アニメスタジオクロニクル Vol.21 サテライト 佐藤道明アニメ制作会社の社長やスタッフに、自社の歴史やこれまで手がけてきた作品について語ってもらう連載「アニメスタジオクロニクル」。多くの制作会社がひしめく現在のアニメ業界で、各社がどんな意図のもとで誕生し、いかにして独自性を磨いてきたのか。会社を代表する人物に、自身の経験とともに社の歴史を振り返ってもらうことで、各社の個性や強み、特色などに迫る。
【大きな画像をもっと見る】
第21回には、サテライト代表取締役・佐藤道明氏が登場。佐藤氏は、サテライトの母体となるビー・ユー・ジーで経理を務め、2003年にサテライトの社長に就任する。河森正治監督との出会いをきっかけに、本格的にアニメ業界に参入したサテライトは、「マクロスF」「創聖のアクエリオン」「戦姫絶唱シンフォギア」と多くの革新的な作品を生み出してきた。今年設立30周年を迎えたサテライトが目指す会社としての展望とは。
取材・文 / はるのおと 撮影 / ヨシダヤスシ
■ 困窮するスタジオの転機となった河森正治との出会い
1990年代の半ば、北海道札幌市でソフトウェアやシステムを開発するビー・ユー・ジーに、世界初のフルデジタルによる連続アニメ「ビット・ザ・キューピット」を制作する話が東京から舞い込む。同作はテレビ東京の「アニメ缶」という枠で「ぼのぼの」と一緒に放送されることになるのだが、それを作るにあたり、画像処理を得意とし、通信技術も持つ同社に白羽の矢が立ったのだ。これを受けて、ビー・ユー・ジーの子会社であるバイスのサテライト事業部……現在のサテライトの母体が、「ビット・ザ・キューピット」のデジタルパートを手がけることになる。
「当時、私はビー・ユー・ジーで経理をしていて、子会社のバイスも担当していました。その一環でサテライト事業部は立ち上げ時から備品や什器の用意、いろんな手続きでお手伝いしていたんです。そんな部が、連続アニメでは世界初となるフルデジタルの『ビット・ザ・キューピッド』を成功させ、『これは事業化できる』という判断から独立し、株式会社サテライトとして法人化しました。
ただ現実はそれほど甘くなかった。『ビット・ザ・キューピッド』を共同制作したグループ・タックから来てもらった前田庸生さんをはじめ、分社化時の社員は15人くらいいたけど、ほとんどCGクリエイターで制作の経験者はいませんでした。だから私が経理兼制作みたいな感じで動いていたし、『ビット・ザ・キューピッド』の後はデジタルの仕事がほぼなくて、なんとか仕事を取ろうと札幌から東京に出張して営業をしていました。毎週のようにぎゃろっぷさんとかぴえろさんに伺って、『何かお手伝いできることはありませんか?』って。
そもそも、デジタルに特化してアニメを制作するスタジオというのが早すぎた(笑)。今でこそアニメの制作費は上がりましたが、当時はかなり低いのでCGに割り当てられる予算なんて相当低い。しかもMacではなくシリコングラフィックスのコンピュータを使っていて社員1人あたりハードが200万、ソフトが400万円とかかかって。それだけの投資額が必要だから安易にスタッフを増やすことも難しい。当時私が社長ではなかったのでどんな展望があったかはわかりませんが、採算性を考えると相当無謀な事業だったでしょう」
そんな窮状の中、佐藤氏がターニングポイントの1つとして挙げる人物との出会いがあった。今ではサテライトに特別顧問として名を連ねる河森正治だ。彼はテレビ岩手の開局25周年と宮沢賢治の生誕100周年を記念するTVアニメ「イーハトーブ幻想〜KENjIの春」で監督を務めることに。そしてその同作のデジタルパートをサテライトで制作したいと持ちかけたという。
「私は北海道出身の経理だったから、河森監督が『マクロス』シリーズの監督ということくらいは知ってはいたけど正直観たことがなくて。想像もできないようなすごい監督が東京から来るってことでどうなるかと思っていたけど、彼はとにかくリテイクを粘りに粘ってなかなかホテルに帰ってくれない(笑)。スタッフが何日も徹夜しながらリテイクを重ねて疲弊していく中で、監督だけ『よくなってる、よくなってる』とテンションが高い。そんなことが続いて、さすがに『スタッフを一度休ませたい』とお願いして帰ってもらったんですけど、彼はこっそりスタジオに戻ってくるんですよ(笑)。それくらい作品に懸ける情熱がすごいから、当時のスタッフも河森監督の指示を受け入れたんでしょう。
