
6月8日にIBF王者・西田凌佑との統一戦を控えたWBCバンタム級チャンピオンの中谷潤人。4月21日から1カ月間に及んだLAキャンプを終え、日本での最終調整に入った。今回のキャンプでは268ラウンドのスパーリングをこなし、備えは万全だ。
今回、中谷はリトルトーキョーにあるLAボクシングジムで連日汗を流したが、当地を訪れる現地記者の数もこれまでより格段に増えた。また、5月2日にニューヨーク、マンハッタンでWBAウエルター級王座決定戦が催された際、当地の代名詞と呼べるタイムズスクエアの巨大スクリーンに中谷の映像が流れた。
WBCバンタム級チャンピオンは、今年2月1日よりBOXRAW社とスポンサー契約を結んでおり、同ボクシンググッズ・メーカーとRING誌のコラボレーションでコマーシャルが制作されたのだ。現在、BOXRAWが契約中の選手は、ライト級から4階級を制覇中のテレンス・クロフォード、WBA/IBF/WBOライトヘビー級チャンピオンのドミトリー・ビボル、WBAライト級王者であるジャーボンテイ・デービス、そして中谷と、いずれもパウンド・フォー・パウンド(PFP)ランキングの上位者である。
これまで中谷は、市販のアシックス製リングシューズを使用してきたが、西田戦からBOXRAWを着用する。
「僕は足首の固定に拘(こだわ)りがあります。今までの試合も、伸縮しないエナメルの固い素材を使っていました。踏み込んだ時にフラフラしない生地をリクエストしています。それと、紐を通す穴の位置ですね。足首周辺は穴を増やしてもらいました。練習用シューズは、柔らかい生地でもいいのですが」
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試合用の一品はまだ届かないが、PFP常連のファイターをサポートする新たな味方は、今後更に大きな舞台に上がっていく中谷にとって心強い味方となるだろう。
そのBOXRAWは、英国コベントリーで2017年に産声を上げた。創業者のベン・アマンナは当時25歳。自身の寝室に置いた小さな机と、母親が愛用していた台所のテーブルで作業した。
アマンナ自身、12歳で故郷のボクシングジムに入会している。ギャングに目を付けられ、虐待に怯(おび)えていた彼は、「家まで追いかけられて殴られる」ことを避けるためにグローブを嵌めた。
宣教師の息子として育ったアマンナには、遠足に行けなかった苦い思い出がある。両親は、その費用を捻出出来なかった。ボクシングと出会った頃、彼は自分でカネを稼ぐ時が来たと悟る。車の整備士となった父親を週末に手伝い、校庭で違法な売店を開いた。ネットで買い集めたUSBメモリ、電気製品、衣類などを売り捌(さば)いて僅かながら収益を上げる。
そんな彼はボクシングジムで、規律と目標に向かう努力の意を汲む。そして、学業にも身に付けたことを活かした。停学処分を受けてばかりの落ちこぼれだったアマンナだが、程なく成績優秀者へ変貌を遂げる。英国内でトップ10に数えられるブリストル大学で経済学と経営学を専攻し、950名の会員を擁するボクシングジムを運営した。
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BOXRAW設立者であり、現在はCEOであるアマンナはスティーブ・ジョブズの発した以下の言葉を好む。
"Everything around you that you call life was made up by people that were no smarter than you and you can change it, you can influence it, you can build your own things that other people can use,"
(あなたの周囲で"人生"とされているものは全て、あなたより賢くない人々によって作られた。だから、あなたはそれを変え、他者に影響を与え、人々が活用出来る独自のものを築けるのだ)
当初、パーカーとジャージのセット2種類ずつと8タイプのTシャツを販売したが、失敗に終わる。アマンナはその経験を糧とし、2020年にはボクシンググローブ、ウェアの売上が520万ポンド(698万5000ドル)に達する企業に成長させた。
