「ステージ0なのに乳房全摘」乳がんの47歳モデルが感じた“違和感”と再建しなかった深刻理由

0

2025年05月31日 12:40  週刊女性PRIME

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週刊女性PRIME

ステージ0の乳がんを宣告されたモデルの佐藤弥生さん

 2021年に乳がんの告知を受けたモデルの佐藤弥生さん。不幸中の幸いか、欠かさずに受診していた定期検診での早期発見だった。ただ、しこりもなければ痛みもないステージ0……。全摘にいたった経緯を語った。

ステージ0なのに全摘ってどういうこと?

 2021年の1月。モデルやコンディショニング・インストラクターとして活躍する佐藤弥生さんは、定期的な検診の過程で乳がんの告知を受ける。しこりや痛みなどの自覚症状はまったくなく、進行状態は“ステージ0”。

 しかし、医師には「今後の進行を考えると左の乳房を全摘したほうがいい」と告げられた。

 そのとき42歳。10代からモデル活動を始め、雑誌や広告など、幅広い媒体で仕事をし、40代になり結婚。その矢先の出来事だった。

ステージ0なのに全摘ってどういうこと? と理解が追いついていないところに、2週間後に空きがあるので手術ができると言われて……」(佐藤さん 以下同)

 その日は頭が混乱したまま帰宅。家族に相談するも、身近に乳がんのステージ0で全摘をした人はおらず、ネットで検索をしても確かな情報は得られない。日を改めて家族とともに、再び医師の説明を受けに行く。

「先生からは、他でセカンドオピニオンを受けてもいいと言われましたが、ちょうどコロナ禍でもあり、他の病院で診断し、そこから改めて手術の予約をとるとしたら、かなり先になってしまうとも。

 その間に進行したら怖いという気持ちと、普段からお世話になっていて信頼している先生であり、詳しい説明を受けたうえで『あなたの場合は、全摘がベスト』と断言されたこと、そして『子どもも産めるし、普段どおりの生活ができる』という言葉に、全摘を決断しました

 告知から手術までは2週間。入院の準備などで日々は慌ただしく過ぎていく。

でも、それがよかったかもと思います。時間があったら、いろいろなことを考えてしまい、不安や恐怖が大きくなっていたかもしれません

 入院した日の午後に手術。左乳房を全摘した。

術後はテープを貼っていてひきつれ、左手がほとんど動かせませんでした。強い痛みがあり、何もしたくない状態。胸の傷口を見るのが怖くて、シャワーを浴びなかったのですが、3日たったぐらいで看護師の方に『そろそろ浴びましょうね』と言われてしぶしぶと……。胸のない姿を見たときは、やはりショックで、かなり落ち込みました

 放射線治療や抗がん剤の投与がないため、術後は“普段どおりの生活”ができるはずだったが、日常での不便さはいろいろと出てくる。

全摘という決断をしたことに後悔はない

当初は腕が肩ぐらいまでしか上がらず、重いものが持てないだけでなく、洗顔や着替えをするだけでもひと苦労。10分くらいでできた身支度に40分くらいかかってしまい、人や物との距離感もうまくつかめませんでした

 仕事は手術から約半年後に、まずは自身の運動も兼ねて、ストレッチポールを使ったトレーニングの講師として復帰。「スタイリストの前で着替えをすること」や「洋服をきれいに着られるか」と不安だったモデル活動も、パッドの入った下着を使えば問題がないと再開をしていく。

 手術を受けた病院では、乳房再建手術は行っていなかったため、まずは全摘の手術のみだったが、現在も乳房再建の手術は行っていない。

人それぞれいろいろな考えがあると思います。私の場合は、再建手術は自分のお尻やお腹などの脂肪組織を移植するので、胸のために他の部位を切ることへの迷いや、痛みや圧迫感、合併症のことなどを考えているうちに時間がたってしまいました。今は『しなくてもいいかな』という気持ちになっています

 手術から約4年がたち、今年の3月で47歳となった佐藤さん。

乳がんは進行が遅いとされており、10年は経過を見る必要がありますが、検診では大きな問題はなく、左胸に関してはほぼ再発はないと言われています。全摘という決断をしたことに後悔はありません

 当初感じた不便さも、ほとんどなく日常生活を送ってはいるが

下着や洋服選びは、ちゃんと試着しないと、肌のどこに当たるかわからないので難しいですね。あと、気圧の変化に体調が左右されるようになりました

 と、以前との違いは、やはりあるそう。そして、生き方への考え方が大きく変わった。

以前は、何事も200%、300%の力を出そうとしていました。でも、今はがんばりすぎたり、考えすぎることが、不調となって自分の身体と心に返ってきてしまってはダメだと思うように。自分を大切にして、その場、そのときを楽しみたいですね

 前向きな気持ちは原動力となり、現在はモデルとコンディショニング・インストラクターの活動に加え、発酵食品を中心とした料理教室なども行い、美と健康の総合プロデュースを手がけ、講演活動も行う。

 モデルの仕事だけをしていたときに比べ、地元に根ざした活動が増え、仕事の幅も人間関係も広がっている。さらに、ブログやSNSで、自身の体験を発信。同世代の女性や同じがん患者からの共感の声が多数届けられる。

「病状は個人差があり、医療的なアドバイスはできないですが、ステージ0での全摘、下着や洋服選び、気圧による変化など、自分で経験して初めてわかることも多かったので、誰かの助けや慰めになればとは思います。

 とくにステージ0という段階での発見は、検診を受けていたからこそ。面倒くさがらず、多くの人に定期的な検診を受けてほしいです

 とメッセージを送る。

婚活アプリにも登録

 結婚、乳がんと人生の大きな出来事を経験した佐藤さんの40代だが、もうひとつ大きな変化が訪れていた。

離婚をしました。乳がんが原因ではなく、その前から少しずつズレを感じていて決断をしました。でも手術前後の不安だった時期に寄り添ってくれた、元夫には感謝しています。恋愛や結婚はこりごりということはなくて、実は婚活アプリにも登録しているんです。

 まだお相手はいませんが(笑)。お付き合いをするなら、仕事のことを話せたり、健康志向な人がいいですね。年齢的に出産は難しいかもしれませんが、子どもが好きなので、相手にお子さんがいたら、楽しい生活が送れるのかなとも思います」

 突然の乳がん告知。そして乳房を失った先に見つけた考え方と生き方。この先に迎える50代、そして60代、70代と、佐藤さんの新しい未来が待っている。

取材・文/小林賢恵

    ランキングライフスタイル

    前日のランキングへ

    ニュース設定