そんな大変な思いをしてできあがった完パケの映像が東京から送られてきて、みんなで観たときのことは忘れられません。自分はクリエイターではなくマネジメントしかしていないんですけど、これは自分の作品でもあると素直に思えたんですよ。それは経理をやっていて感じたことがない気持ちで、純粋に感動できていいなって。だから河森監督との出会いは会社だけでなく、私がその後もアニメ業界でやっていこうと考えるようになったターニングポイントでもありました」
■ 作画机を手に入れるのも困難だった「地球少女アルジュナ」準備期
その後、サテライトは東京にスタジオを構え、河森監督によるオリジナルアニメ「地球少女アルジュナ」で初めての元請け作品を世に送り出す。その誕生の背景にはサテライトと河森監督、両者の思惑の一致があった。
「神戸にある会社の社長から、とある作品を河森監督でアニメ化できないかという相談があったんです。それで河森さんを説得するべく食事会を設けて話をしたんですが、彼は原作ものに全然興味がなかった。『全然別のものになるから原作ものの話は受けないようにしている』と言うのでその話自体は断念しましたが、そこで『こういう内容に興味がある』と語っていたのが、ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』に出てくるアルジュナという主人公をモチーフにしたものでした。その聖典のことを私もたまたま少し知っていたから話が盛り上がり、インドに取材旅行へ行くことになったんです。
結局その取材をする中で、当初のヒンドゥー教の聖典をモチーフにしたものからどんどん話が変わっていって、なぜかエコの話になっちゃうんですけど。日本に戻ってきた頃に残っていた要素はアルジュナという名前だけ(笑)。ただ、今まさに世界的な課題になっているようなことを、1990年代の末期に意識してエンタテインメントとして仕上げたんだから、やっぱり彼はすごい天才だと思わされます。
そんな河森監督の思いとは別に、サテライトとしてはどうにかして川上に立たなければいけないという意識が高まっていました。いくら東京に営業したところで北海道の会社ではデジタルアニメの仕事を受注できないという現実があったからです。だから下請けではなく、我々が主導してデジタルの仕事を作ろうと考えていました。そんなタイミングで『アルジュナ』の企画があったので、これを機に東京に制作スタジオを作り、デジタル以外も含めてアニメ制作ができる体制を構築しました。そのための準備が、この30年で一番大変でしたね」
北海道札幌市から東京都杉並区に拠点を移し、さらに制作スタジオとして担える領域を一気に増やす。その苦労の一端として、佐藤氏はアニメーターなどが使用する作画机の入手に関するエピソードを明かした。
「それまで手描きのアニメーターがいなかったので、うちには作画机が1つもありませんでした。だから新たに手に入れる必要がありましたが、それを作っている唯一の会社に連絡したところ断られたんです。『アニメ会社は経営が不安定で未払いが多い。だから新規の会社には売れない』と。でも作画机がないとアニメーターをスタジオに入れられないし、監督も演出も作業できない。だから、自分たちで作ったんです(笑)。ボンズの南雅彦社長が当時はサンライズの第2スタジオでプロデューサーをされていたので、そこに河森監督のツテでお邪魔して、そこの作画机を参考に、作画机の絵をいろんなアングルで描いて、寸法を測り……。それを握りしめてタイで13台発注したんです。そしてできあがったパーツを船便で運んでもらって、組み立てて作画机が手に入ったのが発注から3カ月くらい経った頃でした。ただ、いかんせんタイの家具工場で作られたものなのでクオリティはイマイチで、板は重いし、机の中に蛍光管を仕込むような設備も付いてなかった(笑)。それでも我々としては待ちに待った机でした」
■ 「創聖のアクエリオン」が最大のターニングポイントに
「地球少女アルジュナ」を皮切りに、サテライトはさまざまな元請け作品を手がけていく。佐藤氏が、その中で最大のターニングポイントとして挙げたのが、2005年に放送された河森監督によるオリジナルロボットアニメ「創聖のアクエリオン」だった。
