
小笠原茉由さん インタビュー後編
(前編:「ガチ・ドラゴンズ愛」! 期待の新戦力やベテラン勢、根尾昂の起用法などを熱弁した>>)
今年のプロ野球開幕前に開催された、"プロ野球推し"の女性タレントらによる「真剣劇場!ガチトーーク 2025年開幕直前SP」。そのイベントに、中日ファンとして出演した小笠原茉由さんのインタビュー後編は、父・道大氏の知られざるエピソードや、中日ファンになったきっかけなどを聞いた。
【友達から「お父さんの年俸、4億円なの?」と質問も】
――父の道大さんは、日本ハム、巨人、中日の3球団でプレーしましたが、茉由さんはなぜ中日ファンになったのですか?
「私も小さい頃は東京ドームに通っていましたし、父が在籍していた日本ハムや巨人も親しみのある球団ではありますが、2014年に父が中日への移籍を決めたことがチームを応援するきっかけになりました。
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私の家族には巨人ファンが多く、父の中日への移籍が決まった時は、小笠原家の野球熱が一時的に少し冷めたようにも感じました。ただ、私は40歳(当時)になっても新しいチームで挑戦を続けようとする父の勇気に感銘を受けました。そして『今こそ応援しないといけない』という強い気持ちで、中日ファンになったんです。そこから応援を続けて、今年でファン歴11年目ですね」
――道大さんは2度の移籍を経験していますが、移籍先についての家族会議のようなものはあったんですか?
「母には何かしらの相談をしていたかもしれませんが、私たち娘ふたりがいる前で話すことはありませんでした。ただ、2014年の時は球団からの発表がある直前に『ドラゴンズに決まったよ』と報告してもらって。私たちはそれまでと同じように『頑張ってね!』と球場に送り出す日々を過ごすことになりました」
――お父さんの活躍が、茉由さんの生活に影響を与えたこともあるんでしょうか?
「その点では、日本ハムが44年ぶりに日本一になった2006年が、周囲も一番盛り上がっていたように感じます。
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私はまだ小学1年でしたが、父が『北海道を熱い大地にします!』と宣言して、新庄(剛志)さんなどと一緒に日本一を達成するまでのストーリーには心を動かされました。日本一が決まったあとは、学校の先輩たちが次々と私の教室にやってきて、サインを求められたり、なぜか私が胴上げされたりしたので印象に残っています(笑)。
クラスメイトは父のことを知っていましたし、たまに『お父さんの年俸、4億円なの?』と冗談混じりに聞かれることもありましたけどね(苦笑)。ただ、特別に注目されるようなことは少なかったですし、楽しい学生生活を過ごすことができました」
【巨人入団時、ヒゲを剃った父の印象は?】
――道大さんは日本ハムを日本一に導いた2006年オフにFA権を行使し、巨人への移籍を決断しました。トレードマークだったヒゲを剃って臨んだ会見が印象に残っていますが、その姿をどう見ていましたか?
「実は、日本ハムに在籍していた頃も、シーズンオフになるとヒゲを剃っていたんですよ。なので、ヒゲのない父の顔は割と見慣れていて、巨人の入団会見を見た時も不自然さは感じませんでした。でも、ヒゲがあったほうがインパクトがありますよね」
――巨人では「茶髪、長髪、ヒゲ」を禁止していますが、それ以外にもさまざまなルールがあるそうですね。
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「『暗黙の了解』はあったそうです。ある日、ダメージ加工されたジーンズを履いて球場に行ったら、高橋由伸さんに『ガッツさん、それはダメです......』と注意されたそうです。あとは、指定の集合時間の10分前に揃っていないといけないルールもあるので、『時間に対する厳しさを学ぶ機会も多かった』と聞いています」
――茉由さんにとって最も印象的な、お父さんの活躍シーン、名場面といえば?
「私だけではなく、多くのファンの方の記憶にも残っていると思いますが、巨人時代の2013年に日本ハム戦(6月5日・東京ドーム)で放った代打サヨナラ3ランホームランは、絶対に忘れられません。2011年に通称"飛ばないボール"と言われた統一球が導入されてから、父も成績を落としました。骨折などの不運も続いて、2012、13年頃は2軍で調整する日も多くなったんです。
その日の試合は、家族3人で揃ってテレビで見ていましたが、打球がスタンドに入った瞬間、全員で抱き合って涙を流しながら喜びを分かち合いました。家族にとっても本当に大きなホームランでしたし、"最も熱くなれた瞬間"だと思います」
――不振が続いている時、茉由さんやご家族のみなさんはどのように接していたんですか?
「父が現役選手だった頃は、父を鼓舞することが日課になっていました。父が活躍した日は夜更かししてもいいルールだったので、試合を終えて戻ってきた父をみんなで出迎えたり、活躍した試合の翌朝には、テーブルの上に父の活躍が載っているスポーツ紙を並べてみたり。なるべくモチベーションが下がらないような雰囲気作りを心がけていました」
――お父さんは寡黙な印象もありますが、そういったことをされた時にどういった反応があるんですか?
「現役時代の父は口数があまり多くなかったかもしれませんが、新聞を並べた時などは『ありがとう』と言ってくれました。少ない言葉でも、私たちの思いに向き合い、感謝の気持ちを伝えてくれる父だったと思います」
――身体作りにも気を配っていたと思いますが、普段の食生活はいかがでしたか?
「現役時代は牛肉、鶏肉、豚肉など、お肉がたくさん並んでいました。毎朝、父が出かける前に夕食の献立について話し合う時間があって、夕方になると母がそれを調理し始める、といった感じでしたね。あとは、タウリンやリンゴ酢など酸味のある飲み物を作ったりもしました。最近は氷や炭酸の強さにこだわり抜いたハイボールを飲んだりしていますが、飲み物や食に対するこだわりは強いほうかもしれません」
――2015年に現役を引退しましたが、それを伝えられた時のことを聞かせてください。
「家で過ごしている時に父から電話がかかってきて、『今年でやめることにしたから』と伝えられました。私は『父が来年から無職になるんじゃないか......』と不安になり、そのことを尋ねると、『2軍監督のポストを用意してもらったから、心配しないでいいよ』と言ってくれて。そこから自然と涙が溢れてきました。
当時の私は高校2年生で、父の活躍をずっと見てきましたから、その日々が終わってしまうことが信じられませんでしたし、寂しさを感じたことを覚えています。でも、翌年の2016年から2軍監督となり、新しい背番号82を背負う父に、前年と変わらないエールを送り続けました」
――親子で野球談義に花を咲かせることもあるそうですが、家ではどのような会話をしているんですか?
「普段は、自宅で飼っている犬や晩ごはんの話題が多いんですけど、先日は中日の2軍で指導していたライデル・マルティネス投手(現・巨人)の成長を見て、『いいものを持っているとは思っていたけど、まさかここまでになるとは......』と話していました。
ボソボソした口調で私に話しかけてくるので、『それは独りごとなの?』とか、『もしかして私に話しかけている?』みたいなやり取りも珍しくありません。私が小さい頃は、父が自宅にいないことも多くて、出かける前に『頑張ってね』と伝えるくらいしかコミュニケーションが取れていませんでしたけど、今は父が自宅にいる時間が増えてきたこともあって、より仲よく過ごせていると思います」
【プロフィール】
小笠原茉由(おがさわら・まゆ)
1999年、千葉県生まれ。2019年の舞台「永遠の一秒」のヒロイン役でデビュー。 日大芸術学部卒。元プロ野球選手の小笠原道大氏の娘で、熱烈な中日ファンとして知られる。