
Aさんが飼っておられる8歳の女の子チワワが、ある日ソファから飛び降りた直後から、右後ろ足を上げたままヨロヨロと3本足で歩くようになりました。驚いたAさんが、緊急で日曜日も診療している動物病院で診てもらったところ、「前十字靭帯断裂」と診断され、「すぐに大きな病院で手術を」と勧められたそうです。
【動画】手術をしなくても…2カ月程度でずいぶん歩けるようになりました
手術と聞いてまた驚いたAさんは、セカンドオピニオンとして、私の病院を訪ねてくださいました。
ただ、Aさんを迎えた私の内心は、ちょっと申し訳なさもありました。今回恥を忍んで、獣医師としての不勉強を暴露したいと思います。実は私は、整形外科についてはあまり自信がありません。
言い訳のようになりますが、獣医師は人間の医師と異なり、内科・外科・整形外科・皮膚科・眼科・歯科…と、あらゆる分野をひとりで診なくてはなりません。最近は分野を絞った「専門病院」も増えてきましたが、いわゆる「町の動物病院」は、基本的には“なんでも診る”のが前提です。そのぶん、どうしても一つひとつの専門領域を深く掘る時間は限られてしまいます。
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でも私は、そういう立場だからこそできる「動物全体を見渡す診療」に魅力を感じています。そして、飼い主さんと一緒に、今できることやその子に合った方法を探っていくことも、診療の大切な部分だと思っています。
そんなわけで、Aさんの診察にあわせて、教科書を開きながら前十字靭帯断裂について復習しました。
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前十字靭帯とは大腿骨(太ももの骨)と脛骨(すねの骨)を繋ぐ、膝の関節の中にある小さな靭帯です。大腿骨に対して脛骨が捻れたり、前方にズレないように安定させる役割があります。靭帯が完全に切れてしまう「完全断裂」と一部分だけが切れる「不全断裂」とがありますが、どちらにしても前十字靭帯が切れてしまうと、大腿骨と脛骨の間に緩みが生じて膝がずれてしまい、痛みが出ます。
男子フィギュアスケート元選手の高橋大輔さんが、2008年から2009年のシーズンの全大会を欠場したのも、練習中に右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷したことがきっかけでした。
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犬では、とくに小型犬ではもともと膝関節の構造に生まれつき問題があって、膝蓋骨(しつがいこつ=膝の上にあるお皿のような形の骨)が程度に差があれど脱臼している子が多く、その関係で膝に不自然な強い力がかかりやすく、加齢とともに前十字靭帯が断裂することが少なくありません。
治療法には、外科療法と保存療法とがあります。外科療法とは手術のことですが、手術は、その切れた前十字靭帯をつなげるという訳ではなく、「膝がずれるのを防ぐために前十字靭帯の代わりになるものを作る」というもので、いくつかの術式があります。一方、保存療法は手術をせずに最初は安静、炎症が治まればリハビリをして自己治癒力で歩けるようにする治療になります。
どちらの治療も、普通に歩けるようになるまでには、通常3〜6カ月かかります。症状が軽度で体重が軽い小型犬では保存療法から始めて、2週間以上経過しても改善が見られない場合には、手術を考慮する…とあります。
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正直に言えば、私は以前「前十字靭帯が切れたら即手術」という考えしか持っていませんでした。靭帯が切れたら、いくら自己治癒力が強くても、再生したりはしないですよね。
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私が最初に勤務した動物病院の院長は整形外科を得意としていました。ですので、整形外科案件の診察は、得意な先生達にお任せしていました。そして、その病院では、前十字靭帯が切れた犬が来ると100%手術をしていました。それどころか、膝蓋骨脱臼がある犬もかなりの確率で手術をしていたと記憶しています。その病院での経験から、膝蓋骨脱臼や前十字靭帯断裂の犬は手術しないとあかんのやと、ぼんやり思っていたのです。
ところが、次に勤務した病院では、10歳になっても膝蓋骨が脱臼しっぱなしの犬がたくさんいることに気が付きました。さらに、手術しなくても歩けなくなったりせず、天寿を全うする犬ばかりでした。驚きでした。
そして勉強熱心な友人に聞いたところ、その友人の動物病院でも前十字靭帯断裂の小型犬は、まず手術をしないとのことでした。私はいまサポートに入っている別の動物病院で前十字靭帯断裂の犬を診察しますが、保存療法で断裂前のように歩けるようになる犬ばかりでした。
そこで、Aさんにアドバイスを求められた私は、日曜日に診察してくださった獣医師に忖度して「靭帯が切れたので手術はした方が良いとは思いますが、ぶっちゃけ手術をしないでしっかりリハビリすれば歩けるようになる子もいますよ」とお話ししました。
それに、前十字靭帯断裂の手術はさほど難しい手術ではないにもかかわらず、整形を得意とする動物病院で手術すると非常に手術料が高いことも悩ましさを深めます(当院では整形の手術はいたしません)。Aさんからどこで手術をするべきか相談をお受けしているうちに、どんどん時が過ぎ、気がつけばAさんのチワワは次第に右後足を地面につけて歩くようになっていました。
なんだー、そんなに悩まなくても良かったじゃん。
ということで結局、保存療法のままで治療を続けることになり、8週間ほどで歩き方も自然になっていきました。手術という大変な出費も回避できて、まさにハッピーエンドで終わりました。
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最近、動物病院の数が激増した結果、患者の取り合いのような状況になり、売り上げが伸びずに倒産してしまう動物病院も多いと聞きます。外科手術は、内科治療でお薬を処方するよりも格段に売り上げが上がりますので、そういった考えの元に「手術」というお話に持っていく獣医師もいるかも知れません。本来、医療は売上とか利益とかとは切り離して「命を助ける」「病気を治す」ことに目を向けたいのですが、この資本主義の世の中、どうしても売上がついてまわるのです。ですから皆様の飼っておられる犬猫チャンも、もし「手術が必要」と診断されたときは、セカンドオピニオンでほかの病院の獣医師の意見を聞いてみることも、安心につながるかもしれません。
◆小宮 みぎわ 獣医師/滋賀県近江八幡市「キャットクリニック 〜犬も診ます〜」代表。2003年より動物病院勤務。治療が困難な病気、慢性の病気などに対して、漢方治療や分子栄養学を取り入れた治療が有効な症例を経験し、これらの治療を積極的に行うため2019年4月に開院。慢性病のひとつである循環器病に関して、学会認定医を取得。