「河森監督は『マクロス』を昔からやっていて彼の代名詞になっています。サテライトとしても『マクロスゼロ』で手伝うことができたけど、それとは別に我々もロボットもので原作を持ちたい。そんな思いから生まれたのが『創聖のアクエリオン』です。ロボットものにしたのは、サテライトがほかのスタジオに絶対に負けない部分はやはりCGで、それを最大限に活かせるジャンルだったからです。手描きは後発だったので、ハイエンドな作画ができるクリエイターをたくさん抱えてるようなスタジオとその分野で勝負するのは難しかったでしょうし。
その『創聖のアクエリオン』で、“3つのマシンが合体して巨大ロボットになる”というのをCGで表現できました。同じコンセプトは『ゲッターロボ』の頃からありましたけど、それを嘘がないきちんとした変形を伴った“本当の合体”として見せられたのは『創聖のアクエリオン』が最初だろうし、斬新で画期的なものになったと思っています」
「創聖のアクエリオン」については当連載における
オレンジの井野元英二氏の話も参考にしてほしいが、佐藤氏はその成果を「いいスタッフに恵まれたから」と振り返る。ただし、「創聖のアクエリオン」をターニングポイントとして挙げた理由には作品外の要素も大きいようだ。
「『創聖のアクエリオン』は放送後にSANKYOによってパチンコ化され、膨大な量のテレビCMが投下されました。テレビを付けると『1万年と2000年前から』という歌に乗せて『気持ちいい!』というセリフがずっと流れていましたが、その反響が想像をはるかに超えるもので、地上波の力はすごいなと思わされました。
そんなこともあってSANKYOとはのちに資本提携しますが、それまでにも業界内から資本提携の話がなかったわけではありません。ただ、サテライトは河森監督にお世話になって、オリジナル作品にこだわりを持って作ってきたけど、国内のアニメ関係の大手さんの傘下に入ると制約を受ける可能性がある。そう考えて『資本提携するとしても今ではない』『自由にやれるうちはそのほうがいい』とお断りしていました。
でも業界外である遊技機メーカーならその懸念もないので2006年にSANKYOの資本を受け入れたし、2020年には中国のゲーム会社としては2番目に規模が大きいNetEaseと提携しました。後者は、当時非常に景気がよかった中国市場で我々のコンテンツを最大限ビジネスしたかったという狙いもあったものの、同時に『赤字が出てもいいからハイクオリティなアニメを作ってほしい』という思いを伝えていただいたのが大きかった。経営的な部分もさることながら、それ以上にパートナーとしてやっていけそうだと感じて提携したんです」
■ 育ったプロデューサーが独立していくのも歓迎
時は前後するが、佐藤氏は2003年にサテライトの社長に就任する。2001年の独立までグループ会社であるビー・ユー・ジーからやってくる社長が目まぐるしく交代しており、佐藤氏は5代目となる。
「社長になってからも現場でプロデュースをしていましたが、それも2006年くらいまで。OVAの『HELLSING』の途中が最後だったかな……けっこうな数のタイトルを動かしていたので記憶が曖昧ですけど。2006年にSANKYOと資本提携したタイミングで、本社を北海道から東京に移して社長業に専念することにしました。
社長になった際に考えていたのは、アニメ業界の仕組みに少しでも抵抗したいということです。もともとアニメと全然関係ないコンピュータ業界の経理畑の出身なので、アニメ業界でヒット作が生まれても、資金を出した人だけが利益を得られて制作者が報われないことにすごく違和感がありました。もちろん1人の力でできることは少ないけど、せめて自分はクリエイターが報われて、働きやすい会社にしたいなと。今では業界全体で改善したこともだいぶありますが、それでもまだ思うところはありますよ」
その後、佐藤氏のもとでサテライトが継続的にバラエティ豊かなアニメを制作してきたのは多くのアニメファンの知るところだろう。2008年の「マクロスF」は爆発的なヒットとなり、「創聖のアクエリオン」や「戦姫絶唱シンフォギア」も好評を受けてシリーズ化。「しゅごキャラ!」「モーレツ宇宙海賊」といった原作ものも手がけつつ、新規のロボットアニメにも挑戦する。外からは大変な充実を感じられるが、佐藤氏は「最近になってようやく安定して作れるようになってきた」と語る。