その歩みを知ると、BOXRAWが中谷潤人のスポンサーに名乗りを上げた気持ちが、分かる気がする。プロボクサーとして頂点を目指すためと、15歳にして単身で全米有数の危険地帯――サウスセントラルに住み始め、ひとつひとつ階段を登ってきた男の生き方とリングパフォーマンスに共感したに違いない。
そして今回のキャンプ終盤の5月15日、中谷は思いがけない人物から連絡を受けた。NBAのスーパースターであり、ボクシング好きで有名なデイミアン・リラードである。4月27日のゲームで左アキレス腱を断裂し、現在リハビリ中のポイントガードが、中谷に自らSNSでメッセージを送ったのだ。
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NBAの現場にも出ている筆者は、何度かリラードとボクシングに関する会話をしている。今年の1月25日にはLAクリッパーズ戦で敵地を訪れていたリラードと、中谷潤人のボクシングについて話していた。
その折、ミルウォーキー・バックスの背番号0は言った。
「ジュント・ナカタニには頑張ってほしいな。応援しているって伝えてくれよ」
中谷もリラードとのやり取りを笑顔で語った。
「突然、自己紹介も何も無く『井上尚弥といつやるんだ』という文章が届いたんです。ビックリしましたが、とても嬉しかったですね。
来年になると思いますって、返事をしたら、『ベガスでやるのか?トーキョーか?』と。東京ドームになりそうです。日本開催でしょうと伝えたら、『それは大きい試合になるね。次の試合は来月だろう?』。とまた届いたので、井上戦がきちんとできるようにしっかり勝ちます、と記しました。
『ニック・ポール(WBAフェザー級チャンプ)とは戦うのか?』とも訊かれたので、まだ分からないですっていう感じで、メッセージの交換が終わりました。来シーズンは全休とも囁かれていますが、早く治して彼のプレーを見せて欲しいです。生観戦に行きたいですよ」
リラードも、貧困と犯罪で名を馳せるカリフォルニア州イーストオークランドで育った。
「自分は大学に進学し、その経験を糧にNBAで成功を収めた。今では何百万ドルも稼げるようになって、本当に幸運だ。俺や家族は苦境に陥り、ホームレスとなっていた可能性が十二分にある。タフなエリアだった。故郷には、暴力、麻薬が蔓延(はびこ)り、ホームレスがたくさんいた。忘れはしないよ。
正しい方向に導いてくれる人、頼れる人、父親のような存在がいることは、人生に大きな意味を持つ。彼らは人を正しい方向に導いてくれる。誰だって、何か間違ったことをした時に指摘し、正してくれる存在が必要なんだ。
シングルマザーは電気を灯し、食事の用意をし、家賃を払い、子供の服をきちんと揃えて......と、多くのことに対処しなければならない。それで、精神的に参ってしまうケースもある。時には、ストレスが手に負えなくなるんだ。
父親がいない子供は、慰めや支えを求めて他の場所に目を向ける。道を踏み外してしまった友達もいたよ。父親のような存在、支え、導いてくれる人が大切なんだよ」
そのリラードもまた、中谷の足跡に触れコンタクトしようと決めたのだ。
「自分の限界に挑む」「死ぬ気で努力する」
何人ものアスリートがそんな表現をする。しかし、中谷潤人と他者では、度合いに大きな差がある。LAキャンプを打ち上げ、数時間後に日本に向かう中谷は言った。
「僕が人生を懸けて打ち込んできたものがボクシングです。試合を見て下さる皆さんにも、生き方を感じてもらえるような試合をします。
西田選手も強い気持ちで向かってくるでしょう。しっかり受け止め、彼を上回っていくぞと、常々考えています。熱い試合になるでしょう。より上のビジョンを膨らませられるような闘いをお見せします」
筆者は、BOXRAWのリングシューズを履いた中谷が4ラウンド以内に西田を沈めると予想する。同じ階級の世界チャンピオン同士ではあるが、レベルが違う。
リラードが表情ひとつ変えずに得点を重ねるように、WBCバンタム級チャンプも鮮やかなノックアウトを飾るだろう。そして、リラードと同じ台詞「It's not enough(まだまだ満足出来ない)」を吐きそうだ。6月8日、まずは有明コロシアムで中谷がバンタム級2本目のベルトを掴むシーンに注目だ。
取材・文・撮影/林壮一