相馬野馬追で会った元競走馬たち/島田明宏

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2025年05月29日 21:00  netkeiba

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▲作家の島田明宏さん
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 5月24日(土)から26日(月)まで、福島県太平洋側の相双地方で、世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」が行われた。今年から「未婚の20歳未満」という女性騎馬の参加条件を撤廃。旧相馬中村藩の宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷の各騎馬会から計394騎が出陣した。

 本稿をいつも読んでくれている人はおわかりだと思うが、相馬野馬追に出場する馬のおそらく8割以上は元競走馬だ。私が野馬追を取材するようになったのは、2011年の東日本大震災の被災馬取材が始まりだった。相双地方に被災馬が多いのはなぜかと思ったら、ほとんどが野馬追に出場するためにこの地域で繋養されている馬たちだったのだ。

 これだけ馬を扱えたり乗れたりする人の割合が多い地域はほかにないだろう。ここに暮らす人々にとって、相馬野馬追は、単なる祭以上に、強く、深く、人々の心に根付いたものなのである。

 そんな相馬野馬追に、第2、第3の馬生で出場するようになった元競走馬たちを(私が馬名を確認できたのは全体のごく一部ではあるが)紹介していきたい。

 かつて大山ヒルズで新人の乗馬指導などをしていた中ノ郷郡代の佐藤弘典さんは、2019年のアイビスSDを勝ったライオンボスで出陣した。佐藤さんが「初陣でこんなに堂々としている馬は初めて」と言うほど、ドッシリと落ち着いていた。なお、レーザーバレットも、中ノ郷先頭御先乗の坂本邦雄さんを鞍上に迎えて進軍し、雲雀が原祭場地一番乗りという栄誉を果たした。

 馬ではないが、中ノ郷の行列には、南相馬出身で元騎手の木幡初広調教助手の姿もあった。木幡助手は、騎手時代にも出場したことがある。

 小高郷中頭の只野晃章さんは、今年1月から自身で繋養しているレインフロムヘヴンで行列と甲冑競馬、神旗争奪戦に出場した。ドゥラメンテの初年度産駒で、芝の中距離で4勝した実力馬だが、野馬追においては「新馬」である。行列などでは何度もタップダンス状態になるなど、元気がよすぎるところも見られた。

 今年から小高郷の郷大将となった今村忠一さんの息子で螺役の今村一史さんは、自宅の厩舎で繋養するようになったショウナンライズで出陣した。通算6勝で、パラダイスS勝ちのあるこの馬は、東京競馬場で誘導馬をしていたことでも知られている。人前に出ることには慣れているだけに、鞍上で法螺貝を吹かれても動じることなく堂々としていた。

 通算5勝で、キャピタルS勝ちや、京都金杯2着、青葉賞3着などがあるピースワンパラディには、小高郷組頭の半杭政希さんが地元の知人から借りて騎乗した。

 ここまでは、今年初陣を迎えたか、私が野馬追で初めて見た馬を紹介してきたが、おなじみの人気者の姿もあった。ゴールドシップの初年度産駒で、札幌2歳Sを勝ったブラックホールが、北郷軍者の濱名邦弘さんを背に、今年も元気に行列に参加していた。

 最後に、相馬野馬追ならではの写真を2つ掲載したい。ひとつは、もし馬場状態が発表されれば不良だったと思われる、水の浮くダートでの甲冑競馬と、最終日に行われた野馬追の原点、騎馬武者が裸馬を追い込む野馬懸のショットである。

 甲冑競馬において、馬は、乗り手の体重に10kgほどプラスされる甲冑や鉄の鐙などの斤量に耐え得るパワーが求められる。乗り手は、上体を倒して旗指物の空気抵抗を少なくする技術がなくてはならない。旗指物が風を切る「ババババーッ!」という音を初めて聞いたときは鳥肌が立った。

 相馬野馬追の呼び物は神旗争奪戦や甲冑競馬と言われているが、神旗争奪戦は明治時代、甲冑競馬は戦後に始まったもので、野馬追全体の歴史としては新しい。千年以上前から続いているのは騎馬武者が野馬を追い込むもので、それが野馬懸となった。これがあるがゆえに国指定の重要無形文化財となったのだ。

 相馬野馬追など、馬と人とが共生する文化に関心を抱く人が少しでも増えれば、元競走馬が第2、第3の馬生を過ごすことのできる場も増えるはずだ。

 実際に現地に足を運ぶだけではなく、野馬追関連のグッズを買うとか、野馬追についてSNSなどで何かを発信するとか、どんなことでもいいから、関わりや結びつきを持つ人が増えてくれると嬉しく思う。

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