NPB復帰を目指す倉本寿彦、34歳の今 「挑戦できる環境があること自体、すごく幸せなこと」

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2025年04月19日 10:20  webスポルティーバ

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倉本寿彦インタビュー(後編)

前編:元ベイスターズ倉本寿彦が培った「3ミリの成長」はこちら>>

 昨年からNPBのファームにできた新球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡でプレーする元横浜DeNAベイスターズの倉本寿彦。昨季は開幕から好調で、一時はウエスタン・リーグの首位打者にも名を連ねるほどだった。その好調を支えていたのは、何よりもメンタルの安定だったという。

 とはいえ、シーズン中はいくつも危機があった。なかでも最大のピンチは、4月に負った脇腹の故障だ。症状は重く、復帰の見込みはNPB復帰期限である7月。現実的に考えれば、いくらファームで結果を出していても、ケガから復帰直後のベテラン選手がNPBに戻るのは絶望的だった。ケガをした時点で、気持ちが切れてしまってもおかしくなかった。

【あっ、もうこれはダメだ】

「苦しかったのは事実です。でも、悔しさや焦りのなかで、どこか『やってしまったものは仕方ない』と開き直れた部分があったんです。脇腹の痛みがほんとにひどくて、咳をするだけでも激痛が走る。『あっ、もうこれはダメだ』と、逆に割り切れたのかもしれません。

 でもそれ以上に試合から外れたことで、普段あまり関わることのなかったスタッフや控え選手、ピッチャーたちとコミュニケーションがとれた。その時間が、自分にとってすごく大きかったんですよね。落ち込むどころか、むしろ前向きな気持ちでいることができた」

 以前の倉本は、ネガティブなことに直面すると、自分をギリギリまで追い込む傾向があった。1試合、1打席で結果を出さなければならない立場だったこともあり、余裕を持てず、感情を整理する間もなく、「とにかくがむしゃらにやるしかない」と無理をしてしまう。

 いま振り返れば、そんな自分に「もう少し周りを見てみろよと言えるかもしれないですね」と、倉本は言う。

 離脱中、倉本は試合の間、スコアボードのアウトカウントの操作を任されたこともあった。「えっ?? クラちゃん、何やってんの?」と球団社長が驚いて声をかけてきたほどだ。ケガでベンチを離れているベテランがそこまでやる義務はない。

 しかしスタッフの人数が限られていて、ひとりが何役もこなすハヤテでは、やるべきことが山ほどある。倉本は積極的に手伝いながら、外から試合を見ることで、あらためて支えてくれる多くの人たちの存在に気づいた。

「もし僕ひとりだったら、気持ち的にへこんで、あちこちぶれていたと思います。実際、復帰してすぐの8月は全然打てなくなって、打率も2割8分まで落ちました。体力的にもメンタル的にも踏ん張らなきゃいけない勝負どころだったんです。

 たぶん、僕が少し弱っているのを察したんでしょうね。隣の部屋に住んでいた山下幸輝(DeNA時代の同期で現在はハヤテのコーチ)が『倉本さん、散歩行きましょう』って、部屋から連れ出してくれて。三保の松原を一緒に歩いて、いろいろ話をしました。『次の試合で1本出れば変わる』って思うようにしたんです」

【選手として今が全盛期】

 事実、その言葉どおりの結果となった。

「8月4日の中日戦、第1打席で柳(裕也)投手からセンター前にヒットを打てた。そこから一気に調子が上がって......ほんとに、たった1本のヒットでメンタルって大きく変わるんですよね。僕には家族がいて、応援してくれる人たちがいて、『もう一度、前を向いて頑張れ!』って、いつも背中を押してくれる。それが心の軸になっているから、もう迷いはないんです。

 NPB復帰は、周りから見ればかなり厳しい状況だと思います。でも、僕自身は乗り越えたいし、挑戦したいんです。たった一歩踏み出すだけで、見える世界が変わる。去年、そう実感できたからこそ、今また挑戦しようと思えるんです」

 これまでの野球人生を振り返っても、何度も崖っぷちに立たされながらも、そこから這い上がってきた。15歳で「死ぬほど憧れた」横浜高校の門をくぐるも、1週間で厳しい練習に心が折れた。逃げ出した倉本を、母親は「やると決めたら最後までやりなさい」と諭した。その言葉は今も心の支えになっている。

 プロ入りを目指しながらもなかなか夢が叶わず、迎えた25歳。ラストチャンスと決めたその年に活躍を見て、地元の横浜DeNAベイスターズに入団。憧れの背番号「5」を着けて、ショートのレギュラーを勝ちとった。

 34歳となった今シーズン、倉本は選手として"完熟の時"を迎えようとしている。

「僕自身、選手として今が全盛期だと思ってプレーしています。そう感じられること自体が、いい状態ってことなんでしょうね。オフの間も『早く試合がしたいな』って、うずうずしていましたし、開幕がほんとに楽しみでした。やっぱり、野球が好きなんですよね。できることなら一生やっていたい。

 もちろん、いつかは"究極の選択"をしなきゃいけない時が来るけど、その時にはあえてきついほうを選びたいと思っています。挑戦できる環境があること自体、すごく幸せなこと。1打席1打席を大切にして、目の前のことに全力を注ぎたい」

 3月14日の開幕戦、倉本は今季初ヒットとなる同点タイムリーをセンター前に放ち、ハヤテに開幕戦勝利をもたらした。ヒーローインタビューに呼ばれた"3ミリ"成長したその姿は、やや気恥ずかしそうだったが、それもまたじつに倉本らしい。

 土壇場での粘り強さと、あきらめの悪さ──倉本の真骨頂が、いま静岡の地で輝きを放っている。

倉本寿彦(くらもと・としひこ)/1991年1月7日、神奈川県出身。横浜高から創価大、日本新薬を経て、2014年のドラフトでDeNAから3位指名を受け入団。1年目から開幕スタメンを果たし、3年目には全試合フルイニング出場を果たすなど、不動のレギュラーとして活躍。しかしその後は出場機会を減らし、22年のシーズン終了後に戦力外を受ける。23年は古巣である社会人野球の日本新薬でプレーし、昨年NPBファームの新球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡に入団した。

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