
【「ラストは意外と動いてホッとした」】
「やっと1番が取れた。マジでうれしい」
駒澤大の主軸、伊藤蒼唯(4年)は、そう言って会心の笑みを浮かべた。
4月25日、日本学生個人選手権の10000mは、7月にドイツで開催されるワールドユニバーシティゲームズの代表選考会も兼ねていた。伊藤の自己ベストは大会参加標準記録(28分30秒00)を切っており、このレースで優勝すれば代表の座に大きく前進する(*JOCから陸上競技に割り当てられた全体の派遣数に限りがあり、最終的に10000mからの代表選出は見送りに)。
また、これまで伊藤は個人でのレース優勝経験がなかった。そのため、2つを一気に達成できた喜びが表情にあふれた。
レースでは最初から最後まで冷静な走りを見せた。スタートから小池莉希(創価大3年)が先頭に立つと、伊藤はその背後をキープ。2000m過ぎから小池がスローダウンして団子状態になったが、そこでも伊藤は前に出なかった。
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「(集団にいる選手たちは)前に出たり、下がったりの繰り返しでした。でも、そこで前に立ったからといって最後にゴールに先着されたら意味がないので、周囲を気にしながら、相手の背中を見てレースを進めました」
途中、スローな展開になったことで選手たちは力を溜め、ラスト勝負に備えた。伊藤も周囲の選手を見ながらスパートするタイミングをはかっていた。残り800ⅿで野中恒亨(國學院大3年)が前に出ると、伊藤も反応した。そして、最後の1周の鐘が鳴ると一気に前に出て、後続を突き放した。
「ラストに自信があるかって言われたら、そこまでないです。ただ、ラストスパートにうまく乗れたら勝ちきれるかなと思ったので、やってみたら意外と動いてホッとしました(笑)」
【日本のトップクラスの選手たちとのトレーニング】
2位の野中に4秒差をつけ、28分53秒75で優勝。駒大の藤田敦史監督も満足そうな笑みを見せた。
「伊藤は強かったですね。何回かレースが動くなか、ラストスパートでしっかり勝ちきったので力がつきましたよ。クロカン(日本選手権クロスカントリー)やEXPO駅伝での走りがフロックじゃなかったことを証明してくれました。調子がいいのは努力の成果だと思います。Ggoat(ジーゴート)のメンバーと一緒に練習をやらせてもらうなかで、高い目標を見て取り組んできた成果でしょう。本当に成長したなと思いました」
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藤田監督が高く評価するように、年明け以降の伊藤は好調を維持している。
だが、1年前の今ごろは闇の中をさまよっていた。関東インカレの2部10000mに出場したが、周回遅れとなる組25位(29分36秒55)に終わり、レース後は苦渋の表情を浮かべながら、こう語った。
「よくないですね。調整も外してしまって、走っていても体がきついし、スピードが上がらない。原因が何かもわからないし、今までないくらいうまくいっていない」
そこから夏合宿で走り込むなどして徐々に調子を上げていった。
箱根駅伝では山下りの6区を区間2位。チームの順位を4位から3位に押し上げ、総合2位に貢献した。2月の日本選手権クロスカントリー(シニア10km)では先頭集団でレースを進めて学生トップの4位入賞を果たし、3月のEXPO駅伝では1区を走り、区間賞の吉居大和(トヨタ自動車)と4秒差の2位で流れをつくった。
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さらに3月30日の日体大長距離記録会5000mでは、13分39秒72の自己ベストをマーク。そういう流れのなかで、伊藤は1年時の箱根6区区間賞以来のタイトル、レースでの初優勝を手にした。
「昨年は練習のなかで常に余裕を持ち続けながらやっていたので、ラストの絞り出しだったり、ハイペースで動いたりした時の対応の仕方が、うまく体に染みついていなくて、ちょっと噛み合わない部分があったんです。でも、今年はかなり追い込んで練習をしてきましたし、スピードの練習もしてきたので、今回のように途中でスローペースの展開になっても、それらをうまく生かすことができたのかなと思います」
もともとスピードのある選手ではあるが、持続できずに後半に苦しむ展開を繰り返していた。だが、新たな練習への取り組みによって、今回のようにスローペースからラストのスパート勝負になっても動じず、勝ちきれる強さを身につけた。
それは伊藤自身の努力ももちろんだが、藤田監督が言うように、箱根駅伝以降、Ggoatの練習に参加していることも大きい。駒大の大八木弘明総監督が指導する同チームには、駒大OBの田澤廉、鈴木芽吹(ともにトヨタ自動車)、篠原倖太朗(富士通)、さらに現役学生の佐藤圭汰(4年)らが世界で戦うことを目指し、高いレベルでトレーニングを行なっている。
「今、(大八木)総監督に練習を見ていただいているのですが、チームには(4月12日の)日本選手権10000mで優勝した芽吹さん、それに田澤さん、篠原さん、圭汰とか日本のトップクラスの選手がいます。みんなを間近に見て、一緒に練習ができているので、そこでスピードを含めてかなりレベルアップできているのだと思います」
【駒大の目標は2022年度以来の駅伝三冠】
伊藤にとって、今回のレースを勝ちきれたことは大きな自信になっただろう。タイムを出すことも大事だが、やはり勝負レースは「勝ってなんぼ」であり、伊藤が目指すのも「速く、強い選手」だ。
残念ながらユニバへの出場はかなわなかったが、今後は7月の日本選手権5000ⅿの申込資格記録(13分38秒00)、さらには13分30秒切りを目指すことになる。
そして、夏の合宿を経て、秋からは駅伝シーズンだ。駒大は山川拓馬(4年)が主将を務め、伊藤、佐藤、帰山侑大ら4年生が支えていくことになる。
「山川は、たぶん周りから見たらほわほわしてると思うんですけど、チームのこともしっかり見てくれますし、キャプテンの責任感というのは、前回の箱根が始まる前からその雰囲気が出てきていました。それが今、チームをまとめるうえで出ているので、すごくいいキャプテンだと思います。ただ、山川に頼りきるのではなく、自分たちが山川を支えて進めていけたらと思っています」
伊藤は最上級生になり、これまで以上に後輩たちの面倒を見るようになった。練習を俯瞰し、自分より設定(タイム)が下の後輩たちの動きを見て、「こうしたほうがいい」とアドバイスすることもある。
また、昨年の夏は、主将の篠原がチームの戦力を引き上げるためにGgoatの海外合宿に帯同せず、大学での合宿に参加したことでチームが活気づき、変わる様を見てきた。今季は自分たちがそういう存在にならなければという意識が強い。
「チームについては、僕らの学年が駅伝に関してはかなり本数を走っているので、引っ張っていかなければいけないのは当然ですし、自分たちもそのつもりでシーズンに入っています。昨年に比べて1年生が元気よくレースに出て、練習もやってくれるので、今のところうまく進んでいるかなと思います。僕の学年が中心となって、最後、目標を達成したいですね」
今季の駒大の目標は、2022年度以来の三冠達成だ。伊藤が身につけつつある「強さ」が個人種目はもちろん、駅伝でも発揮されれば、チームが勝ちきることにつながっていくだろう。