2025.4.2/東京都港区のオカモトヤ本社にて【東京・虎ノ門発】事業の中で女性の働きやすさを追求するオカモトヤでは、男性社員が育児休業を取ることを積極的に推進している。ことに共働きの場合、それが女性のキャリアを高めることにつながるからだ。だから社長の鈴木さんは、育休を取った社員を会社として賞賛すべきと語る。そしてもう一つ印象的だったのは、「女性活躍」なんて言葉は早くなくなればいいと言ったこと。そういう言葉が必要なくなったとき、真の意味での多様性が実現するからだ。
(本紙主幹・奥田芳恵)
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●小学生の頃に感じた理不尽な思いが 自我の目覚めにつながる
鈴木さんは、老舗企業を営む家に生まれたわけですが、幼い頃はどんなお子さんだったのでしょうか。
実は、小学生低学年くらいまでは、おとなしくて目立たない子だったんですよ。
今のご活躍ぶりからみると、ちょっと意外です。
ところが小学校5年生のとき、新任の男の先生が担任になったのですが、何も悪いことをしていないのに、自分の気に入らないことがあるとクラスの子どもたちを叩くんです。私立の女子校に通っていた私にとって、そんな大人に出会ったのは初めてでした。
当時は、そんなことがまだ許されていたんですね。
それをきっかけにみんなで声を上げ、私はその先生に食ってかかるようになったんです。このとき、「言いたいことを言わないと負ける。世の中の理不尽とは闘わなければいけない」と思うようになりました。そろそろ反抗期ということもあったのでしょうが、そこで自我に目覚め、性格も変わったように思います。
まさに理不尽な思いをされたことで、自己主張する大切さを知ったのですね。その後は、どんな学生生活を送られましたか。
部活動はいろいろやりましたね。小学校ではバトン部、中学校ではバスケット部、高校では写真部です。写真は祖父の趣味でもあったため、興味を持ちました。そして、大学ではゴルフ部に入りました。
本当に、いろいろなことに打ち込まれたのですね。そのほかに、好きだったものはありますか。
ファッションに関心があり、古着が好きでした。高校生の頃は、渋谷や原宿の古着屋さんで宝探しです。値段が安いので、高校生のおこづかいでも買い集めることができました。大学生になってからは下北沢でアルバイトをしていたのですが、この町には古着屋さんや雑貨屋さんがいっぱいあるので、とても楽しかったですね。
それで新卒時に就職したのが、ジーンズメーカーのエドウインだったと。
ジーンズはもともと労働着ですが、はく人によってそれぞれに変化する、まれな衣類だと思うんです。よれよれのスーツはどうかと思いますが、よれよれのジーンズはけっこう魅力的だったりします。それがエドウインに入り、デニムを扱ってみたいと思った大きな理由ですね。
そのときは、オカモトヤを継ごうとは考えなかったのですか。
考えていませんでした。古着屋のバイトかエドウインか、という感じです(笑)。
ただ、私は三人姉妹の長女だったせいか、高校生のときの進路調査で「私は家を継ぐので短大には行きません」と答えた記憶はあるんです。でも、結果的に大卒時には別の道を選んだわけですね。
親御さんからは、会社を継げと言われなかったのですか。
父からも母からも、まったく言われませんでした。ことに母からは、「あなたの人生とオカモトヤはまったく関係がないから、好きなようにやりなさい」と言われていました。だから、その後オカモトヤに入ったのは、自身の成長や意識の変化によるものだと思いますね。
跡継ぎを強いられたのではなく、自らこの道を選び取られたということですね。
最近は小学生の二人の娘をよく職場に連れてくるのですが、「ママがジイジから会社を継いで……」という話をしたりしているせいか、どうやら自分たちも継ぐつもりでいるようなんです。そういうDNAが伝わっているのかなと、ちょっと思ったりしますね。もちろん、私から継いでほしいとは言いませんが。
●変化し続け現状に甘んじないことが未来につながる
社長に就任されて、大きく変えた点や力を入れた事業にはどんなものがありますか。
社長就任のタイミングで、Fellne(フェルネ)という新規事業(サービスブランド)を立ち上げたことですね。
この事業を立ち上げようとした背景には、これまで通りの事業を続けているだけでは企業として評価されないと考えたことがあります。
企業としての評価ですか……。
かつては一定以上の売り上げを上げて納税をすれば、それでOKという側面がありました。ところが最近は、企業を見る目が複雑化し、自社を取り巻くさまざまなステークホルダーから、数字だけでなく、たとえば企業風土、働き方、サステナビリティーといった観点からも評価されるようになってきました。そのため、今までオカモトヤがやってきた「働く環境を整える仕事」からぶれず、その上でサービスそのものが社会貢献につながるような事業をつくっていかないと、新しい人材の獲得が難しくなり、また仕事のやりがいをもたらすことができないと思うようになったのです。
Fellne事業の具体的な内容について教えてください。
企業のフェムアクション、つまり女性活躍推進やフェムテックなど、女性のQOL向上につながる取り組みを推進しようという事業です。具体的には、社内に備蓄できる災害用レディースキット(女性の衛生用品など)の開発・販売やフェムアクションを導入しようとする企業へのサポートサービスなどを行っています。
ちなみにこのキットは、東日本大震災をきっかけに、水やカンパンを納品していた得意先企業から「生理用品も一緒にセットして納めてもらえないか」という要望があったことがヒントになりました。
女性が安心して働くための下支えの一つですね。
そうですね。こうしたことをコツコツと積み重ねて女性が働きやすくならないと、社会の多様性は広がらないと思います。少子高齢化による人手不足は前々から分かっていたことですが、シニア層や障害を持つ方もいきいきと働ける社会へのファーストステップが、女性活躍なのだと思います。
四代目社長になって3年ですが、もう会社を継いだプレッシャーはありませんか。
プレッシャーがないことはありませんが、さしあたって、今やれることを精いっぱいやろうということですね。とにかく次につながるよう変化し続け、現状に安住しないことが大事で、それが未来につながると思ってやっています。
今後の事業展開も楽しみにしております。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。