2025年に4月に発売された『物語のある中世ヨーロッパ解剖図鑑』(エクスナレッジ)はヨーロッパ中世史を専門とする歴史学者の河原温氏がイラストのビジュアル付きで中世の文化、慣習、生活をまとめている書籍だ。中世ヨーロッパに存在した身分ごとにセクションを分けて構成されている。前回は同書の3つのセクションの一つ「祈る人」について書いたが、今回は第二のセクションである「戦う人」ついて取り上げていきたい。
人気マンガ『チ。-地球の運動について-』に登場する異端審問官は戦力として武装した騎士団を連れていた。もともと騎士とは聖地エルサレムの奪還を目的にした12世紀の十字軍をきっかけに生まれた役割であり、ローマ教皇に公認された修道会により設立されたものだった。
『チ。』に登場するのは初期の騎士団であり、キリスト教と結びついた騎士団だったのだろう。テンプル騎士団、ドイツ騎士団、聖ヨハネ騎士団が特に有名で、この三つは中世ヨーロッパの三大騎士修道会と呼ばれている。ヨハネ騎士団は後にマルタ騎士団と名前を変え、現在も存続している(イタリアのローマに本部/首都がある)。
カトリックの修道会から派生した騎士だが「キリスト教の戦士」という崇高なイメージがあったことから、王や貴族もこれを真似するようになる。騎士は叙任されることによって得られる「役割」であり、貴族などの「身分」とは異なるが叙任されるのは貴族の子弟がほとんどだったようだ。このようなキリスト教とは関係ないところから派生した騎士団を「世俗騎士団」という。神を信仰し、王に仕え、異教徒と戦い、弱きものを助ける「騎士道」のイメージは中世を通じて形成されていく。ブリテンの伝説的な王「アーサー王」、カール(シャルルマーニュ)大帝に仕えた「十二勇士」の伝説が中世で大人気になったのは中世を通じて「騎士」という役割が確立されたためである。
これは筆者の私見だが、中世ヨーロッパの文化において特に「キリスト教」と「アーサー王伝説」は教養として知っておいた方がいい。この二つは多くのフィクション作品で直接的、間接的に題材になっているため元ネタを知っておいた方がより楽しめる。アーサー王とシャルルマーニュ十二勇士は伝説上の存在だが、実在の人物で騎士道を代表する存在と言えばイングランド王リチャード一世だろう。
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勇猛果敢で「獅子心王」と呼ばれたリチャードは生涯の多くを戦場で過ごし、騎士の鑑と評価される人物である。リチャードはアーサー王を信奉しており、自身の愛用した剣をエクスカリバー(アーサー王が振るったとされる伝説の剣の名前)と呼んでいた。伝説上の義賊であるロビン・フッドの物語にも助っ人として登場する。サッカーイングランド代表のエンブレムは3頭のライオンが描かれた「スリーライオンズ」だが、もとになっているのはリチャードが使っていた紋章である。
騎士は「戦うこと」が「役割」だが、中世ヨーロッパにおいて「戦い」を役割とする「階級」は主に「王族」「諸侯」だった。王は臣下である諸侯に領地を与え、領地を与えられた諸侯は領地を経営し、領民を保護した。歴史の常識レベルの用語なのでわざわざ書くのが少々憚られるがこれを「封建制」と言う。諸侯の「公爵」「侯爵」「伯爵」などの「爵位」は貴族としての階級を表しておりこれらはそれぞれの諸侯が持つ領地の広さや重要度を表している。伯爵はファンタジーに特によく出てくるような気がするのだが、爵位としてはそこまで高くはなく、最上位の公爵が王に次ぐ地位で広大な領土(公国として独立自治するほど)を持つのに対し、伯爵の領土は一都市レベルである。
諸侯は王に対して軍事力を提供したが、当時の慣習で諸侯を戦闘に動員できるのは年間40日までだった。そのため、戦争がしたい王族は傭兵を雇った。内陸国でこれといった産業が無かったスイスは中世では傭兵の輸出を主産業としていた。現在のスイスは永世中立国なので、戦力を派遣することはできない。ただ一つ、例外としてバチカンのスイス衛兵は中世以降の伝統として許可されている。最近のニュースでよく見かけるバチカンにいる派手な格好をして槍を持った衛兵である。伝統装束と伝統的なアナログ武器を持っているが、オートマチックのハンドガンやアサルトライフルなどの近代兵器ももちろん持っている。
傭兵はフィクション作品に多く登場する。『ヴィンランド・サガ』のトルフィンもアシェラッドも傭兵なら『チ。-地球の運動について-』第2部の中心人物オクジーも傭兵で、ノヴァクも元傭兵である。中世ヨーロッパにおいて傭兵はありふれた存在だった『ヴィンランド・サガ』にはアシェラッドやトルケルの兵団が平然と民間人から略奪をしている描写が度々あったが、中世当時の傭兵団は国から打診が無い場合は定期的に略奪をして生計を立てていた。予備知識なしで見ると「傭兵」ではなく「ただの荒くれもの」に見えてしまうが、当時の傭兵団によって略奪は当たり前の日常だったのだ。
戦争になると騎士が捕虜になることもある。典型的ファンタジーだと捕虜は「くっ殺せ!」だが、実際のところ捕虜は身代金と交換なので丁重に扱われた。『ヴィンランド・サガ』のアシェラッドの回想エピソードで、アシェラッドが捕らえた捕虜が横柄な態度を取る場面があったが、同エピソードには身代金に関する言及もあった。劇中でも説明はされているが知っておいた方がこういう描写はより楽しめると筆者は思う。
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『チ。』の劇中で、オクジーが決闘を代行をしている描写があったが、中世の騎士道から生まれた文化に「決闘」もある。「決闘」は「名誉の回復」、「恨みを晴らす」ために行われたが「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」というキリスト教の信仰を背景に原告と被告の両当事者が決闘を行う「決闘裁判」も存在した。
決闘はのちに法律で禁止されるが、エリック・ジェイガー(著)『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』(早川書房)は14世紀末実際に起きた最後の決闘裁判を題材にしている。同書はリドリー・スコット監督により『最後の決闘裁判』(2021年)として映画化されているので興味がある方にとっては、おすすめの作品である。
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