「アニメスタジオの安定感って現場でラインを管理するプロデューサーがすべてだと思うんです。ただ、うちはプロデューサーが育っては独立し、育っては独立しという状況が続きました。エイトビットの葛西励さん、GoHandsの岸本鈴吾さん……ほかにもたくさんいますが、そういう独立支援のようなことをしてきたので、今の安定感が出てきたのはここ4、5年のことです。ただ個人的には、社員が独立することに関してあまり抵抗がなくて。それまでうちで一所懸命にがんばってくれたんだから、独立するときは応援しようと決めています。この姿勢はこれからも変わらないでしょうね」
■ 社員が働きやすいスタジオにすることが最後の使命
サテライトは設立30周年を迎える2025年に
「SATELIGHT 30th Anniversary SATEFES!」というイベントを開催する。声優による朗読劇やアーティストによるライブも行なうという、アニメスタジオの周年イベントとしては異例の規模の催しだ。
「『30年という1つの区切りだし、何かやろう』と言い出したのは自分です。正直、私が社長としてこういうことをやれるのは最初で最後かなと思ったもので。40周年? あればいいけどね(笑)。内容も、作品の垣根を超えて声優さんやアーティストさんがコラボするというもので、あまりほかで観られないでしょう。制作会社しかできないようなことを仕込んでいるので、作っている側としても『どうなるんだろう?』と楽しみです。朗読劇が河森正治監修の新規の書き下ろしなので、彼のファンはもちろんですが、過去のいろんな作品が登場するので、多くのアニメファンに楽しんでもらえるものになるはずです。まあ実際にがんばっているのはそこの人(同席するライツ部課長を指しながら)とかなんだけど。
ただ、自分も少しがんばったんですよ。クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤社長が自分と同じ北海道標茶町(しべちゃちょう)出身で。北海道出身としての縁もあるから、『30周年なので初音ミクとコラボできないか』とFacebookでメッセージを送って、お願いしたんです。自分も伊藤社長も同じ小さな町の出身なので、『標茶帰ってる?』なんてノリで返事がきたりしたんだけど(笑)。それが実現し、bless4のAKINOさんとデュエットしてもらう事になりました」
そんな「サテフェス」のような盛大なイベントの裏では、佐藤氏が社長就任時に思い描いていた待遇面の改善も進められている。近年サテライトでは福利厚生の充実が図られ、ほかのアニメスタジオも参考のために訪れるほどだそうだ。
「アニメに関わる人たちは不規則な生活を強いられることがあって、その中で時間や手間の都合で毎日カップ麺やコンビニの弁当になることもある。それらが悪いとは言いませんが、毎日続くことに対しては危惧しています。なぜかと言うと、自分もそうだったから。そういう生活を続けて40代、50代になると健康面で何かしら問題が出てくる。だから特に若い社員に栄養バランスの取れた食事を提供したくて、2024年11月から社員食堂を始めました。あとはデスクワークが多い業界なのでパーソナルトレーナーに来てもらって体幹トレーニングをしてもらったり、英語の先生に英会話レッスンをしてもらったりもして。それで健康に意識を向けるとか、英語ができることで楽しさが増えるとかなったらいいなと。
今後の話になりますが、少しでも社員が働きやすいスタジオにすることが、自分が最後にやっておかなければいかないことだと思っています。20年前とかはハイエンドな作品作り……最近だとWIT STUDIOさんやMAPPAさんのような作画力を持ちたいし、負けないようにがんばろう!みたいな気持ちがありました。でもアニメスタジオってやっぱり人次第で、クリエイターの才能によってスタジオの価値が高まると最近は考えています。そういった人が集まって定着してもらうためにも、働きやすく居心地がいい会社にしたいです。そのために、30周年をきっかけとしてやりたいことはまだまだたくさんありますよ」
■ 佐藤道明(サトウミチアキ)
1968年生まれ。サテライトの母体となるビー・ユー・ジーで経理を務め、2003年にサテライトの社長に就任。「地球少女アルジュナ」「創聖のアクエリオン」「マクロスF」「モーレツ宇宙海賊」「戦姫絶唱シンフォギア」「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」などを手がける。