沖縄県今帰仁(なきじん)村にある中世の墓所「百按司墓(むむじゃなばか)」から昭和初期に旧京都帝国大(現京都大)の人類学者が持ち出した遺骨少なくとも26体を京大が同村教委に移管していたことが判明した。子孫らから起こされていた返還訴訟の判決確定後、京大と村教委が移管に関する協議書を結んでいたという。
原告側は遺骨を墓に再安置するよう求めていたが、京大は埋葬処理せずに学術資料として保存することを村教委への移管の条件とした。村教委は今帰仁村歴史文化センターの収蔵庫で保管しており、そこで継続的に保存するとしている。
墓は1429年に琉球統一を果たした第一尚氏(しょうし)の貴族らが葬られたと推定されており、その子孫の県民らが2018年、京大総合博物館(京都市)に保管された26体分の返還を求めて提訴した。1審の京都地裁判決(22年4月)は「原告は遺骨の返還請求権を有しない」と請求を棄却しつつ、遺骨については「関係機関を交えて返還の是非や受け入れ機関を協議し、解決に向けた環境整備を図るべきだ」と付言。2審の大阪高裁判決(23年9月)も1審判決を支持して原告側の控訴を棄却したが、「遺骨はふるさとに返すべきだ」と付言していた。
今帰仁村歴史文化センターの玉城靖館長によると、大阪高裁判決を受けて24年、京大側から村教委に連絡があり、協議が始まった。同12月に協議書を交わし、遺骨はコンテナ15箱に収められて今月21日夕にセンターに届き、22日に開封して確認。センターの以前の調査では26体より多い可能性があり、京大からも同様に説明されたという。
百按司墓は同村指定文化財で、村教委も「遺跡を知る上で人骨は重要な資料」として同センターで保存する方針。訴訟の原告に限ってみてもらうという。
|
|
一方、元原告の松島泰勝・龍谷大教授(琉球先住民族論)は取材に「沖縄に戻ったことはうれしいが、研究対象の人骨ではなく遺骨であり元の墓に戻すべきだ。今回は返還ではなく移管に過ぎない。京大は大阪高裁判決でも原告側と話し合うよう求められながら、原告に知らせず蚊帳の外に置いた。説明と謝罪を求めたい」と話している。【太田裕之】
|
|
|
|
Copyright(C) 2025 THE MAINICHI NEWSPAPERS. 記事・写真の無断転載を禁じます。
掲載情報の著作権は提供元企業に帰属します。