
Q. 聴力はいいのに、人の話が聞き取れません。高機能イヤホンが原因?
Q. 「健康診断の聴力検査は何も問題がないのですが、人の話がうまく聞き取れません。友人に話すと、『ノイズキャンセリング機能のイヤホンをいつもしているせいでは』と言われました。確かにネットで調べると、ノイズキャンセリングで雑音のないクリアな音に慣れ過ぎることで、人の声が聞き取りにくくなるという説が話題になっていました。実際に、リスクがあるのでしょうか?」A. 可能性はありますが、「注意・集中力」など他の原因も考えられます
私たちが音を聞いて認識するプロセスには、耳と脳が関わっています。音は空気の振動で、耳の鼓膜でキャッチされ、中耳にある「耳小骨(じしょうこつ)」で増幅されます。その後、内耳にある「蝸牛(かぎゅう)」と呼ばれる部分に満たされたリンパ液の振動に置き換えられ、「蝸牛」の中にある「コルチ器官」というところで電気信号に変換され、聴神経を経由して脳へと伝えられて初めて認識されるのです。「聴力」、すなわち耳が音をとらえる働きが正常なのに、音声が聞きとりにくいのであれば、脳のほうに問題がある可能性があります。専門的な用語では「聴覚情報処理障害(Auditory Processing Disorder; APD)」と考えられます。
脳の中で最初に音声情報を知覚するのは、大脳新皮質の側頭葉上部(頭頂葉との境目である外側溝の直下)にある「一次聴覚野」です。音はその後、種類によって脳の別々の場所に送られ、情報処理されます。例えば、よく分からない音は「雑音」と判断されます。「ピーポーピーポー」という聞き慣れたサイレンは、「救急車だ」と分かります。
決まった音階とリズムで構成された音は「音楽」という特別な対象として認知されます。人の声は、さらに特別な対象として処理されます。自分がよく知っている言語で話された声からは、意味が解釈され、相手の言いたいことを理解できます。しかしよく分からない言語だと、人が話しているということは分かっても、内容が理解できません。音声の認識プロセスは非常に複雑です。それらのどこかに問題がある場合全てが、APDをもたらします。
ここでは話をシンプルにするため、以降は、私たち日本人同士が日本語で会話しているとき、いろいろな音が交じり合う中では相手の話がよく聞き取れないケースに限定して考えてみましょう。
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ご質問のように、最近はノイズキャンセリング機能が備わったイヤホンも多く、騒々しい場所でも、クリアな音で音楽や動画コンテンツを楽しるようになりました。筆者自身も混雑した居酒屋で使ってみた際、周囲の雑音はほぼ聞こえなくなる一方で、マイクを通した人の声だけがクリアに聞こえるという体験をしました。これに慣れてしまうと、多くの人が話している中で、特定の人の声だけを拾うことが難しく感じるのは確かです。
しかし一方で、ノイズキャンセリングイヤホンを24時間、365日使用して生活している人はいないと思います。ノイズがキャンセルされない環境に何らかの形でさらされ、人の声を聞き分けなければならない場面はあるはずです。
もともと脳に障害があって音声を拾って聞き分けることができない、もしくは苦手な方を除けば、ある程度の「経験と学習」を重ねることで、多くの人の声や雑音の中から、特定の人の声だけを拾って聞き分けることはできるようになります。一度それができるようになった方であれば、ノイズキャンセリングイヤホンを時々使っていても、急にAPDになることはないでしょう。
むしろ問題なのは「注意・集中力」です。便利なイヤホンに慣れてしまって雑音が混じった音声を聞き分けるのが「たいへん」「めんどう」と感じる場合は、単に気持ちの問題ではないでしょうか。聞き分けなければならない特別な音声が大切なものならば、一生懸命注意を払い集中して聞き取ろうとしますが、「どうでもいいや」と思ってしまうと、聞き流してしまうことになります。要するに、頑張って聞き分けようとする気持ちになるかどうかです。
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APDになる恐れがあるからと考えて、ノイズキャンセリングイヤホンの使用を控える必要はないでしょう。むしろ、「注意・集中力」の低下をもたらす生活環境や悩みごとなどを解消することが大切なのではないでしょうか。
阿部 和穂プロフィール
薬学博士・大学薬学部教授。東京大学薬学部卒業後、同大学院薬学系研究科修士課程修了。東京大学薬学部助手、米国ソーク研究所博士研究員等を経て、現在は武蔵野大学薬学部教授として教鞭をとる。専門である脳科学・医薬分野に関し、新聞・雑誌への寄稿、生涯学習講座や市民大学での講演などを通じ、幅広く情報発信を行っている。(文:阿部 和穂(脳科学者・医薬研究者))