
Text by 今川彩香
キラキラの宝石に覆われた身体。人の顔がついた、ふわふわの大きな人形。おもちゃのようなイラストタッチで縁取られたお花や家具——。
色鮮やかでかわいらしく、一見ポップでキャッチーに見える、美術作家、みょうじなまえの作品。背景や文脈をよく見つめると、「ドロドロ」とも表現できるような、シニカルな視点や、言い難い苦しみも詰まっている。
みょうじは、女性の身体、性、アイデンティティとその消費をめぐる問題をテーマに作品を制作するアーティスト。服飾雑貨の制作、販売を行いながら10浪を経て東京藝術大学へ入学し、作家として活動を始めた。ファッションや雑貨に携わった経験を礎にポップな表象を扱いながら、その生い立ちから女性としての身体への違和感など、フェミニズムへの眼差しを内包する。
今回は、そんなみょうじにロングインタビュー。ときに苦しい体験をも作品に落とし込むみょうじは、その制作を「自己治癒的なものでもある」と語り、さらには普遍性も持たせたいと語っている。美術作品がもたらす救いとは何だろう? 『人形の家』(2022年)、『バベルとユートピア』(2023年)などのいくつかの作品を挙げながら、その背景や歩みを紐解いていきたい。
—みょうじなまえさんは、東京藝術大学の学部生時代からたくさんの作品をつくられていると存じますが、美術作家としての起点はどこからだと考えられていますか?
みょうじなまえ(以下、みょうじ):そうですね。単純に作品の強度の問題で——作家として発表したいと思えるものが学部時代の課題作品にはそこまで多くなくて。だから、自分が作家としてスタートした地点としては大学の卒業制作からかな、と思っています。
|
|
みょうじ:テーマとしては、消費される女性の身体のことや、どれほど自分の体の表面を着飾っても肉体の檻からは抜け出せないので、そういう苦しみみたいなものをかたちにしたものでした。自分の身体に対する否定的な感情や罪悪感、自己嫌悪でがんじがらめになっている時期で、自罰的な感情に支配されてつくった作品でした。
みょうじなまえ
1987年、兵庫県生まれ。東京藝術大学絵画科油画専攻卒業。自身のこれまでの体験を契機として、女性の身体、性、アイデンティティとその消費をめぐる問題をテーマに作品を制作している。
—ポップでキャッチーな印象の作品に、シリアスな意味合いや問題提起を内包するような、そんな作風は東京藝大の学部生時代の作品からすでに確立されていたんでしょうか。
みょうじ:そうですね。私は東京藝大には10浪をして入学しているのですが、ずっと浪人をしているわけにもいかなかったので、予備校は早々に出て、ずっと服飾雑貨の制作と販売をしていたんですよね。雑貨なので、ポップで万人がかわいいと思えるようなデザインのものをつくっていた関係で、そういうテイストを使う手法は、大学に入学したはじめのころから自分のなかにありました。
|
|
みょうじ:東京藝大の油絵科って、卒業制作に合わせて、自画像の提出が義務としてあるんですけど、自画像として提出した作品でした。
みょうじ:じつはその写真作品になる前段階のインスタレーション作品もあって。それが『ラブリー♡マミちゃん』という、いまでも続けてシリーズでつくっているものです。社会から求められる女性性をギュッと煮詰めて抽出したみたいな要素で作られた、おもちゃのインスタレーションなんですけど……。
私自身、かわいらしいものも大好きなんですけど、でもかわいいものって、女性を例えば処女性や良妻賢母のようなロールモデルに縛り付けるものなのか、はたまた、抜け出すためのエンパワーメントをしてくれる機能を持ってるのか、果たしてどっちなんだろうみたいなところで悩んでいて。答えはまだ全然出ないんですけど、そのモヤモヤをかたちにした作品ですね。
—キラキラがチープさの象徴にもなっている反面、たしかに愛らしい面も強いですよね。その両面性は、みょうじさんのなかでも迷われている部分でもあったんですね。
|
|
基本的に私がつくる作品って、どうしようもないって言ったらあれですけど……たしかにそこにあるのに出口がない、みたいなものをかたちにしていることが多いので、正解もないし、出口もない、みたいな……。「私、わかんないから、でもみんなで考えてほしい」といったような思いもちょっとあるかもしれないですね。
—「みょうじなまえ」という名前に込められた思いは?
