※画像はイメージです―[貧困東大生・布施川天馬]―
みなさんの周りに「全然努力していないはずなのに、頭がいい人」はいませんか?
普段頑張って勉強している様子がないのに、仕事ができる、頭がいい、話の呑み込みが早い、理解度が高い……。きっと古くは学生時代から思い当たるであろう「努力しないのに結果を出す人」は、半ば疎ましく、半ば羨ましく思えたのでは。
そういう人は、たいがい「地頭がいい」といった言葉で存在を肯定されます。「自分とは違う人間だから、仕方ない」と考えて、自分を納得させて、自らの努力と結果の不振に折り合いをつけるわけですね。
ただ、本当にそうでしょうか? 同じ人間なのですから、能力の倍率に2倍も3倍も差がつくでしょうか。もちろん遺伝などの差はあるでしょうが、いくら地頭が良くても知らないことは知ることができない。
つまり「地頭がいい人」は、勉強していないようで、勉強しているのです。本人や周りが、それを「勉強」と認識できない形で。これをなるべく詳しい言葉で説明することはできないのでしょうか。
私自身、勉強の習慣がなかったひとり。定期試験の前日に30分〜1時間程度ノートを見直すだけで試験に臨みました。しかし、毎回学年10位以内に入り、特待生として学費や施設費など年間100万以上をタダにしてもらっていた。
この程度で「地頭」を語る資格はないかもしれませんが、私も「勉強しないのに結果を出す人」の端くれではあります。その身分から言うならば、私は机に向かった勉強こそしませんでしたが、普段からそれ以外の手段で「勉強」をしていました。
今回は「なぜか勉強しないのに結果を出す人」がやっている秘密の勉強法をお伝えします。
◆勉強しないで知識を蓄える
結論から言えば、私が勉強しないのに毎回テストでいい点数をとれたのは、「いろいろなことを知っていたから」となります。問題は「どうやって勉強せずに知識を蓄えるか」。これを説明するために、最適な例が私の経験にあります。
高校生当時、私は生徒会長として、入学式で「歓迎の辞」を読む仕事を任されました。もちろん原稿は手作り。先輩の物を見て形式をまねて作ります。
この中で私は「高校生活に色々不安があるかもしれないけど、たぶん杞憂に終わるから大丈夫ですよ」といった内容の記述を挿入しました。
そして、先生からNGを食らった。理由は「杞憂なんて言葉は、普通の高校生は知らないから」でした。実際に、私のクラスメート(確か当時高3になる直前でした)のほとんどが「杞憂」を知らなかった。
私からすれば常識的な語彙の中に入っていて「人類すべてが知っていてもおかしくない」とすら思っていましたから、大変な衝撃でした。
振り返れば「どこでそんな言葉を知ったの?」といつも問われましたが、自分でも知らないうちに入手したので、説明のしようがなかった。ただ、今から振り返ると、なんとなく推察できます。
◆文字に憑りつかれていた学生時代
当時の私は、勉強こそしなかったものの、普段から目にする文章量は、群を抜いていました。文章と言っても、高校生当時は新聞や新書なんて読みません。小説も嫌いでしたし、ビジネス書なんてもってのほか。
ただ、当時から私はとにかく文字に憑りつかれていて、ありとあらゆる日常生活で目にできる文字を読んでいました。
学校配布のプリント(それも親向けの「学校だより」のようなものまで)はもちろん、学校や町中の掲示板や壁に貼ってあるすべてのポスター、掲示、お知らせは全て把握していた。
国語と英語の教科書は、授業で使わない文章まで含めて、すべての内容に目を通しました。家に帰っても、ゲームや漫画、ネットの怖い話や掲示板を漁って、一日に数千〜数万文字を読みつくした。ファイナルファンタジー7の「解体新書」という攻略本が特にお気に入りで、ストーリー攻略情報や小ネタはもちろん、スタッフインタビューや各種データまで含めて300ページ以上ある本の、文字通り隅々までを読み込みました。
もちろん、「ゲームの文章がテストで役に立った」なんていいませんが、無駄にもなっていません。中高生が日常会話で使わないような語彙の獲得と、その用法について学べました。知識量はそのまま力になります。
◆知識と教養はどう違うのか
私も経験があるからわかりますが、時間がない社会人になると、どうしても最短ルートで情報を集めようと、「○○が一冊で分かる!」のようなビジネス書ばかりを手に取りがち。
ジャンルにとらわれない幅広い知識が欲しくなったら「これ一冊で教養がつく!」と書かれた本を手に取るのでは。私の本棚には、売り上げランキング上位のビジネス書がすべて揃っていました。
ただ、私の経験から言えば、このような「勉強」は逆効果。それこそ「教養」は、いわゆる「教養本」では身につきません。
積み重ねの幅と深さ、それまで積み上げることができた経験からにじみ出る存在感の靄を「教養」と呼ぶのであって、インスタントな積み重ねに意味はないからです。
クイズ王や雑学王を教養人とは呼びません。仮にそうならば、それは教養のある人が結果としてクイズ王になっているのでしょう。
最短ルートばかりを行く人は、おそらく結果が出ない。矛盾するようですが、最短を進むためには、無駄が必要です。拾い集めてきたがらくたがあるから、有事の際に知恵と工夫でがらくたを武器に変身させて窮地を突破できる。どんな賢者でも、無から有を作り出すことはできません。
◆ネットワークを形成した厚みのある「教養」をつけるには
ですから、私はむしろ読書や映画、演劇、漫画、ゲームなどの趣味を全力で楽しむことをお勧めします。
一日中浴びても苦しくない趣味を、呼吸と同じレベルで摂取できるように意識してみる。まずは、自分の好きな分野を中心に、だんだんあまり見たことがないジャンルまで手を広げていくようにするといいでしょう。
すると、徐々に作品の中から「お約束」のような文脈の流れが見えてきます。マクロな視点では展開が予想できるようになりますし、ミクロな視点では次に発されるセリフや動きが勘で分かるようになる。「押すなよ!押すなよ!」の後に何が起こるかは、みなさんご存じでしょう。
知識による先読み自体は本質ではなく、副次的な要素ですが、これが現れ始めるくらいまでコンテンツまみれになることに意味があります。
そこまで文字や文章(音声になったせりふも含めて)のシャワーを浴びれば、単一の「知識」ではなく、ネットワークを形成した厚みのある「教養」がつくはずです。
もちろん、簡単にはいきません。この段階にたどり着くまで最短で一年、普通なら数年はかかるでしょう。
◆努力の過程そのものを楽しめるように工夫する
つまり、私が最後に述べたいのは「努力していないように見える人は、見えない努力を日ごろからしている」ということ。本人すらも「努力」と認識できない形で、楽しみながら勉強しています。
苦しみながら前に進む人と、楽しみながら前に進む人なら、後者の方が前進する足取りは軽く、ペースも早いのは当然でしょう。
努力せずに結果を出したいのであれば、努力の過程そのものを楽しめるように工夫する。屁理屈のようですが、騙されたと思って、一度試してみてはいかがでしょうか。
―[貧困東大生・布施川天馬]―
【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)