
学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは今も昔も変わらない。この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、いまに生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載:「部活やろうぜ!」
バスケ・篠山竜青インタビュー:3回目(全3回)
1回目:北陸高校に進学を決めた理由「はて? 福井ってどこ?」
2回目:高1のインターハイ遠征「洗濯機が壊れてほうきを持って――」
【「ダメならあきらめる。次!」という考え方】
コート外の仕事にも追われた高校1年目を終えた篠山竜青は、2年時から北陸高校の中心選手として頭角を現していく。レギュラーとして全国大会で活躍し、世代別の日本代表合宿にも選ばれ、3年時にはインターハイ優勝、ウインターカップ準優勝に大きく貢献。U18アジア選手権・日本代表にも選出される選手へと成長を遂げていった。
高校3年間で学んだことは、来季でトップリーグの選手として15年目、川崎ブレイブサンダースひと筋でプレーしてきた篠山の大きな土台となるものだった。
|
|
――北陸での3年間で一番学んだことはどの部分ですか。何か指導者からの言葉で印象深く覚えていることはありますか。
篠山 直接的にこのひと言で、というのは思い浮かばないです。ただ、バスケットボールを1試合、40分のなかで捉える考え方は身についたと思います。
小中の時は、一つひとつのファンダメンタル(基礎)をしっかり身につけていく考え方が基本にあったと思います。できたこと、できなかったことがあるなかで、できなかったことをどうしたらできるようになるか、みたいに、綺麗に100点満点を求めていくスタイルです。それが北陸では、"ここまで自分たちが頑張ったのに相手にその上をいかれたのなら仕方ない、もう終わり。次、やり返せばいいよ"的な考え方だったのです。
――そもそもバスケットボールはどのスポーツよりも攻守の切り替えが多いため、終わったことにこだわりすぎると、うまくいかなくなるケースもあります。
篠山 そうなんです。ベストを尽くしてダメなら、あきらめる。次のプレーで頑張れ、という考え方です。中学までキチッキチッと教えられてきたぶん、そのギャップがすごく新鮮で面白かったんですね。
|
|
練習の雰囲気自体も地道に一つひとつ取り組むというより、悪い表現で言えば、「馬鹿になれ」的な空気、競技に対して前向きに向かい合う、明るい雰囲気がすごくありました。そういう空気の中でバスケットボールをできたのは、自分の競技人生にとってターニングポイントだった気がします。
今の自分がみなさんから「ベンチでも楽しそうにしてる」とか、「何か明るいキャラクターだよね」と言っていただくことが多いのも、自分のなかのそういう部分が北陸での3年間で開花したからだと思います。
――3年目にはU18アジア選手権・日本代表にまで選ばれました。
篠山 めちゃくちゃうれしかったですね。実は日本代表レベルに呼ばれたのは、その前年のU18日本代表強化合宿(トップエンデバー)の時が最初でした(U18アジア選手権が隔年開催だったため)。ちょうど夏のインターハイ、福岡大大濠高との準々決勝で、最後は逆転負けとなりましたが、自分が20点近く取って大化けしたんです。当時の大濠は、現在同校の監督を務める片峯聡太さんをはじめ、全国トップレベルの選手がいて、めちゃめちゃ強かった。
たぶん、(自分が代表合宿に選ばれたのは)その時の活躍が認められた結果だったと思います。JBA(日本バスケットボール協会)から送られてきた手紙の封を開けると、「トップエンデバー合宿に招集します」といった内容のことが書かれていた文面を見た時、"これで大学、その後のJBLが見えてきたかも"という気持ちになれたのは、思い出として強く残っています。
|
|
――そうした代表活動に参加することで、全国のトップ選手との交流も深めていった。
篠山 そうですね。短期間の合宿なのでそこまで深く交流したわけではないですけど、会話する相手が増えましたし、すごく刺激を受けました。ただ、自分が坊主頭だったので、髪を伸ばしている選手が多かったので、少し恥ずかしかったです(笑)。
