
アスリートはいつ「旬」を迎えるかわからない。遅咲きの選手が早熟型の選手との競争に敗れ、プレーする場を失うことも珍しくない。本来であれば大輪の花を咲かせていたかもしれない選手が、芽を出すことなくひっそりと選手生活を終えているのだ。
5月20日、まばゆい光を放つふたつの才能を目の当たりにして、「野球界に独立リーグという受け皿があってよかった」と実感した。
【高校・大学時代は控え投手】
ファイターズ鎌ヶ谷スタジアムで行なわれた日本ハムファーム対BCリーグ選抜の交流戦。バックネット裏には多くのスカウトが訪れていた。多くのスカウトのお目当ては、BCリーグ選抜の左腕・冨重英二郎(神奈川フューチャードリームス)である。
冨重は最終回に登板すると、1回を無失点に抑えた。球場のスピードガンに表示された最高球速は151キロ。ただ速いだけではない。指にしっかりとかかったボールは加速感があり、「ビチィ!」と強烈な音を立てて捕手のミットに収まる。球威にかけては、BCリーグ選抜投手陣はおろか、この日に登板した日本ハムの若手有望株を含めても一番ではないかと思わせた。
ただし、冨重は登板後にこんな反省を口にしている。
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「変化球が少し高めに浮いて、打たれたのは反省点です。プロのバッターはボール1球分でも浮くと打たれるんだなとわかりました」
昨季に一軍で活躍した水谷瞬と対戦し、スライダーをセンター前へと運ばれた。結果的に0点には抑えたものの、自身の課題が気になったようだ。
その一方で、ストレートに関しては通用する自信がついたのではないか。そう尋ねると、冨重はこう答えた。
「真っすぐには自信があるので。たぶん1イニングなら押せるとわかりました。今日はスライダーが抜けていたんですけど、真っすぐは全部指にかかっていたので」
今季から神奈川フューチャードリームスに入団し、リーグ戦(5月31日現在/以降同)では4試合に先発登板。22回を投げて奪三振29、防御率0.41と圧倒的な成績を残している。
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だが、冨重はこれまで華々しい実績を挙げてきたわけではない。東海大相模、国際武道大では控え投手。大学4年春の大学選手権では中継ぎで2試合に登板したものの、冨重は「大会前に体調を崩して、ピークではなかった」と振り返る。社会人のバイタルネットに入社して野球を続けたが、NPBへの夢を追いかけて独立リーグへとやってきた。
冨重は充実感を口にする。
「昨年の10月は体重が78キロだったんですけど、今は体を鍛えて82キロまで増えました。体重が乗ってきた分、指先にも重さが伝わるようになって、今までより真っすぐで押せるようになってきました」
大学時代にも最速149キロを計測し、周囲から潜在能力を評価されていた。だが、ひとり暮らしで自己管理が甘く、大事な試合に合わせて調整することが苦手だったという。現在は実家で暮らし、家族のサポートを受けながら肉体強化に励んでいる。
「大学の時は外食ばかりで、脂肪分ばかりとっていました。今は食事や睡眠に気を遣いながら生活しています。好きなお酒も抜いて我慢しています(笑)」
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24歳になる年に本格開花の兆しが見えることについて聞くと、冨重は淡々とこう答えた。
「今までやってきたことが、やっと形になってきたのかなと感じます」
【大学2年夏に打者転向】
この日のBCリーグ選抜は、晩成型の野手も登場している。
試合前のBCリーグ選抜の打撃練習で、とてつもない打球を目撃した。身長190センチ、体重97キロの巨大な右打者が放った大飛球が、鎌ヶ谷スタジアムの左翼へとぐんぐん伸びていく。打球は左翼フェンスをはるかに越え、その先に張り巡らされた高いネットをも越えた。日本人離れした脅威の場外弾を放ったのは、三方陽登(みかた・はると)である。
「周りから『場外に行ったよ』と言われたんですけど、僕は打球を追ってなかったんで、わかんなかったです」
鷹揚な雰囲気は、大物感をより醸成する。この日、三方はBCリーグ選抜の4番・右翼で先発出場したが、1打席目から2打席連続三振を喫した。だが、三方に焦りはなかったという。
「内容は全然悪くないかなと思っていたので、へこまずに切り替えていきました。最近の試合から、打席の内容がだんだんよくなっている実感があったので」
最終打席では日本ハムのドラフト4位ルーキー・清水大暉の145キロストレートをとらえ、センター前ヒットを放った。この日は5打数1安打に終わったものの、大器の片鱗は見せた。
三方は創志学園に在学した高校時代に、ドラフト候補にも挙がった大型右腕だった。ところが、駒澤大に進学する段階で異変が起きたという。
「途中で投げ方がまったくわからなくなって。球はいかないし、コントロールもできず、そのまま大学に進んでしまって。ケガはまったくしていないんですけど、動作が噛み合わなくなった感じです。これじゃダメだなと」
大学2年の夏に志願して野手に転向する。大学3年まではリーグ戦出場0だったが、4年時に香田誉士史(よしふみ)監督が就任したことが転機になった。香田監督は駒大苫小牧、西部ガスなどの監督として実績がある指導者である。
「香田さんが監督になってから、結構使ってもらえるようになりました。『この体があるんだから、振っていけないとダメだぞ』と言われていました」
ただし、途中交代する試合も多く、確固たるレギュラーというわけではなかった。打席での存在感は絶大な一方で、穴も大きい三方は起用法が難しい存在だったに違いない。駒澤大が戦う東都大学リーグは大学球界屈指のレベルで、ひとつのミスが命取りになるだけになおさらだ。
【あえて独立リーグを選択】
卒業後は社会人野球に進む選択肢もあったが、三方はあえて独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスを選んでいる。香田監督からの勧めだという。
「NPBを目指すなら、ここが近道だと思いました」
リーグ戦では15試合に出場し、打率.276、1本塁打、8打点、4盗塁。常時試合に出られて充実しているのではないかと尋ねると、三方は笑顔を見せた。
「楽しいです。ここまで全試合フルイニング出させてもらって、しんどいですけど、そんなこと言っていられないです。NPBに行くには甘いボールをひと振りで仕留める力が大事になってきますし、今日もとらえきれないもったいないスイングが何回もあったので。NPBの速い球に対応するための瞬発力もつけないといけないと感じています」
現実的にNPB球団からドラフト指名を受けるには、多くの課題を克服しなければならないだろう。だが、ドラフトまではあと5カ月もある。実戦を経験するなかで、三方が大化けする可能性は十分にある。
まとまった出場機会が得られる独立リーグのほうが、三方には合っていたのだろうか。最後にそう聞くと、三方はきっぱりと反論した。
「いえ、東都でやっていたことは間違いではなかったです。日本一の大学リーグでやっていた経験が、今プラスになっているので」
雌伏の時期を力に換えて。大きな花が咲く日は着実に近づいている。