
優先順位が狂ってる感じがするんだよなぁ。
今日も今日とて寛先生(竹野内豊)はアンパンマン関連の名言を引用しまくるわけです。
「絶望の隣は希望や」
『絶望の隣は希望です!』。震災のあった2011年に小学館から刊行されたやなせたかし先生の著作ですね。このセリフが寛先生から発せられたのは、いかにも不自然な状況でした。
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東京の美術学校の受験結果発表当日、座り込んでいる嵩の前に、突如、寛先生が現れます。
現れる前から、違和感はあるんです。あ、この結果発表は掲示板なんだ。「チル」だった志望校の発表は手紙だか電報だかだったけど、試験日から発表日まで嵩は東京に宿泊してたの? わざわざもう1回来た? 船と汽車を乗り継いで? と思ってたら、寛先生まで現れてしまう。
「学会のついでに足を延ばした」と言うけど、御免与の家で電話を待ってる千代子(戸田菜穂)とおしんちゃんが「寛も東京にいる」という状況を把握している様子はない。知っていれば、電話がかかってこなくても「寛も一緒だから大丈夫」とか言うはずなんです。
そうして唐突に現れた寛先生が、座り込んでいる嵩がすでに結果を見ていて、落ちたのだと思い込んで「絶望の隣は」のセリフを吐く。
寛先生のこの引用セリフ、作り手側の認識として私たち視聴者が「出た! 待ってました!」と受け取る前提で挿入してる感じがするんですよね。だから、こんな無理やりなシチュエーションを作ってまで挟み込んでくる。
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千代子が電話で嵩からの合格を知らされたのは午前8時5分53秒、実に、6分近く引き伸ばされたことになります。寛先生の引用セリフを挟み込むために、それだけの時間が費やされている。
引用は引用であるからして、そこに寛先生という人物の魂は乗ってないわけです。おおむね寛先生という人物が好印象なもんで、こうした魂の乗ってないセリフはノイズにしかならない。おまえの言葉を聞かせてくれよ、と思ってしまう。寛先生という人物は地に足がついていて、ほかのみんなに気付きや許しを与える立場で登場しているわけで、その人物を「やなせたかしの代弁者」とする意図はわからんでもない。でも、その手法をもってやなせ先生へのリスペクトを示すのだとすれば、大幅な史実の改変との理屈としての辻褄が合わなくなってしまう。
のぶの少女期を架空として描くということは「史実とは別物として、フィクションとして見てくれ」ということであるはずだし、そうであるなら実際にやなせ先生が紡いできた言葉を引用しまくるのは、なんというか、品がない創作行為だなと感じるわけです。いいとこ取りすんなよ、という感じ。
そういうわけでNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』第25回、振り返りましょう。金曜にしては薄っすい内容だったと思いました。
盛り上がらない合格発表
どうやら嵩が最難関の狭き門に合格できた最大の要因は、寛先生に丸暗記しろと言われた公式がそのまま試験問題に出たことだったようです。これだと、数学だけがネックで、数学以外は最難関に合格できるレベルにあったということになってしまう。のぶちゃん(今田美桜)は「体操が抜群」だったから合格、嵩は因数分解の公式を丸暗記していたから合格、どうにも受験そのもの、つまりは2人の「夢への第一歩」のその入り口をクリアした理由に努力が反映された感じがないので、「たくさん勉強しました」というくだりが全部無意味だったように見えてしまっている。
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加えて、急に登美子(松嶋菜々子)が現れるのも興ざめでした。この日この時間にこの学校で嵩の合格発表があることを、どうやって知ったのか。嵩が知らせていたなら当日現地で嵩は登美子の姿を探すはずだし、寛が知らせていたなら嵩と会わせようとするでしょう。そのほか、登美子とコンタクトを取りそうな人物はひとりもいない。こうなると登美子が千里眼の使い手か、あるいはすでに死んでいて亡霊として現れたか、それ以外の可能性が考えられなくなってしまいます。これも寛の引用セリフと同様、盛り上げようとして失敗している場面だったように思う。
もともと嵩という人の「絵を描いて生きていきたい」と「マンガを描きたい」と「美術の学校に通いたい」という3つの思いがごちゃ混ぜになってモチベーションが見えにくくなっていたところ、発表の際にさまざまな引き伸ばしが行われたことで、なんか気持ちの盛り上がらない一連のシーンでした。美村屋のあんぱんもさ、お土産に包むのもいいけど、その場でベンチに座って2人で食えばいいのに。高知まで持ち帰ってたら鮮度も落ちるし、「この味……」ってならないでしょう。
のぶとうさ子のリフレイン
なぎなた道場(じゃなくて師範学校)に通っているのぶとうさ子のくだりは、昨日とほとんど同じことの繰り返しでした。思想に目覚めたうさ子のなぎなたの手前がのぶより上手くなっていて、戸惑うのぶちゃん。昨日パイセンに言われたのと同じことを、今日は先生から言われて面食らっています。
ドラマがのぶという人を先生にさせる気がないのだろうけれど、せめて「先生を目指して師範学校に入った」という建前くらいは守ってほしいんだよな。軍国主義にカルチャーショックを受ける、以外にやることないんか、と思っちゃう。
のぶが戦争についてどう考えていたのか一切語られてないので、うさ子や先生に対する気持ちを察することができないのですよ。師範学校の試験には歴史もあったよね。当時、どういう歴史教育が行われていたか詳しくないけど、少なくとも日露戦争について何か知識を持っているだろうし、中尉だって登場してるし、朝田家にはラジオもある。ここに至ってのぶという子が「先生」についても「戦争」についてもどう解釈しているのか全然わからないので、うさ子の変貌を目の当たりにして呆然とするアップショットを見ても何も感じられないのです。
来週から戦争に入っていくようですが、見る側としてはなんだか心構えといいますか、ドラマとしての期待感をあんまり持てないままヌルっと来ている感じです。どうなることやら。
ほいたらね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)