水谷隼 現役引退を決意した瞬間とは?「金メダルを獲って、それ以上の目標、期待に応えるのも限界がきていた」

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2025年05月29日 20:10  TOKYO FM +

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水谷隼 現役引退を決意した瞬間とは?「金メダルを獲って、それ以上の目標、期待に応えるのも限界がきていた」
プロゴルファーの丸山茂樹がパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「ACN presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAY」(毎週土曜 15:00〜15:25)。5月24日(土)、31日(土)の放送ゲストは、元卓球選手で金メダリストの水谷隼(みずたに・じゅん)さんです。この記事では、5月24日の模様をお届けします。


水谷隼さん(右)とパーソナリティの丸山茂樹



◆現役引退を決意した瞬間

丸山:卓球で世界の頂点に立った水谷さんですが、全日本選手権男子シングルスで10回優勝。北京オリンピック、ロンドンオリンピック、リオデジャネイロオリンピック、そして、東京オリンピックの4大会で卓球日本代表となり、リオオリンピックで日本人初のシングルスと団体でメダリストに輝いて、東京オリンピックでは、混合ダブルス(伊藤美誠選手とのペア)で初の金メダリストに。日本がここまで卓球が強くなってきたのは、どのくらい前からなの?

水谷:(卓球日本代表が)初めてオリンピックでメダルを獲ったのが、2012年ロンドンオリンピックのときで、女子がメダルを獲ったんですよ。1988年ソウルオリンピックから正式競技になったんですけれども、初めてのメダルが2012年なので、世界でメダルが獲れるようになったのは意外と最近なんですよね。

丸山:やっぱり中国という厚い壁が一番にあって、そこにたまに勝ったりする姿を観るようになったのはここ数年だもんね。

水谷:はい。女子はロンドンオリンピックからずっとメダルを獲っているんですけど、男子はロンドンでメダルを獲れなくて、パリオリンピックでもメダルが獲れなかったので、意外と波はあるかなという感じですね。

丸山:水谷さんは今おいくつでしたっけ?

水谷:今年36歳になります。

丸山:卓球との出会いは?

水谷:もともと両親が卓球選手で家に卓球台があるような環境だったので、5歳のときに自然と卓球を始めました。最近の卓球界はみんなそんな感じです。

丸山:何歳くらいから卓球選手として競技に入ったんですか?

水谷:5歳で始めて、7歳のときに小学2年生以下の大会で全国2位になったんですよ。で、そこからは同学年でずっと全国で優勝し続けてきて、本当に覚悟を決めて“卓球で生活していこう”って考えたのが14歳のときですね。

丸山:14歳で覚悟を決めて、これで生活していこうと思ったの!?

水谷:そのとき、僕はドイツに留学していたので。ドイツに5年間住んでいたんですよ。なので、学校にも行かずに、中学2年生で毎日練習して、週末は毎回試合というプロ生活を14歳からスタートしたので。

丸山:すごっ! 現在は現役を引退されたわけですけれども、。選手生活を振り返ってどうですか? 引退したのは、何年前だったっけ?

水谷:東京オリンピックのときなので、もう3年半が経ちますね。

丸山:もったいなかったような気もしないでもない。でも、選手にしか分からないことがいろいろあるわけですけど、引退を決意したのはどこだったんですか?

水谷:オリンピックの金メダルを獲って、それ以上の目標って難しいじゃないですか。

丸山:そうか〜。

水谷:獲るまでの苦労とかも、こんだけやってオリンピックで金メダルを獲って、それ以上を自分が追い求めるのも難しいですし、それ以上の期待に応えるのも限界がきてたような気がしますね。

丸山:ゴルフみたいにずっと四大メジャーがあって、それが毎年のように繰り返されてるんだったら、ちょっと別としてもね。

水谷:賞金が良ければいいですけど、オリンピックはないですから。

丸山:確かに。オリンピックってそういう部分では、名誉だけだもんね。それは、オリンピックの(ゴルフ日本代表の)監督になって目の前で選手たちを見ていて感じるなぁ。松山英樹が銅メダルを獲っても別に賞金はついてないわけですから。そういうのをずっと続けてたら、それはちょっとね……。

