楳図かずおのお別れ会に里中満智子、伊藤潤二ら参列 「サバラ」はまた会うための合言葉

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2025年05月28日 20:28  コミックナタリー

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「楳図かずお サバラ!お別れの会」の祭壇
2024年10月28日に88歳で死去した楳図かずおのお別れ会「楳図かずお サバラ!お別れの会」が、本日5月28日に東京・吉祥寺エクセルホテル東急にて執り行われた。

【画像】「楳図かずお サバラ!お別れの会」に設けられた、楳図の愛用品の並ぶ展示室の様子

■ 赤と白のボーダーで彩られた祭壇、展示室も
「へび少女」「猫目小僧」などのホラーマンガや、「漂流教室」「まことちゃん」など数々の作品を生み出し、マンガ界をはじめとした多くの人に影響を与えてきた楳図。祭壇は、楳図のトレードマークである赤と白のボーダーをイメージして、お別れの会でありながらも賑やかな雰囲気に彩られた。遺影は自宅マンションでの取材中に撮影されたもの。紅白の花々に囲まれた遺影には、笑顔で「グワシ」のポーズをとる楳図の姿が収められている。

会場には楳図が生前愛用していた品や、作品を振り返ることができる展示コーナーも設けられた。展示室に足を踏み入れると、まことちゃんのパネルと楳図の普段着である赤と白のボーダーを着用したマネキンが参列者を迎える。室内にはデスクや画材、作曲する際に用いたキーボードといった愛用品や、授与されたトロフィー、楳図の作品が展示されていた。また楳図が聞いていたCDが詰まったラック、まことちゃんのオーナメントがぶら下げられたクリスマスツリー、手にとって写真撮影ができる“グワシハンド”も展示室を賑わせる。壁一面ほどの長さもある年表は、楳図の歩みと功績を伝えていた。

■ 参列者全員でグワシ!「サバラ」はまた会うための合言葉
式典の冒頭には楳図に黙祷が捧げられる。その後、一般財団法人UMEZZの代表理事・上野勇介氏が登壇。「まずこれをやらないと始まらない」と、楳図が使用していた“グワシハンド”を取り出す。上野氏の掛け声に合わせて参列者全員で「グワシ!」と手を掲げ、和やかな雰囲気で挨拶が続けられた。上野氏は、この日が来るのを心待ちにしていたのだという。「みんなで集まって、楳図かずおのマンガがずっとこの後も読み継がれている、なんなら今まで以上にもっと発展していくぞと。楳図かずおは永遠なんだぞということを、楳図さんに言ってあげたかったから」と遺影を見上げる。

楳図の晩年は、老いと病と戦い、もがきながら作品作りに向き合う毎日だったという。2022年に27年ぶりに画業に復帰して以降、「JAVA洞窟の女王」の制作にとりかかるも、2023年には脳梗塞で倒れ緊急手術。入院中でも自分を奮い立たせるように「新作を描きたいから早く退院したい」と必死で、病院のベッドでキャラクターデザインを描いていたそうだ。2024年7月に再び倒れ、癌が発覚するとすぐに財団を立ち上げた。「世界中で今まで以上に自分の作品が読まれるようにしてほしい。自分の作品の芸術的評価を揺るぎないものにしてほしい。そして、楳図かずお美術館をぜひ作ってほしい」と語っていたことを上野氏は明かした。

また楳図には子供がいなかったが、「自分なりのやり方で次の世代に何かを残せるはず、未来へつないでいくことができるはず。それが自分にとっては作品作りなんだ」と語っていたのだそう。上野氏は「漂流教室」で未来に飛ばされた主人公が言う「僕たちは何かの手により未来に蒔かれた種なんだ」というセリフに触れ、「まさに楳図作品は、楳図の子供として未来に蒔かれたんだと思っています」と思いを巡らせる。最後には、式典のタイトルにもある「サバラ」という言葉について「これは『さよなら』という言葉の意味だけではなくて『また会うための合言葉』だと、楳図さんは生前言っていました。なので、私たちもこう言いましょう」と言い、「楳図さん、またね。サバラ!」と明るく挨拶を終えた。

