
連載第46回
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回は、去就が話題になっているレアル・マドリードのカルロ・アンチェロッティ監督について。選手としても監督としても「バランスを重視」する姿勢で、数々のタイトル獲得に関わってきました。
【25年前のインタビュー】
欧州チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝でアーセナルに完敗を喫したレアル・マドリード。まだ、他のコンペティションは残っているが、ラ・リーガではバルセロナに4ポイントの差をつけられているのが現状であり、今季無冠に終わる可能性もある。
当然のことながら、カルロ・アンチェロッティ監督の去就についてさまざまな憶測が噴出している。それが、レアル・マドリードというチームの指揮官の宿命なのだろう。
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そして、同時にアンチェロッティ監督にはブラジル代表監督就任という噂も囁かれている。各国のビッグクラブを率いて数多くのタイトルを獲得した65歳のアンチェロッティが、世界的な名将のひとりであることは間違いない。
僕が、そのアンチェロッティにロングインタビューをしたのは今からちょうど25年前の2000年4月のことだった。
当時、アンチェロッティは40歳。現役引退後、イタリア代表でアリゴ・サッキ監督のアシスタントを務め、その後、レッジャーナを率いてセリエA昇格を果たし、パルマをセリエA準優勝に導いた。そうした実績を背負ってアンチェロッティは1998年に、シーズン途中で解任されたマルチェロ・リッピ監督のあとを受けてユベントス監督に就任。僕がインタビューしたのはユーベでの2シーズン目の終盤だった(このシーズンは最終的に2位)。
【選手でも監督でもバランサー】
現役時代にはサッキ監督のミランで頭脳的MFとして活躍したアンチェロッティ。欧州CLを制覇してトヨタカップでも来日したので、日本のファンにとってもお馴染みの選手だった。
ただ、当時のミランではフランコ・バレージやパオロ・マルディーニの守備陣やルート・フリット、マルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトのオランダトリオが脚光を浴びており、バランサー役のアンチェロッティはいささか地味な存在だった。
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1990年イタリアW杯を前にトリノにはスタディオ・デッレ・アルピが完成。2000年当時、ユーベもトリノも試合にはデッレ・アルピを使用しおり、(現在トリノのホームスタジアムである)スタディオ・コムナーレ(現スタディオ・オリンピコ・グランデ・トリノ)がユベントスの練習場として使われていた。
そのスタディオ・コムナーレでの練習のあとにアンチェロッティのインタビューのアポイントを取っていた。「地元テレビの取材後に」というので待っていたら、広報がやって来て「すまん! テレビの取材のあと、監督は帰っちゃったんだ。明日来てくれれば必ずインタビューさせてやるから......」と言うのだ。実にいい加減だ!
しかし、仕方がない。その日の晩には別件があったので、いったん飛行機で宿泊先のローマに戻り、翌日、日帰りで再びトリノに飛ぶことにした。
翌日の練習後、プレハブのクラブハウスで待っていると、トレーニングウェア姿のまま、固定式ポイントのシューズをガチャガチャ言わせながら、アンチェロッティがたったひとりでやって来た。「前日、約束をすっぽかしたので悪い」と思ってくれたからなのか、30分くらいという約束だったが、1時間以上にわたって付き合ってくれた。
今となっては話の内容はよく覚えていないのだが、「前任者のリッピ時代からやり方を大きく変えたりはしなかった」「何事もバランス」「そして、結果が重要」といった話が印象的だった。
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まだ40歳の新進気鋭の指導者である。そういう若手有名監督のなかには、戦術論や理想をまくしたてるタイプの人も多い。