みょうじ:私は、兄と姉がいる、3人兄弟の末っ子として育ちました。母は、3人目はどうしても男の子がほしかったようなんですが、残念ながら、生まれたのは娘の私だった。子どもって結構、親の欲求に敏感ですよね。だから小さい頃でも、母のそういう思いを肌感として感じ取っていたのか、彼女の理想の息子であるような自分を演じていたんですよね。それは子ども時代の自分なりのサバイバル術だったのかなと思うんですけどね。
そういう環境で育ったせいか、私はいまでも、自分が女性の身体を持っていることそのものに違和感や嫌悪感があるんです。さらに、その問題が複雑になってしまった出来事があって。10年ぐらい浪人をしていた最中に、パートナーの人とのあいだに子どもができて、人工中絶を経験しました。それから、もともと不安定だった自分の性自認に関することがぐちゃぐちゃになってしまって、大きなアイデンティティクライシスみたいなものを迎えてしまった。
名前って、性別であるとか、国籍もそうですけど、ものによってはその出身地や身分みたいなものを表している記号だと思います。当時私は、そういったものを全部脱ぎ捨てて別の何かになり変わりたかった。あるいは、さまざまな属性に縛られない「本当の自分」みたいなものを見つめてみたかったんじゃないかな、といまとなっては思います。
私の作品はポップな表象をしながら、中身がドロドロといいますか、シリアスな作品が多くって。そういうところからも非常に私らしい名前だなと思って、気に入って使っています。
—そもそも東京藝大を目指したきっかけは?
みょうじ:もともと東京藝大を目指したきっかけが、3浪目ぐらいのとき、東京藝術大学の美術館で開催されていた『異界の風景』展という、教員が出展されている展覧会を、予備校のみんなで見に行ったことがあって。そのときに見た、小山穂太郎さんの『Phantom/--逃げ水--』という作品に、すごい衝撃を受けたんです。
その当時まで私、ずっと真面目に油絵を描いていたんですよね。でも、小山先生の作品で、水面に映っている自分の像をずっと見ているとまるで自分の身体がスーッと消えていくみたいな感覚になって。作品を自分の身体感覚と……リンクというか、自分の体を連ねていくみたいな印象、それを初めて美術作品から受けて感動しました。それ以降ずっと、絵画ではない美術作品の制作を続けてきました。
—みょうじさんの作品には、フェミニズムの文脈が内包されていますね。それは身体をモチーフや主題として扱ううえで、辿りつかれたということでしょうか?
みょうじ:もともと学部時代は、フェミニズムの意識が私のなかにまったくなくて。服飾雑貨の制作販売をしていたこともあって、ファッションのほうに興味があったんですよね。
ファッションと身体というのは、切っても切り離せない関係なので、学生時代は鷲田清一さんの『ちぐはぐな身体』や『モードの迷宮』がすごく好きで、めちゃくちゃ影響されていて。学部生のときもそういうものを引用して制作をしていたんですが、そのあと笠原美智子さんの『ジェンダー写真論』を友人にすすめられて読んだ際に、「あ、私が身体を使って心までつくっていたことの、根源的な問題っていうのはここにあったんだな」って、自覚的になる機会をいただけたもんで。特にその3冊が制作の軸になっていましたね。
—『ジェンダー写真論』の一節は、展覧会でも引用されていましたよね。
みょうじ:もともとはフェミニズムって怖いと思っていて。自分のなかの勝手なイメージで、ヒステリックな女性がずっと何かに怒りをぶつけている……みたいなイメージが先行していたんですが、『ジェンダー写真論』を読んで、そういうことじゃないんだなって。これは人権や人の尊厳の問題で、大切なことなんだって思いなおさせられました。
—学部生を卒業されて、大学院へ進学されますが、自主退学されています。
みょうじ:コロナ禍で交換留学が使えないタイミングのときで、ちょうど小山先生も退官される年だったんです。小山先生もいなくなっちゃうし、海外行けないし、私何してるんだろうって。じゃあもう1人で生きていこうと思って、飛び出しました。
—フェミニズムの作品をやっていくなら、海外でやったほうがいいよ、というアドバイスがあったことも理由としてあったんですよね?
