教師である私が、不登校の息子を引きずるように家から連れ出し…どん底から親子で笑顔を取り戻すまで

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2025年05月08日 20:50  All About

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不登校の悩みは、多くの保護者にとって切実です。この困難を乗り越え、親子が共に笑顔を取り戻すにはどうすればよいのでしょう? 不登校を乗り越えた親子のストーリーを1つ、ご紹介します。
増え続ける不登校。その現実に悩む保護者は本当に多くいらっしゃいます。この悩みは、学校現場を知る教員であっても例外ではありません。教職という立場でありながら、わが子の不登校に直面し、深く苦悩する方も少なくないのです。

不登校の経験は、親子にとって非常につらく、困難なものとなりがちです。ですが、この出来事が、その後の人生における大きな気付きや価値観の見直しのきっかけとなることもあります。そして、その経験を通して、親子で再び笑顔を取り戻すことも決して不可能ではありません。

今回は、まさにそうした経験を通して、新たな道を見出した元教員・堀美香さんのストーリーをご紹介します。堀さんはわが子の不登校を機にご自身の内面と深く向き合い、新たな学びを経て、現在は不登校支援の場「オルタナティブスクール I’m(アイム)」を運営されています。

この堀さんの体験談は、不登校という現実の中で見つけた「親自身の変化が子どもの変化を促す」物語です。今、お子さんの不登校に悩む全ての保護者の方へ、この記事が、前を向くためのヒントや勇気となれば幸いです。

ここからは、堀美香さんの言葉でつづっていただきます。

「そのうち慣れるだろう」とは思っていたけれど……続く毎朝の葛藤

「オルタナティブスクール I’m(アイム)」を運営している元教員の堀美香さん<span style="font-size: 0.961em;"> </span>

息子の不登校は、小学校入学後、ほどなくして始まりました。少人数の保育園から一転、春休み中に通い始めた大人数の学童保育に戸惑った息子は、入学式の翌日から学校に行くのを強く嫌がるようになったのです。

当時小学校の音楽教師だった私は、入学式でのピアノ演奏を控えており、行きたくないと泣く息子を無理やり車に乗せ、学校へ連れて行きました。ほかにも行き渋る子はいましたから、「そのうち慣れるだろう」と、どこかで軽く考えていたのです。ですから、最初の1週間は、朝晩の送迎をしながら多少強引にでも学校に行かせていました。

しかし、2週間目に入っても息子の学校への拒否感は変わることはありませんでした。毎朝、泣きながら「行きたくない」と訴え続けたのです。担任の先生にも相談しましたが、返答は「とにかく学校に連れてきてください。来てくれたら何とかします」というもの。息子の気持ちに寄り添うというよりは、とにかく登校させることを最優先とする対応でした。

息子の抵抗は日に日に強まり、毎朝の押し問答はエスカレートする一方。私自身も、職場への遅刻が増えていきました。

そして、ゴールデンウイーク明けのある朝のことです。これまで以上に激しく登校を拒否する息子を、文字通り引きずるようにして家の外へ連れ出したとき、私の感情が爆発しました。自分でも信じられないほど怒りがこみ上げ、涙が止まらなくなったのです。

息子への怒りと、彼を引きずり回している自分自身への嫌悪感。「もう、これ以上は無理だ」。そう悟った私は、残された力を振り絞るように連絡帳へ「しばらく休ませます」と書き記し、自分も職場を休むことにして、「親子で休む」ことにしました。

不登校の親子は「かわいそう」なのか?

息子は、学校を休んでいる間に「僕なんていない方がいいんだ」と口にするように……。その言葉に、このままではいけないと強く思いながらも、どうしていいのか分からず、親子ともに心が病んでいきました。

また、休職していることに対する罪悪感も大きく、自分を責め続けていました。

何よりもつらかったのは、私たちを「不登校親子」として見る世間の、同情の色を帯びた目。「かわいそう」と見られることに強い嫌悪感を覚え、違和感を拭えずにいたのです。

確かに親子で苦しんではいたものの、私たちはただ憐れまれるだけの存在ではない、そう信じていました。

不登校がくれた「原点回帰」の問い

私は、自分のこれまでの価値観を見つめ直す必要があると強く感じました。

そんなときに頭に浮かんだのが、教員という道を選んだ原点です。

私が教員を志すきっかけとなったのは、小学校6年生のときに出会った先生でした。その先生は、一人ひとりをしっかり見てくれて、よいところだけでなく課題もしっかり伝えてくれる方でした。

