
プロ野球の2025年シーズンが開幕し、早くも1カ月が経った。そんななか注目を集めているのが、藤川球児新監督率いる阪神だ。5月1日現在、首位の巨人に1.5ゲーム差の2位とまずまずのスタートを切り、投打とも選手層の厚さが強みとなっている。しかし野球解説者の伊勢孝夫氏は、表情を曇らせこう語る。
「戦力的に上位を争うだろうことは、キャンプの段階から予想できていた。ただその戦いぶりに、なにか"モヤモヤ"したものが残るんだよな」
伊勢氏の言う"モヤモヤ"とは何なのか? 藤川監督の戦い方やスタイルを検証しつつ、"モヤモヤ"の正体を探ってみたい。
【気になる記録に残らない小さなミス】
まず今季の阪神の戦いのなかで、印象に残った場面をいくつか挙げたい。
4月19日の広島戦、6回一死から近本光司が左中間を破る打球を放ち、二塁を蹴って三塁を狙うもタッチアウト(記録は二塁打)。レフトのサンドロ・ファビアンが飛び込んだが捕れず、ボールが転々とするのを見て果敢に進塁を試みたのだろうが、ここは二塁で止まるべきだった。
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おそらく自己判断だと思うが、3点リードされている場面、後続には森下翔太らが控えており、無理に三塁を狙う必要がなかった。またこの試合で、ショートの木浪聖也が3失策を犯したことも見逃せない。
もうひとつは4月25日の甲子園での巨人戦。3点リードの9回、守備で2つのミスが出た。先頭の岡本和真のショートゴロを小幡竜平が弾いたうえ、一塁へ悪送球。さらにサードの佐藤輝明もボテボテのゴロを慌てて素手で捕りにいき、つかみ損ねた(記録は内野安打)。結果的に試合に勝利したため、大きく報じられることはなかった。
これらのプレーに共通しているのは、技術の問題ではなく"意識"の問題だ。心と体の準備がしっかりできていれば、防げたミスである。
ここで気になったのは、藤川監督が試合後、もしくは翌日に、意識面を徹底させたのかどうかだ。もちろん、まったく対応していないとは思えないが、ただそれが直接の言葉ではなく、コーチなどを通じて行なったのではないかということだ。
なぜそこが気になったのかと言えば、今季の戦いを見ていて、記録に残らない小さなミスがやけに目につく。その背景には、監督からの"直言"の少なさが影響しているのではないかと思ったからだ。
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プロ野球の世界では、バッティングなら打撃コーチ、ピッチングなら投手コーチといったように役割分担がある。だからこそ、たまに監督が選手に直接指導すると、それだけでニュースになったりするのだ。
ただし、あくまでコーチが指導するのは"技術"であって、"意識"の部分までは徹底できない。これは私が近鉄やヤクルトなどで、長年コーチを務めた経験から強く感じたことだ。それに意識の部分を指摘しても、なかなか選手の心には響かない。
こうした場面で、前任の岡田彰布監督はメディアを使って、選手たちに"意識"を植えつけようとした。時には「草野球やっとんのか!」「そこから教え直さんとあかんのか!」と厳しい言葉を浴びせた。なかには、「ふざけるな!」と思った選手もいただろう。
当然、監督と選手の関係は悪くなるが、その代わりに緊張感が生まれた。ここで重要なのは、岡田監督はどれだけ叱責しても、選手を使い続けたということだ。彼が選手を嫌っているわけではなく、必要不可欠な戦力として信頼していた。その厳しさの裏にある信頼は、選手にも伝わる。だからこそ、「次こそは!」と選手も奮起したのだ。
【起用法で緊張感を生む】
では藤川監督はどうか。メディアを通して批判しないのは、おそらく現役時代に嫌な思いをした経験があったからだろう。
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その一方で、3失策の木浪はスタメンから外れた。これは懲罰的な意味と、小幡竜平との競争を促す意味合いもあっただろう。言葉ではなく、起用法で緊張感を生む。それが藤川監督のスタイルなのかもしれない。
それに打順やリリーフの順番を固定しないのも、彼の戦い方のひとつだ。開幕から4番に据えていた森下翔太を3番にして佐藤輝明を上げたのも、柔軟に戦う姿勢の表れだろう。このようにして選手同士を競わせるのは悪いことではない。ただ、そのような戦い方で勝ち続けるのは、想像以上に難しい。
開幕から1カ月が経ったが、今のところ順調にスタートを切ったといっていいだろう。これは藤川監督が投手出身であることと無関係ではないとみている。ここまでの戦いを見ていて感じるのは、藤川監督は相手投手が嫌がることに徹しているこということだ。つまり自分が投手としてされて嫌だったことをやっている。これもまた"藤川流"と言える。
ただ、先述したように藤川監督は投手出身であり、リリーバーとして長年プレーしてきたため、試合中ベンチにいない時間が長かった。それだけに野手の細やかな心理や起用のタイミングなどを肌感覚でつかむのは容易なことではない。
そこを補うのがコーチ陣の役目だが、今季の阪神にはヘッドコーチがいない。そうした状況で機能しているかというと、やや心許ない印象だ。
幸い、今のところ打線の状態は悪くない。誰かが不調でも、ほかの選手でカバーできている。まさに理想的な形だ。しかし「打線は水物」と言われるだけに、チーム全体が落ち込む時期が来るだろう。その時にどうやって乗りきるか。そこが指揮官の見せどころであり、ベテラン監督でも頭を悩ませる難題でもある。
じつは、こうした勝っているからこそ見逃されがちな不安要素こそ、"モヤモヤ"の正体なのだ。
藤川監督はまだ指揮を執って25試合あまり。ベテラン監督のような手腕を求めるのは酷だし、本人もまだ手探りの状態のはずだ。しかし阪神の監督というのは、たとえ1年目であっても、常に高い期待を背負わされる。そのことをもっとも理解しているのは、ほかならぬ藤川監督自身だろう。
彼の本当の姿が見えてくるのは、負けが込み、勝利に飢えるような時だ。そこで初めて、選手たちも監督のスタイルを実感するはずだ。本当の勝負はそこからと言えるだろう。
伊勢孝夫(いせ・たかお)/1944年12月18日、兵庫県出身。63年に近鉄に投手として入団し、66年に野手に転向した。現役時代は勝負強い打撃で「伊勢大明神」と呼ばれ、近鉄、ヤクルトで活躍。現役引退後はヤクルトで野村克也監督の下、打撃コーチを務め、92、93、95年と3度の優勝に貢献。その後、近鉄や巨人でもリーグを制覇し優勝請負人の異名をとるなど、半世紀にわたりプロ野球に人生を捧げた伝説の名コーチ。現在はプロ野球解説者として活躍する傍ら、大阪観光大学の特別アドバイザーを務めるなど、指導者としても活躍している