少女雑誌、迫る戦争の影=「女学生よ戦闘配置につけ!」―図書館で企画展・熊本

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2025年05月26日 07:31  時事通信社

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中原淳一が描いた「少女の友」の表紙(左・1940〈昭和15〉年3月号)と、降板後の表紙(右・43〈昭和18〉年3月号)=7日、熊本県の菊陽町図書館
 明治〜昭和期に発行された少女雑誌や付録など1万点近くを所蔵する熊本県の菊陽町図書館で、戦前・戦中の作品を集めた企画展「戦後80年 戦時下を生きた少女たち」が開かれている。戦況に伴って変遷する誌面からは、少女たちに迫る戦争の影が浮かび上がる。8月25日まで。

 戦前の少女雑誌は文芸や芸能、服飾の話題が幅広く掲載され、少女たちの娯楽の中心的存在だった。中でも「史上最高峰」と称される「少女の友」(1908〜55年)は、表紙に挿絵画家中原淳一の作品が起用されると人気が急上昇。清楚(せいそ)でかれんな少女像が読者の心をつかんだ。

 しかし、31年の満州事変以降、緊張と全体主義が社会に広がる中で、表現の自由に対する規制が強まっていく。当時の内務省は38年10月、「児童読物改善ニ関スル指示要綱」を出し「過度ニ感傷的ナルモノ」や「華美」な表現は廃止すべきだと定めた。

 こうした圧力を背景に、中原の絵は誌面から消えた。編集部は40年7月号で、「弱々しく(国家が指向する)健康な強い少女ではなかつた」と説明。「國家がその忍耐を要求してゐる」とも書いた。

 「撃ちてし止まむ」「女学生よ戦闘配置につけ!」。日本が劣勢に転じると言論統制は強まり、42〜44年の表紙には物々しい標語が踊った。広告も影響を受け、「眞心をペンに託して戦線へ」などのスローガンが掲載された。戦意をあおり、我慢を強いる言葉が誌面に並んだ。

 戦況の悪化に伴い、100〜200ページほどあった誌面もじりじりと減少。敗戦間近の45年6・7月号では、わずか32ページになった。

 同館が所蔵する少女雑誌は2003年の開館に合わせて寄贈されたものが中心で、専用の展示室を整備。珍しい資料も多く、国内外から研究者らが訪れる。企画展を開いた職員の矢野亜希子さん(52)は「国際秩序が揺らぐ今、少女雑誌の中身の変遷に触れ、資料から読み取れることを感じてほしい」と話している。

 入場無料で、毎週火曜と第3水曜は休館日。 

言論統制が進み、少女雑誌の広告も影響を受けた=7日、熊本県の菊陽町図書館
言論統制が進み、少女雑誌の広告も影響を受けた=7日、熊本県の菊陽町図書館


菊陽町図書館職員の矢野亜希子さん=9日、熊本県
菊陽町図書館職員の矢野亜希子さん=9日、熊本県


戦前に発行された1936(昭和11)年7月号の「少女の友」(右)と、32ページに減少した45(昭和20)年6・7月号(左)=7日、熊本県の菊陽町図書館
戦前に発行された1936(昭和11)年7月号の「少女の友」(右)と、32ページに減少した45(昭和20)年6・7月号(左)=7日、熊本県の菊陽町図書館

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