被爆死した親族の遺品について説明する高垣美智子さん=26日、広島県府中市 広島県府中市上下町の高垣美智子さん(79)は、軍に入隊したその日に広島市で被爆死した親族の遺品を、29日から自宅で初めて公開する。今年は戦後80年となることから「ここまで生きた者の責任がある。じっとしていられなかった」と話す。
親族は、夫の智光さん=2004年死去=の叔父に当たる鈩高吉さん。26歳だった鈩さんは1945年8月6日午前8時の召集を受け、中国軍管区砲兵補充隊(広島市中区)に入隊したが、その15分後、約700メートル離れた上空に原爆が投下された。消息不明となっていたが、戦後、全身に大やけどを負い避難先に一時立ち寄っていたことが判明。当時を知る関係者から役場を通じて遺品が届けられた。
見送りに来ていた父と兄、妻、1歳になったばかりの娘も、鈩さんと別れた後に被爆死したとみられる。後に親族らが何度も捜索に入ったが、全員の遺骨は今も見つかっていない。
公開されるのは、鈩さんが当時身に着けていたとされる腕時計や手帳、たばこケースのほか、召集を告げる官報や入隊前の勤務先でのあいさつ文など40点以上。5月18日まで展示し、その後は平和記念資料館(原爆資料館)などへ寄贈する予定だ。
高垣さんは、亡くなった鈩さんの状況について夫から聞いてはいたものの、「簡単に話せることではない」とあまり語ってこなかった。ただ、自身が高齢となる中、「今しかできない」と公開を思い立った。「入隊があと1日遅ければどうなっていたか。遺品を手に取り、若くして亡くなった命に思いをはせてほしい」と訴えた。

鈩高吉さんの遺品=26日、広島県府中市