たとえば、僕はその3年半後、2003年秋にポルトの監督だったジョゼ・モウリーニョのインタビューをしたことがあるが、彼はまさに"野心家"だった。戦術論を声高に語り、そして、「一日でも早く欧州のサッカー大国のビッグクラブで仕事をしたい」と、その野心を隠そうともしなかった。
当時、モウリーニョは40歳。ポルトをUEFA杯で優勝させた、まさに売り出し中の若手指導者だった。
だが、同じ若手監督でも、アンチェロッティからはそんなギラギラ感はまったく感じなかった。中庸を好む、現役時代と同じバランサーだった。
また、僕がポルトに取材に行った当時、モウリーニョは現地メディアといがみ合った状態で、いっさいの取材を受けていなかった(「わざわざ日本から来たので」というので、僕は特別に取材が許された)。
モウリーニョは、まるで"孤高"を演じることを楽しんでいるかのようだった。
【並外れた戦術眼と指導力】
一方、アンチェロッティのほうはトレーニングもすべてオープンだったし(「本当は非公開にしたいんだけど」とは言っていたが)、嫌な顔もしないで次々とインタビューを受けていた。もっとも、発言の内容に新鮮さは感じられなかったので、地元記者のなかには「死にそうに退屈な会見ばかりだぜ」と陰口をたたく者もいたが......。
選手たちにも、アンチェロッティはフレンドリーに接していた。
自身が自動車を買い換えようとしていたらしく、駐車場で選手たちが乗りつけてくる高級車を見て「おまえの車は、いくらしたんだ?」としきりに声をかけていた。
アンチェロッティは試合中も、練習中も、選手に対して細かい指示を送るわけではない......。むしろ、選手たちの動きをじっと観察している時間が長いようだった。
モウリーニョやジョゼップ・グアルディオラのように、「戦術ありき」で選手たちに細かな指示を送り、彼らを自身の意のままに動かすタイプの監督もいる。彼らは、試合のことを監督同士のチェスであるかのように考えているのだろう。
一方で、選手たちの意見を尊重し、それぞれのスタイルのままプレーさせ、彼らが気持ちよくプレーできるようにすることでチームを作る監督もいる。アンチェロッティは、まさにこのタイプなのだ。
そんな、40歳のアンチェロッティを見て、僕は失礼ながら「この人は、将来どれだけの監督になれるのだろうか?」といささか心配だった。しかし、彼は僕の期待を大きく上回る偉大な監督となったようだ。
アンチェロッティは、セリエAを振り出しに、プレミアリーグでも、リーグアンでも、ブンデスリーガでもタイトルを獲得し、そしてレアル・マドリードでも成功を収めた。
レアル・マドリードの選手と言えば、ほぼ全員が世界のスーパースターたちだから、彼らを使いこなすのは容易な仕事ではない。だが、アンチェロッティはまさに選手たちに気持ちよくプレーさせることによって、スター軍団のマネジメントに成功したのだ。
もちろん、そのためには選手たちの個性やポテンシャルを見極め、彼らが気持ちよくプレーできるように配置し、コミュニケーションを取り続けなければならないのだから、並外れた戦術眼や指導力がなければできない仕事である。
選手としても、監督としても、バランスを重視するのがアンチェロッティの真骨頂と言っていいのかもしれない。
【スター軍団をマネジメントできる】
しかし、今シーズンのレアル・マドリードはそもそもメンバー的にバランスを欠いていた。
ヴィニシウス・ジュニオールとキリアン・エムバペは明らかにしっくりいっていなかったし、トニ・クロースが引退し、ルカ・モドリッチに衰えが見えはじめた中盤はバランスを失っていた。そして、負傷者も出て守備が弱体化し、攻守のバランスも欠いた。
シーズン開幕前からレアル・マドリードの補強がうまくいっていないことは明らかだった。監督としては、クラブに対して補強についてもっと強く具体的に要求すべきだったのかもしれない。
スター軍団をマネジメントするアンチェロッティ監督......。それなら、ブラジル代表監督というのは、アンチェロッティにとってうってつけの仕事なのかもしれない。
もっとも、今のブラジル代表がスーパースターの集まりであるとは、簡単に言えないような気もするが......。
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