多彩な文学を紹介する珠玉の一冊 【沼野恭子✕リアルワールド】

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2025年05月31日 12:00  OVO [オーヴォ]

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「ツェリン・ヤンキー。チベット服での盛装(本人提供)」

 日本では、明治時代から外国文学の翻訳が盛んに行われてきたが、どうしても欧米文学の作品紹介に偏りがちである。近年「世界文学」を、単に決まりきった名作の集積と考えるのではなく、「翻訳」と「流通」を重視した新たな枠組みで捉え直そうというデイヴィッド・ダムロッシュ(米ハーバード大学)の世界文学論が日本でも話題になっている。

 彼の研究は、取り上げる作品の範囲がはるかに広がり「読み」の自由度が増しているところが新鮮で魅力的だが、いかんせん、分析で扱われる作品がほぼ英訳のみを基本にしているのが逆説的だ。結局のところ、英語偏重なのではないか。

 英語以外の外国語を専門とする外国文学者たちが感じるそんなもどかしさを払拭しようとするかのような、意欲的な本が最近出版された。山口裕之編『地球の文学』(東京外国語大学出版会)である。編者による「あとがき」からは、「ダムロッシュ以後」をキーワードに、翻訳のダイバーシティ(多様性)を提示したいという熱い意気込みが感じられる。

 その思いを具現化した本書は、東京外国語大学の地域研究者や関係者26人による、さまざまな国や地域の文学に関するエッセー集である。反「英語偏重」の意図を何よりもよく象徴しているのは、英語で詩を書いていたアイルランドの詩人マイケル・ハートネットが、よりマイナーなゲール語に切り替えた事例だろう。それは、スペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの『ジプシー歌集』に触発されてのことで、周縁的なものへの共感が根底にあるという。ハートネットと同じくロルカに共鳴している著者、今福龍太ならではの詩的エッセーが美しい。


 他に目を惹(ひ)くのは、ステレオタイプ化したアフリカ像ではなく「複数のアフリカ」という実態の中で、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴが「精神の脱植民地化」を目指して英語からギクユ語に替えたこと(くぼたのぞみ)。消滅するとまで言われたバスク語が1960年代以降「急激な言語復興の進展を経験し」た結果、ベルナルド・アチャガやキルメン・ウリベといった、国際的に評価されるバスク語作家を輩出したこと(金子奈美)。チベットでは80年代からチベット語を用いた小説が隆盛をみせ、ついに優れた女性作家ツェリン・ヤンキーが現れて「女性を巡る社会問題をあぶり出した」こと(星泉)。タイでは日本の男性同性愛を題材にした小説や漫画の影響を受けた作品が「Y小説」として新しい潮流をなしていること(コースィット・ディップティエンポン)などなど。もっと紹介できないのが残念だが、どのエッセーにも興味深い物語やエピソードがいろいろ盛り込まれている。

 これほどたくさんの(英語も含めた)言語で、これほど多様な文学が生みだされていることには驚嘆するしかないが、その一端を知ることができるのは、それぞれの地域の歴史や文化に精通した専門家がいて日本に紹介してくれるからにほかならない。そして、本書の寄稿者の多くは、各地域の研究者であると同時に文学翻訳者でもある。

 本書は、地球の文学の多彩さと豊かさが凝縮された珠玉の一冊である。(敬称略)

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 20からの転載】

沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/ 1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

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