水谷:それ以外にも大会はたくさんありますからね。でも、周りはオリンピックしか観てないから。

丸山:まあ、日本人は特にオリンピックめちゃくちゃ注目してますもんね。それは、そっか……そういう期待されると、なかなか難しいというのもあるかなと思います。

◆金メダルを獲得した東京オリンピックを振り返って

丸山:そして、(東京オリンピックでの)あの感動の混合ダブルスの金メダルですけど、あの大会は“今回はいけるんじゃないか”と思ってたんですか?

水谷:そんなことはないですね。そもそも(コロナ禍で)大会があるかどうかも分からなかったので。

丸山:確かに。コロナもありましたからね。

水谷:だから半分ぐらいだったんですよ。そもそもオリンピック開催されるかどうかも半々な気持ちで。

丸山:(開催延期で)1年も遅れてるわけですからね。

水谷:で、無観客だし、練習試合のような雰囲気でしたよ。点数を取っても拍手も何も起きないので。ずっと“シーン”としてましたし、観客もいないし。

丸山:あんな寂しい世界大会を観たのは初めてでした。だから、逆に言うと、モチベーション的には上がらないよね?

水谷:上がらないけど、やらなきゃいけないというのもありますし。気持ち的に整理がついたのが4月ぐらいですかね。

丸山:本当だったらもっと上がっていくわけでしょ?

水谷:本当だったら2020年の1月ぐらいにオリンピックの日本代表に内定して、半年間で一気に。僕の場合は、自分の力でオリンピック代表になれなかったんですよ。2019年はずっと選考レースをやってて、選考から落ちて、2020年の1月に監督推薦で僕は選ばれたんですよ。

丸山:監督推薦枠があるわけですね。

水谷:1名あります。ダブルスとかあるので。2020年まで、半年前までは自分がオリンピック出るかも分かんなかった。

丸山:土壇場で決まった感じだったんだね。

水谷:半年前に「水谷に推薦を出します」となって、半年間で仕上げていこうとしたら「延期になりました」となって。逆に、1年延期になったから1年半仕上げる時間ができたという意味では、僕としてはありがたかったです。

丸山:試合が目の前よりも? 長引けば長引くほど、なんとなく早くやりたいなって気持ちになるとか。次の年になれば年も取るわけで、若いうちにどんどんやったほうが良いのかなと思うんだけど、そのときは自分のなかであんまり調子が良くなかったってこと?

水谷:いや、2019年の1年間の選考レースが激しすぎて厳しすぎて……。毎週、世界を遠征して、一緒にチームメイトというか、日本代表で行くんですけど、チームメイトだけれども、ライバルなわけですよ。それを四六時中一緒にいろいろな海外に行って、やっぱり精神的にもつらいし、直接対決することもあれば、なんとなく言えないけれども、心のどこかでライバルの負けを祈ることもあったりするので。

丸山:なるほど。

水谷:そういう自分の醜さとかが嫌じゃないですか。それが1年間続いたので。(ライバルの負けを祈るような)そういう醜い自分もいるし、1年間ハードな試合が続いたので、ちょっと休みたかったなっていう思いもありました。

次回5月31日(土)のゲストも、水谷隼さんです。

「AuDee(オーディー)」では、時間の都合上カットしたトーク部分も盛り込んだ「ディレクターズカット版」がアップされています。音声は「AuDee(オーディー)」アプリで聴くことができますので、ぜひそちらもチェックしてください。



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5月24日(土)放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 6月1日(日) AM 4:59 まで
※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。

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<番組概要>
番組名:ACN presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAY
放送日時:毎週土曜 15:00〜15:25
パーソナリティ:丸山茂樹
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/moving/

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