NBA伝説の名選手:マイケル・ジョーダン 不世出のアスリートの引退と復帰〜2度の3連覇、オーナーとしての挑戦〜

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2025年05月20日 07:20  webスポルティーバ

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NBAレジェンズ連載50:マイケル・ジョーダン 後編

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第50回(最終回)は不世出のスーパースター、マイケル・ジョーダンの後編。1度目の3連覇達成直後からの引退、そして映画を極めた2度目の3連覇時代を中心に紹介する。

マイケル・ジョーダン〉〉〉前編

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【NBA復帰後の屈辱的敗戦から2度目の3連覇へ】

 ジョーダンとシカゴ・ブルズはその後、プレーオフでニューヨーク・ニックスとの壮絶な戦いに勝ち、1992年にポートランド・トレイルブレイザーズ、1993年にフェニックス・サンズを倒して3連覇を達成。1992年夏には、NBA選手中心のドリームチームの一員としてバルセロナ五輪で金メダルを獲得し、世界的なスーパースターとしての地位を築いた。

 しかしNBA3連覇を達成後、プレッシャーなどの精神的な負荷に加え、1993年7月に父のジェームズが殺害されるという事件に直面したことで、NBAから引退を発表。同時に野球をすることが父との夢だったということを理由に、メジャーリーグ入りを目指すことを決断した。ブルズのオーナーが同じことから、シカゴ・ホワイトソックスのキャンプに外野手として参加したが、メジャー入りを果たせずにマイナーリーグのバーミンガム・バロンズでプレーした。

 1994年秋にメジャーリーグが敢行したストライキが長期化すると、ジョーダンはメジャーリーグ入りへの挑戦を断念。1995年3月18日、代理人を通じて"I'm back."というリリースを出してNBAに復帰を果たす。

 背番号を45番に変えたジョーダンは、ニックス戦で55得点を奪うなど、衝撃を与える活躍を見せた。しかし、オーランド・マジックとのカンファレンス準決勝第1戦の終盤、ジョーダンは決勝点を献上する致命的なターンオーバーを犯してしまう。ニック・アンダーソンから「45番は23番のように爆発しない」と言われたジョーダンは、NBAからの罰金処分覚悟で背番号を23番に戻した。

 ブルズがマジックとのシリーズを2勝4敗で落としたあと、ジョーダンはオフの間にハードなトレーニングに取り組んだ。良好なコンディションで1995−96シーズンに臨むと、平均30.4点で8度目の得点王に輝く。デニス・ロッドマンの加入でディフェンスがより強固になったブルズは、72勝10敗という当時のレギュラーシーズン史上最高成績でプレーオフに進出。カンファレンス決勝でマジックに4連勝で雪辱すると、NBAファイナルではシアトル・スーパーソニックスを4勝2敗で退け、ジョーダンとブルズは4度目の頂点に立った。

「これは恐らく私がこれまでに獲得したなかで最も意味のあるチャンピオンシップだ。なぜなら、私が経験しなければならなかったすべてのことと、父がそれを見るためにここにいなかったからだ」

【2度目の3連覇を達成も早すぎたブルズ王朝解体】

 1997年のNBAファイナルでジョーダンは、得票ポイントの差が29という僅差でシーズンMVPに選ばれたカール・マローンを擁するユタ・ジャズと対戦。2勝2敗で迎えた第5戦、胃のウイルスで発熱と脱水症状に陥りながらもプレーし続け、残り25秒で決勝点となる3Pを含む38得点を奪うなど、5度目のタイトル獲得の原動力となった。

 1998年NBAファイナル、3勝2敗で迎えた第6戦、終盤にマローンからボールをスティールしたジョーダンは、逆転のショットを決めてジャズを返り討ち。2020年に公開されたドキュメンタリー作品で「それはあまりにも早く終わった。我々が築いたものを守る権利を得たと感じていた。しかし、時には物事が自分の手に負えないことがある」と語ったように、フロントと現場の確執等もあり、フィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)がブルズを離れることが決定的となると、ジョーダンは2度目の3連覇を達成したあとに現役引退を決意。スコッティ・ピッペンがヒューストン・ロケッツに移籍するなど、ブルズは黄金時代に終止符を打った。

 2000年1月、ワシントン・ウィザーズのオーナーのひとりになったジョーダンは、2001年に2度目の現役復帰を果たし2シーズンプレーしたが、ウィザーズをプレーオフに導くことはできなかった。2006年6月にシャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)の少数株主となったジョーダンは、2010年3月に筆頭オーナーとしてNBAから承認された。元選手として初の筆頭オーナーとなって13年間ホーネッツを所有したが、チームとしていい結果が出すことができないまま、2023年8月に売却した。それでもその存在感はNBAのコート近辺で衰えることはない。

 80年代のマジック・バード時代から90年代のNBAを牽引したジョーダンは、バスケットボールを世界中から注目されるスポーツへと発展させた。並外れた身体能力、スキルの高さ、勝負強さのすべてを持っていたことに加え、NBAファイナルのシリーズで一度も負けたことがなく、6度のMVPに選出された功績のあることでも、史上最高の選手と呼ぶにふさわしい。

【Profile】マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)/1963年2月17日生まれ、アメリカ・ニューヨーク州出身。1984年ドラフト1巡目3位指名。
●NBA所属歴:シカゴ・ブルズ(1984-85〜1992-93、1994-95〜1997-98)―ワシントン・ウィザーズ(2001-02〜2002-03)
●NBA王座6回(1991〜93、96〜98)/シーズンMVP5回(1988、91、92、96、98)、/ファイナルMVP6回(1991〜93、96〜98)/オールNBAファーストチーム10回(1987〜93、96〜98)/最優秀ディフェンス選手賞1回(1988)/オールディフェンシブ・ファーストチーム9回(1988〜93、96〜98)/新人王(1985)/オールスターMVP3回(1988、96、98)・オールスター・スラムダンク優勝2回(1987、88)
●主なスタッツリーダー:得点王10回(1987〜93、96〜98)/スティール王3回(1988、90、93)
●五輪代表歴:1984年ロサンゼルス(優勝)、1992年バルセロナ(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)

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