上野氏の挨拶後には、楳図の歴史を辿る映像が上映される。まずは子供の頃の写真から、グッズで埋め尽くされた仕事場での写真などを交えながら、楳図の歩みと功績を振り返った。さらに音楽活動、お化け屋敷のプロデュース、大学での講義をした際の映像や、出演したテレビ番組の映像も紹介され、その多才さを改めて感じさせる。映像の終盤には、楳図の生前最後の肉声も。自身について「感覚でものを捉えているような、そんな生き方で来てる」と言い、「母親は『この子はマンガを描くために生まれてきたんだよ』なんて言ってるけど、そうだと思う」と思いを巡らせていた。そして画面に「宇宙ではどんな想像も許される」という言葉が浮かび上がり、「未来は明るくなくちゃ!」と笑う楳図が映し出されて映像は終了した。

■ 里中満智子の弔辞
式典では代表者による弔辞が読み上げられた。1人目の里中満智子は楳図の歩んだ歴史を振り返りつつ、「つくづく『JAVA洞窟の女王』が見たかったですね」と惜しむ。「よく言葉では言うんですよ。『作品は永遠』だって。でも永遠の作品になるかどうかは、残された人たちの努力や思いがないと、なかなか残せない。だから後の者は、尊敬すべき先輩たちのものをいかにして残すか。それに力を尽くすべき」と思いを語った。楳図の作品と出会ったのは小学生の頃で、特に印象に残る作品は「おみっちゃんが今夜もやってくる」と「あなたの青い火が消える」だそう。また少女フレンド(講談社)での楳図の連載については、雑誌の作品の幅が広がったと称えた。

里中と楳図が初めて会ったのは1965年のこと。里中は当時の楳図への印象を「描くものからは想像もできない明るいピュアな雰囲気が漂ってきて、とても話しやすい方」と笑顔で思い出す。そして思い出深い出来事として、子供を持つ母親から楳図の作品に対してクレームが寄せられた際のエピソードを話し始めた。楳図の作品が、子供が母親に恐怖を抱くようなものであるというクレームに里中が憤っていたところ、楳図は「そう」と動じなかったそう。それを見た里中は、「自分が信念を持って描いている。そのことに対して、誰がなんと言おうと折れちゃいけない。傍で見てると、先生はまったく動じないように見えましたし、それが頼もしかったです。ものを描くって覚悟は、こういうことなんだと教わりました」と力強く述べた。さらに音楽活動など体全体で表現するパフォーマンスに対し、「自分の感じたものを人に伝えるために全身全霊使って表現するんだと思って、本当に心打たれた」と言う。最後には、楳図の作品が多くの人に届くよう努力すると誓い、「グワシ」のポーズを遺影に向けて弔辞を締め括った。

■ 伊藤潤二の弔辞
続く伊藤潤二は、「楳図先生に憧れ、先生と同じ道を志した者を代表して」と弔辞を述べる。2022年に開催された「楳図かずお大美術展」では、作品に圧倒され楳図の新たな創作の始まりを感じたと言う伊藤は、訃報を受け「早すぎる」という言葉がよぎったと語った。生まれて初めて出会ったマンガが楳図の作品であり、その影響を受けマンガを描き始めた伊藤は、歳を重ねるごとに楳図作品のすごみに気づいたのだとか。「卓越した洞察力と革新的な視点によって、ホラー作品が人間の複雑な心の闇をえぐる優れた芸術に昇華されていることに気づいたとき、ただただ驚嘆したことを覚えております」と遺影を見上げた。

