梶谷隆幸が高森勇旗に明かす巨人移籍の真相 「ベイスターズひと筋で終わったほうが美しいとは思うんだけど...」

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2025年05月16日 07:20  webスポルティーバ

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梶谷隆幸×高森勇旗 ベイスターズ同期入団対談(全4回/4回目)

 2020年オフ、梶谷隆幸氏はFA権を行使し、長年プレーしたベイスターズを離れてジャイアンツへの移籍を決断した。かつてのチームメイト・高森勇旗氏に明かしたFA移籍の真実。その選択の裏にあったのは、「安定よりも変化を選びたい」という強い意志と、最後まで戦う覚悟だった。

【ベイスターズが強くなった理由】

高森 現役中はカジ(梶谷)が活躍すると、「くそっ! オレだって」という気持ちになったけど、2012年に引退してからは、心から応援できるようになったんだ。DeNAになってからベイスターズは、カジやゴウ(筒香嘉智)が中心選手になって、どんどん強くなっていくんだけど、なんで勝てるようになったと思う?

梶谷 うーん、空気かな。オレは小学校、中学校ってずっと弱いチームだったんだよね。だけど開星高校(島根)に入って、初めて自分の力じゃないのに勝てることを知った。気がついたら、当たり前のように勝つんだよ。その時にわかったことは、"勝ちグセ"というものがあるということ。その一方で、"負けグセ"もある。オレらが若手の頃、ベイスターズの一軍には村田(修一)さんや内川(聖一)さんというすばらしい選手がいたのに勝てなかった。「なんで?」って考えても、明確な理由はない。勝てない時というのは、そういう空気になってしまう。

高森 選手個々の力は、決して劣っていたわけじゃない。

梶谷 ベイスターズが勝ち出した頃、一番大きかったのは「オレたちいけるんじゃないか」って空気が無意識のうちにできたこと。もちろん、選手それぞれの技術も上がったんだけど、「勝てるでしょ」という空気だよね。言い方は悪いけど、5点差あっても「誰かが打つでしょ」って思えてしまう。そうした余裕が大きかったと思う。

高森 村田さんが2011年のオフにジャイアンツにFAで移籍し、プレースタイルが大きく変わったでしょ。構えが小さくなって、右方向にしか打たない。「どうしたんやろう?」って思っていた時に聞いたんだけど、「ジャイアンツは勝つことが当たり前だから、選手はチームの勝利のために必死でプレーする。とにかく負けたら居心地が悪いんだ。3連敗なんてありえない。異常事態だよ」って。

梶谷 それはあるね。ジャイアンツで3連敗した時は......もうお通夜のような雰囲気だった。それが、オレがいた時の横浜なんて「えっ、3連敗だっけ?」みたいな(笑)。

高森 いつもどおり(笑)。でも、2016年に初めてCSに出た頃は、野球に対する気持ちもたいぶ変わったんじゃない?

梶谷 そうだね。プロに入ってから「野球が楽しい」なんて、ほとんどの人が思わないだろうけど、あの頃は調子が悪くても一日の流れが楽しくなってきた。そういう雰囲気ができていたと思うよ。

高森 あの時代、オレは4番になったゴウをよく見ていたからわかるんだけど、彼は日本を代表するバッターになっても「弱小チームの4番でしょ。自由に打たせてもらえれば誰でも打てるわ」と言われるのが嫌で、「優勝する強いチームの4番になる」というのがゴウの目標だったんだけど、実現したからね。

梶谷 ゴウは本当にすごいヤツだよね。

【安定した場所で安心してやったらダメ】

高森 カジは基本的に「チームの勝利のために」というより、「自分のやるべきことをやればいいんでしょ」というタイプだからね。

梶谷 オレ、思ってもいないのに口先だけでキレイごとを言うのが嫌いなんだよ(笑)。そもそも「今日打てなかったら明日二軍」という若手は、チームのことなんて考えられない。そんな立場で「チームのために」と、なかには本当に思っている人もいるかもしれないけど、オレは胡散臭いと思っちゃう。

高森 たしかにね。

梶谷 だからオレはレギュラーという立場になって、ようやく自分の成績と心が落ち着いた段階で、初めてチームが勝つことにうれしいと思えた。自分のことだけじゃなくて、ちょっと周りにも視野を広げてみようかなと思えるようになったというかね。

高森 それでもカジは、最後まで完全にチームのことを見られる立場にはなっていないんじゃないの。2019年に心が折れる寸前までいって、スタイルを変えることを決めてから2020年に大活躍した。あのままいけばそういう立場になっていたかもしれないけど、その年のオフにFAでジャイアンツに移籍した。