それまでの私は、優等生として扱われるばかりで、課題を指摘されることはほとんどありませんでした。しかし、その先生だけは、そんな私をそのまま受け入れつつも、足りない部分を示し、気付きを与えてくれました。「こんな先生になりたい」と強く思い、教員になりたいと思ったのです。

今後のキャリアについて考えていたとき、SNSで偶然見つけたのが、コーチング塾でした。教員としての価値観を根底から問い直すような、その塾の発信内容。それが、小学校時代に憧れた先生の姿と重なって見えたのです。

「もしかしたら、ここが今の自分を変えるきっかけになるかもしれない」。そう強く感じた私は、思い切ってコーチングを学んでみることにしました。

「なるようになる」親子で取り戻した笑顔

堀美香さんと息子さんたち

この学びを通じて、私は自分の人生を深く振り返るようになりました。

それまでの私は、世間の価値観や周囲の期待に応えることばかりを考えていました。その根底には、心の奥深くに埋もれていた「自分にも他人にも厳しい性格」があったのです。それが、息子に過度な期待を押し付け、完璧を求めていた自分を形づくっていました。

このことに気付いた後、「ない」ものばかりに目を向ける完璧主義から「ある」ものに光を当てるマインドへと意識が変化しました。これにより、本当に自分が求めていることや、心からやりたいと思えることを考えられるようになったのです。

そして、同じように不登校に悩む子どもや保護者に寄り添い、共に歩んでいけるフリースクールをつくるという夢が生まれました。

不思議なことに、私が自分の人生に主体的に向き合い始めると、息子も少しずつ変わっていきました。息子に「学校に行くべきだ」と押し付けるのではなく、私自身が自分の幸せを大切にするようになったことで、息子もまた「学校に行く」という選択を自らするようになったのです。

今、私は「なるようになる」という言葉を大切にしています。たとえ苦しい時期があっても、焦らずに自分自身の内面を見つめることで、親子ともに笑顔を取り戻せると信じているから。

もし今、不登校の子どもと向き合い、悩んでいる保護者がいたら、「まずはご自身の人生を大切にしてみてください」と心から伝えたいです。親が幸せそうに生きている姿は、何よりの希望となり、子どもも自然と笑顔になる。そのことを、私は身をもって実感しました。

元教員のプロコーチ、ドラゴン先生からのコメント

不登校に直面したとき、多くの保護者が子どもの将来への心配から深く悩んでしまいます。その根底には、「他の子ができているのに、なぜうちの子は……」という無意識の否定や焦りもあるでしょう。

また、不登校の原因を1つに特定し、何とか解決しようと試みる保護者も多いようです。しかし、原因が複雑に絡み合っていたり、本人でさえ明確には分かっていなかったりするケースも少なくありません。

原因追究に固執するよりも、まずは子どもの気持ちに静かに寄り添い、「一緒にどうすればいいか考えていこうね」という姿勢で関わっていくことが大切だと感じています。学校に行けているかどうかにかかわらず、子ども自身の価値は何ひとつ変わらないのですから。

悩みの渦中にいる保護者の多くは、堀さんのように、自分自身への否定や周囲の視線を過剰に気にして苦しんでいます。

私がコーチングを通じて多くの不登校家庭と関わる中で強く感じるのは、まずは保護者自身が、自分の内面と向き合うこと、物事のとらえ方を変え、そして何より「自分の人生を生きる」こと。このプロセスこそが最も重要だということです。

実は何を隠そう、私の娘も不登校を経験しており、当時妻はひどく思い悩んでいました。しかし、妻自身が自分の課題と向き合い、「自分がどう生きたいか」を見つけ、自分らしい人生を歩み始めたとき、娘が学校に行かないことが「悩み」ではなくなってきました。

このことからも、「パパやママの笑顔こそ、最高の教育である」と断言できます。

坂田 聖一郎プロフィール

教員を13年間経験した後、独立し「株式会社ドラゴン教育革命」を設立。「学校教育にコーチングとやさしさを」コンセプトに、子どもたちがイキイキと学べる教育を実現できる世の中を学校の外から作りたいという想いで活動する教育革命家。
(文:坂田 聖一郎(子育て・教育ガイド))

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