サッカー日本代表の9月のメキシコ戦はオークランド・コロシアムで開催「野球場でサッカー」の歴史

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2025年05月20日 07:30  webスポルティーバ

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連載第50回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 サッカー日本代表が9月に行なうアメリカ遠征。メキシコとは野球で有名なオークランド・コロシアムで対戦します。アメリカではかねてから他競技と併用できる野球場があり、日本でも野球場でサッカーの試合を開催してきた歴史があります。

【9月のメキシコ戦はオークランド・コロシアムで開催】

 すでに2026年W杯出場を決めている日本代表が、9月にメキシコ、アメリカと対戦することが決まった。

 最新のFIFAランキング(2025年5月14日時点)では日本が15位、アメリカが16位、メキシコが17位と拮抗。将来、W杯で欧州・南米勢以外が優勝するとすれば、いずれもその有力候補となるだけに世界的にも注目の試合となるだろう。

 日本代表はまず9月6日(日本時間7日)にカリフォルニア州のオークランドでメキシコと対戦する。カリフォルニアにはメキシコ系住民が多いので、完全アウェー状態も経験できるはずだ。

 会場となるオークランドはサンフランシスコ湾東岸に位置する都市だ。

 筆者は1998年のCONCACAFゴールド杯の時、オークランドでメキシコ対ホンジュラス戦を見たことがある。同年のフランスW杯で日本が対戦することになったジャマイカをゴールド杯で見るために渡米した時だ。

 会場のオークランド・コロシアムは日本の野球ファンにとってお馴染みのはずだ。

 かつて大谷翔平が所属していたロサンゼルス・エンゼルスと同じアメリカン・リーグ西地区のアスレチックスの本拠地だったので、エンゼルス戦の模様が日本で何度も放映された。アスレチックスは2028年からラスベガスに移転することが決まり、今季はサクラメント市で試合を開催しているが、昨年までオークランド・コロシアムを本拠地としていた。

「野球場でサッカーができるのか」って?

 ご心配なく。1966年に完成したオークランド・コロシアムは野球にもアメリカンフットボールにも使えるように設計されており、実際、NFLのオークランド・レイダースの本拠地としても長く使用されていた(レイダースはすでに2020年にラスベガスに移転)。

 スポーツ先進国では、最近はどの競技でも専用スタジアムの使用が当たり前となっており、日本でも西日本を中心に近代的なサッカー(球技)専用スタジアムがいくつも完成している。だが、20世紀半ば頃までは大規模スタジアムがさまざまな競技に使われるのが普通だった。

 たとえばニューヨーク・ヤンキースの本拠地だった旧ヤンキースタジアム(1923年完成、2008年閉鎖)も、完成当時は外野が長方形に近く、フェンスに沿って1周400メートルのトラックがあって、フットボールや陸上競技にも使える構造だった。

 ニューヨークにあったブルックリン・ドジャースは1958年にロサンゼルスに移転したが、1962年にドジャースタジアムが完成するまでの4年間はメモリアル・コロシアムを使用しており、1959年のドジャース対ホワイトソックスのワールドシリーズの舞台も同コロシアムだった。1932年と1984年の夏季五輪でメインスタジアム(陸上競技場)として使用され、またアメリカン・フットボール場としても使われてきたスタジアムだ(完成は旧ヤンキースタジアムと同じ1923年)。

 陸上競技場だったから、野球で使うと左翼と右翼でフェンスまでの距離が大きく違っていて使い勝手はよくなかったが、収容力が大きいのが魅力だった。2008年には「ドジャース移転50周年記念試合」のボストン・レッドソックス戦が同コロシアムで行なわれたが、なんと11万5300人の観客を動員。これはMLB史上最多記録として残っている。

【大観衆を集めるには野球場だった】

 日本初の大規模野球場は1924年に阪神電鉄が建設した甲子園球場だが、ここも完成当初は陸上競技用のトラックが併設されていた。そのため、外野スタンドは直線状になっていて、左右両翼までが遠くてホームランが生まれにくかった(現在は野球用に改装されている)。

 サッカーの試合が野球場で行なわれたことは何度もあった。

 というのは、1980年代頃まで日本には大きな球技場など存在しなかったからだ。横浜の三ツ沢球技場や大宮サッカー場は1964年の東京五輪で使用されたが、収容力はどちらも1万5000人程度だった。