みょうじ:いろんな方からそういうアドバイスをいただいていて。在籍していた小山先生の研究室もたくさんの学生を海外に出す風潮だったので、なんか私一人行きそびれてしまったみたいな(笑)。
—そのあと、フェミニズムを軸としてやってる作家さんが日本に少ないならば、むしろ日本でやっていこうという決意をされたんですよね。
みょうじ:やっぱり、欧米と比べてフェミニズムに対する理解度や解像度がめちゃくちゃ低いので、日本は。でも自分の生まれ育った国でもある。だから、本当にもっとそういうものに対する認知度を上げていくことができれば——私はあまり自分のことアクティビストだとは思ってないんですけど——意味のある制作ではあるよな、っていうふうに思いましたね。
—みょうじさんの作品を拝見してすごいと思うのが、ご自身の体験を起点として、ある種の普遍性が現れているところだと感じています。同じ境遇や似た経験をした人にとって、浄化の作用があるように感じていて。制作される際には、そういった客観性を意識されながらつくられるのでしょうか?
みょうじ:初めて自分のエッセイみたいなものを入れ込んだ作品が『人形の家』という映像インスタレーションなんですが、この作品をつくっている当時は、自分の母親と自分であるとか、母親になれなかった自分に対する救済のような意味合いで……本当に自分のためだけにつくっていた作品なんです。
みょうじ:その次に発表した『バべルとユートピア』では、その『人形の家』で回収できなかった要素をたくさん盛り込んでつくっていきたいと思っていたので、自分だけではなく、同じような境遇の人たちが社会のなかで不可視化された苦しみに対するセーフハウスのようなものができないかな、と思って。すごく個人的な内容の作品ではあるんですけど、それでもある種、いろいろな人が自己投影をしていける作品にしたい、という意識を持って制作をしました。
—あらためて『人形の家』がどういう作品だったか教えてください。
みょうじ:『人形の家』は、ヘンリック・イプセンの同名の戯曲作品があって、それを参照してつくった作品です。イプセンの『人形の家』自体は、裕福な弁護士の妻が主人公のお話で、夫と子供たちに囲まれて幸せに暮らしているように見えるんですけど、実は夫から受けている愛情が、人間に対するものではなく、ペットや人形をかわいがるような愛情なのではないだろうか、といったようなことに主人公が気づいてしまい、夫から自立をして、1人の人間として生きていくために家を出る……という話なんですよね。
でも、私は幼少期に母が出奔して海外に行ってしまったので、その『人形の家』の主人公に置いていかれる子どもの立場として、初めて戯曲を読んだときには主人公にあまり良い感情を抱けなかったんですよ。そういうところからあらためて、自分の母親が母親をやめてしまったことや、自分自身がその母親にならなかったことを、人形の家をなぞらえながら、踏襲しながら、何かつくれないかなっていうようなことを考えて。自分が書いたテキストと、イプセンの人形の家『人形の家』をベースにした脚本をもとに上演されている演劇の舞台をイメージしてつくった映像インスタレーションです。
—エッセイの部分はどこに仕込まれていたんでしょうか?
みょうじ:エッセイは会場で実際に読めるようにしていて。すごく思い入れの深い作品ではあるんですけど、テキストの扱いが作品のなかで生きてなくて……普通に別物として読めてしまうようなかたちだったので、次の作品では2つがもっと強力にかみ合ってるようなものをつくれないかなと向き合った作品が『バべルとユートピア』でした。
—『バべルとユートピア』は神話がモチーフになっている作品ですよね。
みょうじ:現実と虚構が交差して、そもそも虚構というのは現実から成り立っていたり、現実に影響を与える力もあると思うんですけど、そういうことを考えながらつくった作品でした。
例えば、聖域とかもそうですね。あれは一種の文化装置で、もともと存在しないものでも、虚構からかたちづくられていく……みたいなもの。つくられたものが現実に介入してくるというのは多分にあると思います。
—『人形の家』から『バベルとユートピア』への変化、つくり方の違いについては、みょうじさんのいままでにとって結構大きな変化だったんでしょうか?
みょうじ:そうですね。いろんなところで作品をつくって、それを見てくださる方がたくさんいらっしゃるなかで、もっと伝えるためにはどうしたらいいかなって、ずっと考えていたので。年を重ねるごとに、よりオーディエンスの目線みたいなものを意識するようになったなと思います。
—『バベルとユートピア』では、テキストとしてご自身の性被害を語ったものだったと存じますが、そのことを公表する危機感や怖さみたいな感情はあったのでしょうか。
みょうじ:もちろん本当に強くあって。自分のパートナーには最後の最後まで、こういう作品をつくろうと思うという話も、テキストを読んでもらうこともできなかったですね。心配かけてしまうだけなのもわかってますし……。そこですごく力になってくれたのは姉で。性被害にあったことを一番最初に打ち明けられたのが姉でしたし、そういう存在が身近にいるだけでも、私はすごく幸運だったんだろうなと強く感じますね。
—ご自身の辛い経験を作品に落とし込むということをされていると思いますが、つくったことによって、みょうじさんの感情面での変化はあるのでしょうか?