楳図と伊藤が直接会ったのは2012年、小学館が催した謝恩会。伊藤は楳図への印象を「とても物腰が柔らかく、繊細で優しいお方でした」と振り返る。会ったのはその日を含めた4回だったそうだが、一度楳図行きつけのイタリアンでディナーをご馳走してもらったそうで、その際を「我が人生で最高の出来事」と表現した。伊藤は楳図について「私にとって先生は、第2の父親のような存在でした。作品にシンパシーを感じ、先生が他人のような気がしないのです」と話す。そしてホラーマンガ家を志す多くの人が同じ考えを持っているのではと思いを巡らせ、「楳図先生は私たちにとって、計り知れない影響力を持ったとても大きな存在なのです」と続けた。最後に「いつか生まれ変わって、今生で生み出すはずだった新作の制作を再開してください。そのときは私も再び同時代に生まれ変わって、先生の新作の恩恵にあずかりたいと思います」とメッセージを送り、里中と同じく「グワシ」と手を遺影に向かって掲げた。

■ 高橋のぼるの弔辞
楳図のアシスタントを務めていた高橋のぼるは、「師匠」と呼びかけて弔辞を読み上げ始める。高橋はアシスタント時代に楳図を質問攻めにしたり、ペン入れする様子を何十分も見ていたことを懐かしんだ。「1つのペン先で10種類以上の太さ、線が描けると、優しく教えてくださいました。いつも目を皿のようにして、1つでも多く技術を盗もうとしていました」と当時の様子を伝える。またプライベートで、ともにサンフランシスコに行ったエピソードも飛び出す。トラベラーズチェックのサインが他人にマネされないように楳図が似顔絵を描き加えたところ、すべてのサインに似顔絵を描くはめになったという話を披露すると、参列者から笑い声が上がる。さらに肉の見た目が苦手だと言う楳図が、食事中に一時停電が起こった際、「見なきゃ食べれる」と肉をパクリと食べたという話をすると、またしても笑いが起こった。和やかな雰囲気の中、高橋は「先生の笑顔、今も忘れられません」と笑顔で遺影に語りかける。

楳図の才能については、「『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』では天才の本気を見させていただきましたし、唯一無二とは先生のことで、超レア、激レア人間でした」とその独自性を称える。最後に、「成功とは何か。それは自分の人生を生きることに尽きると思います。孤高と自由の中に本当の自分を見出し、自分の才能、信念を貫き、生かしきった。本当に素晴らしい人生でしたね。楳図先生、天上の鐘が喜びで鳴り響いてます。グワシ」と力強くメッセージを送り、弔辞を終える。

■ 中川翔子の弔辞
最後に祭壇の前に立ったのは中川翔子。お別れの会の冒頭で流れた映像に触れ、「最後の瞬間まで、マンガ、そしてアートというものに命を注いで、この世にたくさんの素晴らしいものを放ってくださったんだなと思うと、胸が熱くなります」と話す。「子供の頃からずっと心奪われていたのは、先生の作品に流れる怖いだけではない、その奥にある深い愛と、どこまでも広がるイマジネーションでした」と長年にわたる熱い思いを語った。さらに楳図との交流については「初めて先生にお会いした日、とても優しくしてくださって、帰り際に『またね』と笑顔で言ってくれたその一言が、本当に今まで私を何度も救ってくれました。あの言葉があったから、今日まで何度も立ち上がり、生きてくることができました」とその存在の大きさを伝えた。

中川の楳図との忘れられない思い出は、浅草花やしきでのデートだという。「先生はご自身で作られたグワシの手を投げっこしようと言ってくださり……」と謎めいた遊びのエピソードが披露され、会場は笑いに包まれる。「まるで少年のようにキラキラした目で笑う先生。ホラーの神様なのに、こんなにピュアで温かくて。あの時間は私にとっても一生の宝物です」と、明るい声で述べる。一方、最後に会ったときのことを「『がんばって描いても誰にも褒められない。だけど、フランスが賞をくれて、評価してくれたから、また描こうと思えたんだ』とおっしゃる横顔が少し寂しそうで、そして創作エネルギーがまた燃えている横顔がとても印象的でした」とも話した。終盤には改めて楳図を「怖いだけではない、そこにある人間の弱さ、愛、孤独、未来への願い。それらすべてを、ときに笑いとともに、ときに痛みを伴って、アートとして私たちに届けてくださいました」と称える。そして「私たちファンは、先生が残してくださった宝物のような作品と魂を、これからもずっとずっと語り継いでいきます。地球が回り続ける限り、次の世代へと愛を叫び続けます。それが私たちにできる先生への最大の感謝であり、愛の証だと思っています」と遺影を見据えた。最後は「グワシ! サバラ! そして、またね」と別れの言葉を会場に響かせ、最後の弔辞を締め括った。

