
24年9月から週プレNEWS(集英社)でスタートした小田原ドラゴン渾身の新作漫画『堀田エボリューション』。果たして小田原ドラゴンという奇才はどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのか。ジックリ語っていきます。
連載第12回は文藝春秋漫画賞を受賞した「コギャル寿司」についてのお話です。
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ヤンマガ(週刊ヤングマガジン・講談社)で、拙作『おやすみなさい。』(全8巻)の週刊連載が始まりましたが......本当にしんどかったですね。
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当初、僕は『おやすみなさい。』にギャグ漫画という意識を持っていなかったんですけど、編集者から「ギャグ漫画」と言われていたので、だんだん僕も「ギャグ漫画かな?」と思うようになっていった。
どうにか毎週、話にオチをつけるようにやっていきましたが、ついこの間までズブの素人だったわけですからしんどくてしんどくて。本当にきつかったですね。
そんなときに『おやすみなさい。』が好きだという、『(隔週誌のヤングマガジン)アッパーズ(講談社)』の編集長から、「何かやりませんか」と言われたんです。99年の話ですね。
ちなみに、この編集長は筋肉ムッキムキの、ワイルドにも程がある武勇伝を持つ人でした。
僕の頭の中に『コギャル寿司』の構想はありませんでした。アッパーズの編集長から話をもらってから中身は考えました。
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主人公をコギャルにした理由は、『おやすみなさい。』の主人公が男子だったので、アッパーズで連載するなら主人公は女子かなと。下火になりかけていましたが、それでもコギャルがまだ騒がれていた時代だったので......コギャルに決めました。
実際、『コギャル寿司』の連載が始まって......手応えは全然なかったですね。当時、『おやすみなさい。』も『コギャル寿司』も毎回毎回納得いってなかったんですよ。本当に悩みに悩んでいたので、原稿を出すのはいつも締め切りギリギリでしたね。
だから、『コギャル寿司』で文藝春秋漫画賞を受賞しましたが、僕は「辞退しようかな」と思っていたほどで。それぐらい作品の内容に納得していなかったんです。
ところが、そんな僕のもとに仕事のオファーが次々に舞い込んできて......。
《つづく》
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