梶谷 そうだね。

高森 カジは自ら望んで環境を変えて、ジャイアンツでまたイチからレギュラー争いに身を投じた。それは「オレはオレのためにしかやれない」という、すごくカジらしいとオレは納得したんだよ。

梶谷 たぶんあのまま横浜に残って、ベイスターズひと筋で終わったほうが美しいとは思うんだよ。でも、オレがどういう立ち位置で野球をやりたいかって考えたら、安定した場所で安心してやったらダメなんだ。選手はみんな考え方もスタイルも違うから、正解なんてないんだけど、少なくともオレは環境を変えて挑戦したいという思いがめちゃくちゃあったんだよね。

【ずっと何かに挑戦していきたい】

高森 カジがFA宣言した夜、一緒にごはん食べたでしょ。あの時、「おめでとう」って言ったよな。それは本当に心からの言葉で、高卒のほぼ同じ条件でプロに入った選手が、ベイスターズの主力になって、FAでジャイアンツに求められて行った。それはカジがどう決断したとか、そんなことを超越して「すげぇよ!」ってことだったんだよ。あのカジが......と。「親戚のお兄ちゃんがプロ野球選手になった」みたいな感覚でね。

梶谷 ありがとう。オレだって、モリ(高森)が引退してから、本当にすげえと思って見ていたからね。もともと、頭は相当いいヤツだとは思っていたけど、オレと同じように野球しかやってこなかったはずなのに、ビジネスで大成功して「なんなんだ、こいつは??」って感じだよ。ただ、オレにはモリが成功した理由がわかる。もちろん頭脳や才能はあるんだけど、横須賀であれだけひとつのことに打ち込める根気とあきらめない力。努力を継続する姿をずっと見てきたから。

高森 いやいや。オレはね、プロ野球選手に限らず、すべてのアスリートは今と同じ生活水準を2年間続けられるキャッシュさえあれば、引退しても絶対に次のキャリアでも浮上できるという確信があるんだよ。アスリートってひとつの道を極めた経験を持っているでしょ。何かを追求していくことに関して学習する期間が2年あれば、間違いなくいける。ただ問題は、2年間サバイブするだけの資金が足りずに、別のことに手を出してしまうこと。カジは、2年はいけそう?

梶谷 大丈夫かな......おっかないけどね。

高森 それなら大丈夫だ。"何かを極める"というプロセスには、もちろんうまくいかないストレスがあっても、「最初はうまくいかない」と思える耐性があるということ。カジはその経験値をものすごく持っている。ヒザは悪くても、体力だってまだ十分にある。なんだってやれるよ。

梶谷 これから何をやるにもラクな道はないと覚悟はしているよ。ただ現役の時と考え方は同じで、「現状維持のままでいいや」と思ったら、その瞬間に終わる。たぶんすべてが衰えるんだよ。ずっと何かに挑戦していきたいし、戦っていたい。つらいこと、たくさんあると思うけど、つらい方を選んだほうが、結果的に人生は楽しいんだと思うしね。

高森 いいね、最高だよ。本当に野球をやり尽くして燃え尽きたからこそ、次のステージに行くにはもう一回気持ちを入れるカロリーが必要だぞ。カジ、燃えてるか?

梶谷 メラメラだわ。メラメラに燃えているよ。


梶谷隆幸(かじたに・たかゆき)/1988年8月28日生まれ。島根県出身。開星高から2006年の高校生ドラフト3巡目で横浜ベイスターズから指名を受け入団。13年に16本塁打を放ちブレイク。14年に39盗塁をマークして、盗塁王のタイトルを獲得。20年オフにFA宣言し、巨人に移籍。21年は開幕からレギュラーとして結果を出していたが、7月に死球を受けて右手甲を骨折。9月には椎間板ヘルニアの手術を受けるなど、61試合に出場にとどまった。24年シーズンは開幕スタメンを果たし、ライト守備であわや逆転のピンチを救う超ファインプレーで勝利に貢献するも、ケガには勝てず現役引退を決断した。


高森勇旗(たかもり・ゆうき)/1988年5月18日生まれ。富山県出身。中京高(岐阜)から2006年の高校生ドラフト4巡目で横浜ベイスターズから指名を受け入団。09年にイースタン最多安打を記録し、プロ初安打も記録。12年に戦力外通告を受け引退。翌年よりデータアナリスト、ライター、イベントディレクターを経て、現在は企業のエグゼクティブコーチングを行なう「株式会社HERO MAKERS.」の代表取締役を務め、一部上場企業を含む30社以上の企業変革に関わる。著者に、『俺たちの戦力外通告』(Wedge出版)、『降伏論』(日経BP)、『勇気が出る旅』(ワニ・プラス)がある。

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