■ 楳図かずお作品をよりよい形で後世へ
里中、伊藤、高橋、中川の4人は囲み取材にも出席。楳図の死から約8カ月、お別れの日を迎えた今の心境を尋ねられると、里中は「実感が湧きません。楳図先生ってもともとこの世にあらざる方と言いますか、超越した存在の方。今もその辺にいらっしゃるような気がします」と答える。中川は「『またね』の言葉をいつも胸に抱いて生きてきましたが、先生にもう直接『またね』と言えないことが信じられない」「先生、寂しいです」と静かに言葉を紡いだ。

伊藤は楳図との思い出として、弔辞でも話したイタリアンレストランでの出来事を振り返る。「先生が監督された『マザー』という映画の中で、主人公が誤って手のひらにペンを刺してしまい、その跡が刺青のように残るという描写があるんです。あの映画は先生の自伝的な作品だったので、『先生の手にもペンの跡があるんですか?』と伺ったところ、『あります』と実際に見せてくださいました。実は私も仕事中にウトウトして、左手の何カ所かにペンの跡が残っているんですね。それをお見せしたら、先生が『マンガ家の勲章ですね』と非常にうれしい言葉をかけてくださったのが印象に残っています」と語る。

かつて楳図のアシスタントとして、その背中を見てきた高橋。「先生は一切トレースしないんです」と、どんなに同じ表情や背景でも毎回イチから描いていたことを話す。「声をかけてもらって先生の散歩によく付いていったんですが、瓦屋根の瓦の作りだったりを1つずつ観察していました。テレビにシェフが映ると、どんな帽子を被っているのかしっかり見て記憶しておきなさいと言われたのも覚えています。自転車なんかも、構造上走ればいいんだからトレースしないで描きなさいと。本当に、先生は内から出てくるもので絵を描いているんだと教わりました」と、その姿勢に深い尊敬を示した。

また楳図のどんなところに天才性を感じるかと記者に聞かれると、高橋は「見たことのないものを生み出す造形力」と回答。伊藤はテーマの深さや練り上げられたストーリー、絵の緻密さを挙げつつ、「私は楳図先生の手に入る本はほぼ読んだと思いますが、読んでがっかりした作品はありません。私もやっぱり駄作を生んでしまうことはありますが、楳図先生はどの作品も手を抜かず、面白いものばかり。作品を描くごとにテーマが大きくなり、面白さも増していく。そうしたステップアップは天才でないとできない仕事だと思います」と称えた。

日本漫画家協会の理事長を務める里中は、「自分たちの信じるやり方で、先生の作品をよりよい形で後世に残せたら」と決意を滲ませる。5月頭に第1子の妊娠を発表したばかりの中川は、楳図作品に夢中だった自身の幼少期を思い返しながら「子供時代に『怖い』『ワクワク』『面白い』『美しい』に触れることが、イマジネーションを育てるのに一番大事だと思います。だから、もちろん自分の子供にも先生の作品を読ませたいですし、世界中の子供たちにもぜひあの怖さを体験してほしいです」とイタズラっぽく笑みを浮かべた。

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  • 早々たるメンバーが揃ったな。それでも先駆者は楳図かずおさんで、その足元に及ぶ日は来ないと彼ら自身も思っているすごさ。
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