消えた笑顔、日に日に実感=夫亡くした妻、「悲しみ薄れない」―首都高6人死傷から1年

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2025年05月14日 07:31  時事通信社

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時事通信社

首都高速6人死傷事故で、亡くなった杉平裕紀さんの遺影。奥は妻智里さん=8日午後、東京都内
 首都高速池袋線で渋滞の列にトラックが突っ込み、6人が死傷した事故は、14日で発生から1年となる。事故で亡くなった会社員杉平裕紀さん=当時(42)=の妻智里さんが取材に応じ、「主人がいないことを実感する毎日で、悲しみが薄れることはない」と声を詰まらせた。

 昨年5月14日昼ごろ、智里さんは、仕事に出掛けた裕紀さんが首都高で事故に遭ったかもしれないと連絡を受けた。テレビをつけると、燃え盛る車の映像が。裕紀さんの乗る社用車の位置情報が事故現場付近で止まっていると勤務先から知らされた。無事を願い電話をかけたが、折り返しはなかった。身体の震えが止まらなかった。

 高校3年の長男、中学3年の長女と一緒に帰宅を待ったが、裕紀さんは帰ってこなかった。冷蔵庫には前日に裕紀さんが用意してくれたハンバーグがあった。最後の手料理かもしれない。「お父さんが作ってくれた夕食だから食べよう」。泣きながら口に押し込んだ。

 DNA型鑑定などで身元が確認され、遺体と対面できたのは2週間後だった。真っ黒に炭化し、目も鼻も分からなくなった裕紀さんの頬を両手で包み「つらかったね。迎えにきたよ」と涙ながらに語り掛けた。

 追突したトラックに乗っていた降籏紗京被告(29)=過失運転致死傷罪で起訴=は数日前から発熱しており、事故の直前、眠気に襲われ意識を失った。警察や弁護士の話で事故の詳細を知るたびに、「自分で休む判断ができなかったのか。こんな状態で運転して『過失』なのか」と疑念が尽きない。

 過失罪で裁かれることに「命が軽く見られている」と語気を強める。体調不良のままハンドルを握った責任は重いとの思いが拭えず、智里さんらは20日からの公判に向け、危険運転致死傷罪への訴因変更を求める要望書を東京地検に提出している。

 事故が起きるまで、幸せな4人暮らしだった。夕食後、リビングで時間を忘れるほどだんらんを重ねた仲の良い家族だった。長女は事故の1週間ほど前、「お父さんみたいな人と結婚したい」と話した。照れくさそうに笑った裕紀さんの顔が忘れられない。

 どんなときも家族を優先した裕紀さん。長男の中学進学を機に6年間毎朝、子どもの弁当を作ってくれた。夏はいつも4人で海に行った。結婚して20年。「うれしいことも、悲しいことも、困ったことも何でも話せた。どうしても受け入れられません」。智里さんは今もリビングで裕紀さんに話し掛けている。返事はない。 

首都高速6人死傷事故で亡くなった杉平裕紀さんの長女が告別式で読んだ手紙=8日午後、東京都内
首都高速6人死傷事故で亡くなった杉平裕紀さんの長女が告別式で読んだ手紙=8日午後、東京都内


首都高速6人死傷事故で亡くなった杉平裕紀さんが運転中、追突され炎上した車(遺族提供)
首都高速6人死傷事故で亡くなった杉平裕紀さんが運転中、追突され炎上した車(遺族提供)

このニュースに関するつぶやき

  • 街中で危険な刃物を危険な使い方して人を殺めたら『殺人』なのに、それより大きな鉄の塊を危険な使い方して人を殺めても『殺人』にならないのはどう考えてもおかしな話。
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