
これからは自分のために生きていきたい
夫は4歳年上の64歳、結婚して30年。二人の子は独立し、10年前に同居を始めた義父母も見送った。そして私は60歳を迎えて、最初で最後の最大の決断を下した。そう話してくれたのはマサコさんだ。「結婚も出産も、そして義父母との同居も大きな決断だったけど、全て自分で決めたこと。そう思って頑張ってきました。過去に恨みはないし、夫や義父母にも憎しみはありません。ただひたすら、これからは自分のために生きたい。それだけなんです」
振り返ればいろいろなことがあった。最初は共働きだった。それを続けていきたかったが、二人目の子を産んだ時点で断念した。「母としての代わりはいない」と自分に言い聞かせてキャリアを捨てた。
「そのとき夫と話し合えなかったのが口惜しかった。夫が一言でも『オレかきみか、どちらかが退職するしかないのかな』とか『誰か手伝ってくれる人を探した方がいいのかな』とか、私の気持ちに寄り添うような発言があれば、結果は変わらなくてもうれしかったと思うんです。
でも夫は『きみが会社、辞めるしかないでしょ』と当然のように言った。私が仕事を続けていれば、今の夫より出世したかもしれないのに」
上の子が学校でケガをしようが、下の子が中学を不登校になろうが、マサコさんは夫には言わずに一人で対応した。言っても寄り添ってくれないなら、言わずに一人で解決した方が混乱が少ないからだ。
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またも仕事を取り上げられて
義父母との同居も、夫が一方的に決めてきた。「私たちが住んでいるマンションを賃貸にして、家族で夫の実家に住むことにしたい、と。したいと希望を言っているのかと思ったら、すでに両親との間でそういう話になっている。両親は最後まで家にいたいという希望があるから、そうしてやりたいと。そのころ私はパートに出ていましたが、またも仕事を取り上げられたかっこうになりました」
義父母は優しい人たちだったが、介護が絡んでくると話は別だ。
「両親だけなら受けられる介護サービスも、家族がいるから受けられないことも多々あって。やはり別居の方がよかったんじゃないかと思うこともありました」
それでも老いていく義父母に冷たくはできなかった。
希望をもって生きていきたい
おととし春に義父を、昨年夏に義母を見送った。訪問介護を受けながら、最後まで二人の希望通り自宅で過ごさせることができた。
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子どもたちに話すと、「もういいよ。お母さんの好きなように生きて。まだ人生は長いんだから」と言われた。
90歳を超えていた義父母のことを考えると、自分にもまだ30年ある。そのうちどのくらい自分の意志で動けるかは分からないが、これ以上、人の面倒を見ることに時間と労力を費やすのはごめんだ、と自分が思っていることに気付いたと言う。
夫は離婚に応じないと言っているが
「夫は今年いっぱいで定年になります。今年になってから、夫に離婚を切り出しました。夫は目をまん丸くして何を言ってるのか分からないと一言。それきり話し合いにも応じようとしません。1カ月たったころ、『今後は弁護士を立てて話した方がよさそうね』と言うと、夫は『出ていけ』と。あなたの子を産み、あなたの親を看取った私に、よくそんなことが言えるねと言ったら、『誰に食わせてもらったんだ』って。本音が出ました。もちろん録音しておきました」
現在は家を出て別居状態。もちろん弁護士を立てて、これから調停が始まるところだ。夫は離婚に応じないと言っている。
「でも私は離婚します。泥仕合になるかもしれないけど、私は私の自由を獲得するまで何があっても諦めない。夫は『誰かに洗脳されたんじゃないか』『男がいるんじゃないか』と言っているそうです。
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さて、これからが本番、どこまでも頑張ります、私の人生のために。明るくそう言ってマサコさんはさっそうと去って行った。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(フリーライター))