みょうじ:そうですね。それはすごく多分にあって。
話が脱線しちゃうんですけど、Radioheadってご存知ですか。私は結構好きで、何かのインタビューでトム・ヨーク(Radioheadのボーカル)がインタビュアーから「あなたのつくる歌詞ってどれもすごく暗いですよね」みたいなことを言われていて。それに対してトムは「音楽に歌詞をつけることそれ自体が、すでにポジティブな行為なんだよ」みたいな切り返しをしているのを見たことがあるんですよね。
それにすごく共感を覚えました。抱えきれないような苦しみとか、大きいトラウマっていうのは、その大きさのぶんだけ、他人に共有するまでにものすごい苦悩があって時間もかかることだとは思います。ただ、それを言語化したりかたちにしたりするということ……それを他者と共有するということは、苦しみを内包しつつも、ネガティブな感情を蒸発させることもできる行為なんじゃないかと捉えていますね。自己治癒的な意味が大きいものでもあるのかもしれない。
—いわゆる生みの苦しみだけではない、苦しみもともなうのではないでしょうか。メンタルケアなどはどのようにされていますか?
みょうじ:人との対話ですかね。ただやっぱり、人に話して伝えることができるようになるまでに、すごく時間はかかります。例えば戦争に行かれた方が、自身の経験を語るまでにものすごく時間を要してから、ようやく口を開くことができるようになった……みたいなお話を聞きますけど、そうだろうなって思います。
—インスタレーション作品と、ひとつの独立した作品では、発想やつくられ方にどんな違いがありますか?
みょうじ:私、作品をつくるときにいつも何か頭のなかで、自分が楽器の奏者か指揮者になって一つの音楽を奏でていく……みたいな空想をしていて……(笑)。
一つの小さな作品は、例えば自分のピアノソロみたいなイメージで制作をしていて。大きい作品は、大がかりなオーケストラみたいなイメージで制作してますね。どっちの制作も違った楽しさがあって好きなんですけど、大きいインスタレーション作品となると、1人1人のいろんな音が、何とか紆余曲折の末に重なって一つの音楽になっていく……みたいな充実感があるので、そのぶん出来上がったときの感動はひとしおだなって感じます。
—作品をつくるためのアイデアや、いしずえとするご自身の体験は、どういうプロセスで選ばれているんでしょうか。
みょうじ:事前にテキストがあることが多いですね。私、今日もカンペ用意してくるらいで(笑)。人と話をするのが苦手で、駄目なんですよ、めちゃくちゃ緊張しちゃって全部飛んじゃうんですよね(笑)。
だからそのぶん、ずっと日記をつけるようにしていて。そのテキストから作品のアイデアを持ってくることが多いですね。テキストだとリアルタイムで話題が流れていってしまわないので、そのときの出来事、自分のことや相手のことを、じっくり考えることができて、私には向いてるみたい。
美術作家の方はドローイングや、スケッチをとって作品を考える方もたくさんいらっしゃると思うんですけど、私はあんまりそれをしなくって。こういうものをつくりたい、といったようなこともだいたい、文字で残している気がします。
—この社会にはまだまだ、さまざまな差別的な意識があると感じています。例えばひとつ、女性の存在を軽んじるような、家父長制の意識も。そんな社会のなかで作品をつくることについて、どんな思いがありますか。
みょうじ:本当にまだまだ課題は山積みで。それでも、私が生きるいまの社会は女性にも教育を受ける機会や参政権とか、そのほか男性とあまり遜色ない権利が与えられていることが多い。でもそれって、過去の女性たちが戦って、頑張って、勝ち得た、努力の結晶だと思うんですよね。だからその恩恵を受けている以上は、いまの社会をより良いかたちにアップデートして、次の若い世代の人たちに引き継いでいくという役割が、どうしても義務としてあるんじゃないだろうか、みたいな意識はありますね。