新潟県北部の阿賀野川流域で発生した新潟水俣病が公式確認されてから31日で60年を迎えた。新潟市中央区では同日、患者や遺族のほか、浅尾慶一郎環境相、原因企業の旧昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の関係者らが出席し、「歴史と教訓を伝えるつどい」が開かれる。つどいは2015年に初めて開かれ今回で4回目となるが、環境相の出席は10年ぶり。参加者らは「二度と公害被害を起こさない」との思いを新たにする。
阿賀野川流域の住民が被害
新潟水俣病は1965年5月、新潟大の教授が「阿賀野川下流域に有機水銀患者が散発している」と県に報告したことで公式確認としている。この地域では川漁が盛んで、有機水銀によって汚染された川魚を食べた住民たちに被害が広がった。
これまでに、公害健康被害補償法に基づいて717人が認定され、95年の政治解決や09年施行の水俣病被害者救済特別措置法(特措法)、訴訟和解などで2980人が救済されている。
認定求め、今も集団訴訟続く
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一方で、症状があっても認定されなかったり、偏見や差別を恐れる周囲の反対や特措法の期限切れで申請できなかったりした患者らが国や県、原因企業などに認定や損害賠償を求めて集団訴訟を起こし、現在も続いている。これまでの裁判で原因企業への賠償命令は出ているが、国の責任は一度も認められていない。
被害者が高齢化する中、裁判は長期化し、行政による患者認定も進んでおらず、被害の全容解明は見通せていない。
また、国は熊本と鹿児島両県で、住民健康調査を来年までに始める方針を示しているが、新潟での調査は未定となっている。
31日の式典では、新潟水俣病でただ一人、母親の胎内で有機水銀の影響を受けた「胎児性水俣病」に認定されている古山知恵子さん(60)が被害者代表としてあいさつする。【戸田紗友莉】
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