アレッサンドロ・ネスタこそCBの完成形 ファーディナンドも絶賛「学ぶべきプレーが山ほど」

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2025年05月09日 07:20  webスポルティーバ

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世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第12回】アレッサンドロ・ネスタ(イタリア)

 サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。

 第12回は連載初のディフェンダーとして、イタリア代表のアレッサンドロ・ネスタを紹介する。守備を芸術の域にまで昇華したミランの名DFは、もっと語り継がれるべき存在だ。

   ※   ※   ※   ※   ※

 1980年代後期に花開き、永遠に続くかと思われたカルチョ・イタリアーノの栄華が、1990年代中期に入ると緩やかな下降線を描き始める。放映権バブルの崩壊や八百長工作の火種がくすぶり始め、プレミアリーグの急速な台頭も目障りだった。

 それでも、パルマのエルナン・クレスポとエンリコ・キエーザ、フィオレンティーナのガブリエル・バティストゥータ、インテルのロナウド、ミランのアンドリー・シェフチェンコなど、超一流のストライカーがハイレベルな得点感覚に磨きをかけていた時代でもある。

 そんな彼らが、こぞってひとりのDFを高く評価していた。

 アレッサンドロ・ネスタである。

空中戦、1対1に優れ、しなやかでパワフルなタックルは一撃必殺。また、スピードにも秀でていたため、快足ウイングですら、いとも簡単に封じ込めた。なおかつ、丁寧なフィードが攻撃の起点となるケースもしばしばあった。

 これといった欠点のないDFであり、近代フットボールでも十二分に通用すると筆者は堅く信じている。戦略・戦術の理解度も高く、3バックも4バックも難なくこなしたワールドクラスのDFだ。

 ラツィオでプロデビューした1993年から、いや、下部組織で研鑽を積んでいた1980年代中期から、ネスタは注目されていた。ミラン、インテル、ユベントスといったライバルが何度となく引き抜きを図った事実が、この男のポテンシャルを証明している。

【愛するラツィオを助けるために】

 ネスタ獲得に向けた動きは、特にミランが熱心だったという。当時、強化担当責任者だったアドリアーノ・ガリアーニ(現モンツァCEO)が将来のDFリーダーとして、当時まだ15歳のネスタ少年に接触を図ったとの噂がまことしやかに囁かれたこともあった。ミランに移籍する2002年の伏線は、すでに張り巡らされていたと考えたくもなる。

 前出した名うてのストライカーと対峙するうちに、ネスタは急速な進歩を遂げた。天性のポテンシャルに経験が裏打ちされるのだから、その実力はさらに向上していく。

 そして1999−2000シーズン、ネスタを擁するラツィオはスクデットとコッパ・イタリアの二冠に輝いた。クラブ史上初の快挙である。

 中盤にパベル・ネドベト、フアン・セバスティアン・ヴェロン、ディエゴ・シメオネといった通好みの異能者を揃えていたとはいえ、最終ラインの落ち着きがあったからこそ彼らは実力を発揮できた、と言って差し支えない。

 このシーズン、ネスタはイタリア最優秀DF賞に選出されている。

 だが、好事魔多しとはよくいったもので、順風満帆に思えたキャリアに試練が訪れる。

 2002-03シーズン、無計画な経営で財政難に陥ったラツィオは、主力の放出を余儀なくされた。資金繰りの悪化は絶望的な状況だ。セルジョ・クラニョッティ会長(当時)は破産寸前にまで追い込まれていたのである。

 その時、かねてからネスタに興味津々だったミランが獲得に名乗りを挙げる。バンディエラ(イタリア語で旗頭の意)の放出に抗議するラツィアーレ。この事態はネスタが修復するしかなかった。

「愛するラツィオを助けるための移籍だ。わかってほしい」

 忸怩(じくじ)たる思いで言葉を絞り出すネスタに、ラツィアーレは従うしかなかった。移籍金は1000万ユーロ(当時約13億円)。クラニョッティ会長は破産を免れた。

 この補強で、ミランは息を吹き返す。

【個の技術でうならせるDF】

 20年ほど前の彼らは、前線にフィリッポ・インザーギ、シェフチェンコ、リバウド、中盤にもルイ・コスタ、アンドレア・ピルロ、クラレンス・セードルフなどの実力者を擁したものの、パオロ・マルディーニを除くDF陣は凡庸だった。ネスタは喉から手が出るほどほしい人材だ。

 極上のDFによって最終ラインが安定したミランは、PK戦にまでもつれ込んだユベントスとのチャンピオンズリーグ(CL)決勝を制し、ヨーロッパのテッペンに立つ。

 その後も2004-05、2006-07シーズンに決勝へ進出。後者では「イスタンブールの奇跡」のリベンジも果たした。ヨーロッパチャンピオンとして出場したクラブワールドカップでは、アルゼンチンのボカ・ジュニオルスを下して世界も制覇している。

 だが、2000年代中期に発覚したカルチョポリ──いわゆる八百長事件によって、イタリアサッカー界全体が競争力を失う。ネスタが所属するミランも例外ではなかった。

 悪意に満ちた好奇心と、猜疑(さいぎ)心にあふれた視線が突き刺さる。好プレーを見せても「裏に何かあるに決まっているではないか」と、メディアもサポーターも端(はな)から信じようとしない。

 カルチョは坂道を転げ落ちていった。名将ジョゼ・モウリーニョ率いるインテルが2009-10シーズンのCLを制したあと、セリエAのクラブは一度もヨーロッパ最強の座に就いていない。カルチョポリの代償は大きかった。

 ただ、ネスタを絶賛する関係者は今も少なくない。同じ時代にしのぎを削ったリオ・ファーディナンド(元イングランド代表DF/マンチェスター・ユナイテッド)も、カルチョが誇る名手を絶賛するひとりだ。

「1対1を迎える前のアプローチ、ポジショニング、読み・予測、フェイク、誘導、身体の入れ方、腕の使い方など、現代フットボールのディフェンダーはネスタから学ぶべきプレーが山ほどある。

 最後に身体を張りさえすればいいんだろって考え方は、あらためたほうがいい。個の技術でうならせる現役選手は、リバプールのフィルジル・ファン・ダイク、アーセナルのウィリアン・サリバ......数少ないね」

【ネスタの名前は決して色あせない】

 2000年代中期のミランは、30代半ばを迎えてフィジカルが衰えてきたマルディーニを、ネスタのスピードとアジリティがカバーしていた。快足FWに先手を取られても瞬時に補えるのだから、対策の施しようがない。

 しかも、187cm・79kgという恵まれた体躯を強引に活かすわけではなく、慎重かつ理知的な状況判断に基づく対応は、美しくさえあった。ボールだけを正確に絡めとるスライディングタックルを「芸術」と評しても決して大げさではない。

 ネスタ本人の責任ではないが、カルチョポリによって正当な評価が下されていないような感がある。イタリア代表では度重なるケガに悩まされ、ワールドカップやヨーロッパ選手権の本戦では活躍できなかったこともマイナス要素だ。

 だが、アレッサンドロ・ネスタの名前は決して色あせない。彼の引退後10年、守備を芸術の域にまで昇華したDFには、まだお目にかかっていない。

 強くて速くて美しく、理知的に守る......。ネスタこそがセンターバックの完成形である。

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