 陸上競技場は全国にあったが、こちらも収容力はせいぜい2万人ほど。4万人以上を収容できるのは1958年に完成し、1964年東京五輪のために拡張された旧国立競技場(最大時で約7万2000人収容)だけだった。約4万5000人収容の神戸ユニバー記念競技場が完成したのは1985年、5万人収容の広島ビッグアーチが完成したのは1992年だった。

 したがって、国立競技場以外で大観衆を集めるイベントを開きたければ、野球場を使うしか方法がなかったのだ。

 たとえば、1977年9月に「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」というイベントがあった。引退するペレが所属する北米リーグ(NASL)のニューヨーク・コスモスがワールドツアーの一環として来日して旧国立競技場で古河電工、日本代表と対戦した。この時、ペレはプレーはしなかったものの大阪でもエキシビションマッチが行なわれた。

 会場となったのはプロ野球パシフィック・リーグ、南海ホークス(現ソフトバンク・ホークス)の本拠地、大阪球場(1950年完成、1998年閉鎖)だった。

 大阪の繁華街、難波にあった球場で、敷地が狭かったので急勾配のスタンドに囲まれていた。大阪には長居陸上競技場もあったが、当時の長居には夜間照明が付いていなかったのでナイター興行を行なうには大阪球場しかなかったのだ。

 1972年には隣接する南海電鉄の難波駅改修に伴い、大阪球場ではスタンドの一部を削って外野フィールドを拡大したが、これには将来サッカーがプロ化されることを見込んで、サッカーの試合を誘致する狙いもあったらしい。

 1979年には「ワールドサッカー79」という大会があった。

 1978年アルゼンチンW杯決勝の再現としてアルゼンチンとオランダの代表を招待するという企画だったが、代表の招致は難しく、結局、アルゼンチンのエース、マリオ・ケンペスを擁するバレンシア(スペイン)とウラカン(アルゼンチン)、FCアムステルダムを招いて日本代表や日本リーグ選抜が対戦する大会となった。

 そして、大阪では大阪球場、東京では後楽園球場が会場となった。後楽園球場は読売ジャイアンツの本拠地で、長嶋茂雄や王貞治が活躍した球場だ(1937年完成、1987年閉鎖)。

 後楽園では3塁側ベンチ前からライト外野スタンド方向にサッカーのピッチが設定されていたので、僕は「ジャンボスタンド」と呼ばれた1塁側内野2階席最前列を選択。コーナー付近ではあったものの、目論み通り高い席からピッチを俯瞰的に見下ろすことができたので、試合がとても見やすかったことを覚えている。

【東京ドームでもサッカーが行なわれた】

 Jリーグ開幕前後にも、プレシーズンマッチなどで各地の野球場が使われた。

 1989年にはマンチェスター・ユナイテッドが来日したが、日本代表との試合は国立競技場ではなく、お隣の神宮球場の人工芝の上で行なわれた。

 横浜スタジアム(横浜DeNAベイスターズの本拠地)は1978年に完成した比較的新しい球場だが、ピッチャーズマウンドが昇降式で、内野スタンドの一部も可動式となっており、野球以外にアメリカン・フットボールやサッカーにも使用できる設計となっていた。実際、横浜スタジアムではJリーグクラブのプレシーズンマッチが何度か行なわれている。

 1988年に完成した日本初のドーム球場、東京ドームでも1994年と1995年に「東京ドームカップ」という大会が行なわれ、ブラジルのクルゼイロやコロンビアのジュニオールが来日してJリーグクラブと試合をしている。

 ただ、日本の野球場はドーム球場以外でもほとんどが人工芝だったので、サッカーの公式戦は実施できなかった。東京ドームカップでは人工芝の上に天然芝を敷き詰めて使用されたが、芝生が根付いていなかったのでプレーが難しかったうえ、除虫剤の悪臭が立ち込めて評判が悪かった。

 そして、2002年W杯の日韓共同開催が決まった1990年代後半以降、サッカーに使用可能な大規模球技場や陸上競技場が各地に完成したため、野球場でサッカーが行なわれることはなくなった。

 唯一の例外は天然芝の可動式ピッチを使用した札幌ドームだったが、北海道日本ハムファイターズは2023年以降、自ら建設したエスコンフィールドを使用するようになり、定期的使用者は北海道コンサドーレ札幌だけとなっている。

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