北陸は全員坊主のイメージが強いと思うのですが、実はチームのルールとして決まっていたわけではないんです。全員が坊主の時は......気合を入れている証拠であることが多いですが、コート内外で誰かが何かをやらかした時もあった、ということも付け加えておきます(笑)。今はどうなっているかは知りません。
【「今の僕自身を語るうえで切っても切り離せないもの】
――北陸高のイメージは質実剛健なイメージですが、バスケットボールはかなり自由というか、選手自身が考えることで成長する風土があった印象です。だからこそ、篠山選手も元来の性格を出しつつ、前向きに取り組めた感じなのでしょうか。
篠山 そうですね。少しずつ自分を出して、あ、笑って許してもらえるんだなっていうところに気づいたからかもしれません。小中の先生たちは本当に真面目な先生たちで、もちろん今の自分に大きな影響を与えてくれたのですが、性格面では完全には弾けきれていなかったと思います。
津田(洋道)先生や久井先生は厳しかったですけど、基本的には、ほぼ野放し、というか特にポイントガードに対しては思いきってやりなさい、というスタンスでした。それこそ先輩の佐古(賢一)さん、五十嵐(圭)さん(現・新潟アルビレックスBB)、石崎(巧)さん、西村(文男)さん(現・千葉ジェッツ)は、それぞれ個性があり、それぞれの時代で日本代表のユニホームを身に纏う選手となったので、そういう世界観を生み出す風土が北陸にはあると思います。
練習では全国トップレベルの選手同士の競争を毎日繰り返し、何か自分の色とか、自分ってこういうガードなのかなみたいなのが少しずつ見えてくる。僕が1年生の時は3年生の西村さんにオールコートの1対1の相手をしていただいたりしましたけど、そういう風土が歴史のなかで続いて、伝統となってきたのが北陸高校なのではないかと思います。
――最後に。篠山選手にとって、部活とは?
篠山 もう、青春そのものですね。そして、今の自分の基礎を築いてくれた場でした。特に今は自分が父親になったので、子どもにはバスケとかプロとかに関係になく、部活動とかチームスポーツを通して何かを学んでほしいと思っています。学校の教室とはまた違う集団の中で学ぶこともたくさんあると思うので。
今回は高校のことを中心に話しましたが、中学の時も本当にいい先生に巡り合うことができて、すごく成長できた3年間でした。公立の中学校で、その先生が赴任してきたことで力を入れ出したチームで、僕らの代にはふたり、バスケ素人がいたんですよ。運動能力は高かったのですが、そのうちのひとりは最初の2年間はずっと部活に来なかった。ただ自分が最終学年になった時に、試合に出られるからと引っ張ってきて、マイカンドリル(ゴール近辺で行なう基本的なシュート練習)から始めて、試合に出られるレベルにまで成長した。全中には行けませんでしたけど、県大会優勝まで行ったのも、いい思い出です。
学生時代を振り返るとなったら、8割、9割が部活のことです。バスケットというスポーツの中で、バスケット以外の部分もすごくいろんなものを学ばしてもらった。その意味では、僕自身を語るうえで、「部活」という存在は、切っても切り離せないものです。
Profile
しのやま・りゅうせい/1988年7月20日生まれ、神奈川県出身。ポイントガード。横浜市立旭中(神奈川)−北陸高(福井)−日本大−東芝(JBL)−東芝神奈川(NBL)−川崎ブレイブサンダース(Bリーグ)。身長178cm、体重75kg。左利き。北陸高時代は1年時のウインターカップにベンチ入りし、2年時から主力として活躍。3年時にはインターハイ優勝、ウインターカップ準優勝の原動力となった。卒業後、日本大を経て、2011年に川崎ブレイブサンダースの前身である東芝ブレイブサンダースに加入。以降、同チームひと筋でプレーし、来季で15年目を迎える。これまで世代別の日本代表としても活躍。2016年から2019年はトップの日本代表としてプレーし、東京五輪出場権獲得に大きく貢献した。Bリーグを代表するエンターテイナーとして名を馳せ、オールスターゲームの代名詞的存在として、多くのファンを魅了している。今季は自身初のBリーグ・フリースロー成功率リーダー(91.7%)となった。