取材日は香織さんの1カ月検診の日だった。「私よりも幸せに育ててくれる家庭がある」、子供の手形と足形を受け取った香織さんは静かに涙をこぼしていた 生後間もない赤ちゃんの遺棄事件が相次ぐ中、熊本に続き東京でも運用が始まった「赤ちゃんポスト」や、匿名で出産できる「内密出産」に注目が集まっている。母子を苦しめるのは男性か、それとも社会か。最前線に迫った。
◆「産まれた命を救いたい」赤ちゃんポストの今
生まれたばかりの赤ちゃんを母親が殺害・遺棄する事件が後を絶たない。今年4月、長野県上田市の女子高校生が、自宅で出産した赤ちゃんを放置・死亡させたとして、殺人などの疑いで逮捕された。
5月にも名古屋市の20代の女性が、1月に産んだばかりの自分の赤ちゃんの遺体をビニール袋に入れ、マンションのベランダに遺棄した疑いで逮捕されている。
「事情があって一人で出産しなければならない場合、絶対に誰にも知られたくないという精神的な負担が大きい。加えて、陣痛の激しい痛みや出血が複合して正常な判断ができずに殺してしまうこともある。長野県の女子高校生の事例も、おそらくパニックになってしまったのでしょう」
こう話すのは、熊本県の慈恵病院院長・蓮田健氏。同病院では’07年から匿名で赤ちゃんを受け入れる「こうのとりのゆりかご」、いわゆる「赤ちゃんポスト」を運営している。
開設後、’24年3月末までに179人の赤ちゃんが預けられており、孤独な母子を救う最前線と言える存在だ。
「こうのとりのゆりかごは、赤ちゃんの遺棄・殺人を防ぐ目的で開設しました。開設当初は『育児放棄や子捨てを助長するのではないか』『匿名で預けて逃げるのは無責任』という批判が多くありました。しかし、実際には毎年約10人の赤ちゃんが預けられており、完全ではないですが、目的は果たせていると思います」
◆預けられる赤ちゃんのほとんどが“孤立出産”
慈恵病院は、“孤立出産”に対する支援も行っている。孤立出産とは、医療者などの立ち会いなしに、トイレや風呂場で一人で産むことを指す言葉。
母子ともに出産時に危険を伴うだけでなく、産後の処置や育て方がわからず、遺棄されるケースも少なくない。
慈恵病院では、こうのとりのゆりかごに預けられる赤ちゃんのほとんどが孤立出産だったことを受けて、匿名・無償で出産できる“内密出産”を’19年から導入している。
「内密出産では、’21年12月からの3年間で約40人が生まれ、こちらも一定の成果は得られています。しかし、赤ちゃんポストも内密出産も知っている人は少数です。こういう取り組みについて、病院からの情報発信や性教育を通して、今後さらに認知を広げられればいいなと思っています」
今年3月、東京・賛育会病院が日本2例目の赤ちゃんポスト「ベビーバスケット」を運用開始。支援の輪は広がりつつあるが、女性を取り巻く状況はどうなっていくのか。
◆“客の誰か”の子を妊娠…「相談相手はいなかった」
都内在住の神田香織さん(仮名・26歳)は、相手がわからない子供をこの春に出産し、特別養子縁組制度に委ねた。
「気づいたのは去年の夏。着床出血らしいものがあって、検査薬で判明しました。本番アリの違法店で働いてたから、相手は客の誰か。けど、そのままお酒を飲んだり、仕事を続けていたりしたら、きっと育たず自然に流れるんじゃないかなって。それで初期に病院に行かなかったから、そのことを先生に指摘されるのが嫌で、お腹が大きくなり始めても放置しちゃった。周りにも相談相手はいませんでした。でも去年の冬、店の性病検査に引っかかって婦人科を受診したら、順調に育っていた。中絶したかったけど、もう妊娠中期だから処置代は高額で、金銭的に無理でした」
その頃になると、ホルモンバランスの乱れから店への出勤は難しくなったうえ、もともと双極性障害の診断が下りていたこともあり、生活保護を受けることに。
そのまま病院の受診を続けたが、彼女もまた、出産後は子供を手放すと決意を固めていた。
◆子供の写真を見ては涙「幸せになってほしい」
「実は、妊娠はこれが初めてじゃないんです。17歳と19歳で中絶。22歳で出産した長男は2歳までは自分で育てたけど、双極性障害の影響もあってイヤイヤ期に手を上げてしまって……。このまま育てるのは無理だなと児童相談所に電話しました。そんな経験があるから、2人目はほかの家庭に行って、ちゃんと幸せになってほしかったんです」
今回生まれた子供に関しては特別養子縁組をサポートするNPO法人Babyぽけっとを頼り、東北地方の家庭に託すことになったという。
「赤ちゃんポストが東京にできたことも知ってたけど、その場合って、どのタイミングで行けばいいのか、いくらかかるのかとか、そこらへんがよくわからなくて、普通に病院で出産しました。産後すぐ赤ちゃんを抱いたとき、このまま連れて帰れたらって素直に思った。おむつ替えや沐浴もしたけど、そしたら余計に愛着が湧いてしまって、手放す瞬間はやっぱり寂しかったです。あれからひと月以上たったけど、今でもそのつらさがジワジワ込み上げてきて、子供の写真を見るたびに涙が止まらず、自傷したこともある。同じことを繰り返さないよう、近々ミレーナという避妊措置をするつもりです」
望まない妊娠の末に子供を手放さざるを得なかった女性に、社会はどう手を差し伸べられるのだろうか。女性の涙は静かに後悔を訴えていた。
【産婦人科医・蓮田 健氏】
医療法人聖粒会慈恵病院院長。身元を明かせない母子のための赤ちゃんポスト、内密出産の理解や普及のために情報発信を行っている
取材・文・撮影/週刊SPA!編集部
―[[赤ちゃんを育てない決断]のリアル]―