をひとつ分見てみようという気持ちになる人は限られるだろう。  

こうした「競技の時間」中心の作品に対し、「内面の時間」を主に組み立てたのが、サッカーを扱った『ブルーロック VS. U-20 JAPAN』だ。  

『ブルーロック』は個性的なキャラクターたちが己の目的やこだわりをむき出しにぶつかりあうところに作品の魅力がある。だからそれぞれのキャラクターの「内面の時間」に割く時間が必然的に増えていく。本作はその「内面の時間」を表す大量のモノローグに対し、キャラクターたちのプレイをスローモーションでみせる映像を組み合わせた。スローモーションの映像は、動く部分は最低限だが、描きこみと撮影でリッチに仕上げられ、長台詞の間でも十分間が持つようになっている。  

こうして「内面の時間」に多くのカットを割き、キャラクターの感情を圧縮していったその先に、スピード感あふれる動きで描かれる決定的なプレイのシーンが置かれている。この「内面の時間」から「競技の時間」へと切り替わる緩急が、観客に大きなカタルシスを生むことにつながっている。  

これはどれが正解ということはない。作品の持ち味と、見せ方の組み合わせ、そして制作現場のマンパワーをどこに注げば一番いい形になるかということの組み合わせといえる。  

この2つのポイントを頭に入れてみると、さまざまなスポーツがアニメの題材になる可能性を持っていることがわかる。個人的にカーリングやスキージャンプを題材にしたアニメは、なかなかおもしろくなるんじゃないかと思っているが、どうだろうか。





【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。

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