
WBCバンタム級チャンピオンの中谷潤人は、IBF同級王者である西田凌佑との統一戦に向け、4月21日からLAでキャンプ中だ。西田と同じサウスポーのパートナーを相手に、週に4回、精力的にスパーリングを重ねている。世界タイトルマッチのラウンド数を超える打ち合いを、清々しい表情でこなす。
世界タイトル3階級制覇中の中谷だが、1本目のWBOフライ級王座に就いた頃から「同クラスに評価の高い選手がいるなら、是非、拳を交えたい。強い選手に勝つことこそ、自分が求めるもの」と公言してきた。とはいえ、なかなか本人が希望するビッグマッチは実現しなかった。
2本目となるWBOスーパーフライ級タイトルを獲得する前は、指名挑戦者として当時の王者、井岡一翔に挑めるはずだったが、避けられている。井岡にしてみれば、勝てる見込みの無い危険なチャレンジャーとの防衛戦など、失うものしかないと感じたのであろう。
主要4団体のバンタム級チャンピオン全員が日本人という状況は、話題にはなるものの、実際のレベルは中谷が他の3名を大きく凌駕している。ライバルとはとても呼べない力量差が存する。
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2025年3月末日、東京ドームホテルで前年度の年間表彰式が行われた。同会が50分ほど経過した12時33分、7年連続8度目のMVPに輝いた井上尚弥のスピーチが始まる。29戦全勝26KOのWBA/WBC/IBF/WBO統一スーパーバンタム級チャンピオンは、周囲へ感謝を述べた後、最前列に腰掛けていた中谷に向かって振り返り、「中谷くん、一年後の東京ドームで、日本ボクシングを盛り上げよう!」と発言。そして、右手で持っていたマイクをWBCバンタム級王者に差し出した。
30戦全勝23KOの中谷は笑顔でマイクを受け取ると、立ち上がりながら「是非、やりましょう」と応じる。その後、全勝を続ける2人のチャンピオンは、固い握手を交わした。
中谷潤人にとっての比較対象は、あくまでも"モンスター"井上尚弥であり、他のバンタム級チャンピオンではない。井上自身もそう理解しているからこそ、「東京ドームを満員にできるメガファイト開催」を呼び掛けたのだ。これがWBA、IBF、同門のWBO王者を相手にしたところで、ワンサイドの試合にしかならないことは、2階級を通じて4冠を達成した男なら分かり切っている。
モンスターから直接ラブコールを受けた中谷は、数週間前の出来事を振り返った。
「井上選手と並んで座っていましたよね。スピーチの前に、突然彼が『ちょっとマイク渡していい?』って話しかけてきたんです。2人が揃う状況って、あんまりないじゃないですか。そういったところで、何かあるかな? っていうのはちょっと感じました。
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初めて僕の名前を出してああいう発言をされたので、『ついにきたか。この試合を期待してくれている人が増えてきたんだな』と、とても光栄に思いました」
中谷、そして15歳の頃から彼を指導するルディ・エルナンデスは「井上尚弥の背を追いかける自分たちは幸せだ。大きな存在が前を走っているからこそ、目標に向かって己を燃やせる」と口を揃える。
井上がスーパーバンタム級に上げ、中谷が2階級下のベルトを巻いていた頃、現WBCバンタム級チャンピオンは「まだまだ、井上選手とは距離があります」と語っていた。が、いつしか具体的に対戦をイメージするようになった。特に53.5キログラムのバンタム級に上げてからの中谷は、一皮も二皮も剥けた感がある。
「そうですね。最近は自分のやりたいことがリングで出せるようになってきました。それで、井上選手との対戦が本格的になってきた感じですかね。周りの人の思いというか、自分の試合を目にした方々に期待してもらえるのは、自信になります。いつの間にか、僕と井上選手の試合を見たいという人が増えていましたね。
井上選手から刺激をもらえた分、更に自分の価値を上げねばなりません。ですから、ボクシングの中身も成長する必要があります。彼の発言は、すごく大きな転機というか、ポイントだったと感じています」
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そのモンスターは、5月4日のラスベガスでの防衛戦を控え、4月23日にLAX国際空港に降り立った。今回、中谷がLAキャンプを開始した2日後のことである。WBA/WBC/IBF/WBO統一スーパーバンタム級チャンピオンは、バッゲージクレームで荷物を受け取ると、即、市内のジムに直行し、米国メディアの前で公開練習を行った。軽く動いた後、現地記者から中谷潤人戦について訊ねられると、「皆さん、見たいですか?」と逆に質問する。「Of course」なる声を聞くと「だからですよ」と笑顔で告げた。
同日、中谷はリトルトーキョーに建つLAボクシングジムで汗を流していたが、ネットを通じて井上の発言が伝わってきた。
「世界中の人が僕たちの試合を見たいって思ってくれているようで、嬉しいです。3月の表彰式でもそうでしたが、自分の本気度も上がりましたね。井上選手との対戦に向けて、より真剣になれました。妥協せずに強さを求めていくぞと、身が引き締まりましたよ」
バンタム級転向後の中谷は、倒し方のツボを会得したかのように4連続KO勝ちを収めている。筆者は、6月8日の西田戦も中谷の圧勝を予想する。両者は、あまりにもレベルが違う。それでも、最悪のシナリオを作った上で、ほんの僅かな隙も見せずにキャンプをスタートさせるのがチーム中谷だ。
「今はもう、井上選手ではなく目の前の試合に集中しています。西田選手は、積み上げてきたものを試合で発揮する力が強いチャンピオンです。彼の想定内の動きをしちゃダメですね。予想通りの動きを僕がしてしまうと、相手のリズムにさせてしまう可能性があるように思います。練習を積んで自信つけていく反面、反省点を見直してもいます。
西田選手は、左ボディで倒すことが多いので、そのタイミング、あるいはボディブローの前の右のコントロールを警戒しますね。とにかく、彼の想定内では終わらせない。新しい自分を見せるという感じでしょうか」
中谷にとって、サウスポーとの戦いは、2024年10月14日のタサーナ・サラパット戦以来だ。
「やっぱりオーソドックスとの試合とは違います。体のひねりや、頭の位置なども変わってきますから。今、背中がバリバリ筋肉痛になっていますよ(笑)。ジャブを細かく打ったり、パートナーの動きを観察してステップを踏み、ディフェンス中心のラウンドを作ったりしています。
とにかく、今は自分を追い込む時期です。普通じゃない濃いメニューをこなすことで、ステップアップできる。西田選手を過小評価するつもりは全くありませんが、この試合は僕にとって通過点です。圧倒的な勝利を飾るために、やるべきことを積み重ねるだけですね」
望んでいた統一戦を控える中谷は、軽快な動きを見せた。3名のパートナーを相手に、「右のガードを下げない」「ボディワークでパンチを躱(かわ)す」「左右のアッパーを多用する」「自分の距離を保ち、間断なくジャブを放つ」など、ラウンドごとにテーマを掲げてスパーリングをこなした。
「これまで通りの練習では、自分を絞り尽くせませんから」
涼し気に、かつ淡々とメニューをこなす中谷にとっては、井上尚弥戦も最終ゴールでは無い。彼は究極の己を築き上げるべく、自分自身に挑んでいる。そのメンタルこそが、最大の武器である。
WBCバンタム級チャンプはこう結んだ。
「井上選手の試合は見に行きません。自分の練習がありますから」
進化し続ける中谷潤人に注目だ。
取材・文・写真/林壮一