取材に応じる山田孝太郎さん=5月21日、新潟市 新潟水俣病の公式確認から60年を迎えて教訓の継承が課題となる中、後世に伝える取り組みを始めた若者がいる。「(同世代と)一緒になって学びを継承し、伝えていく側になれたらいい」。高校生や大学生に出張講義を行う傍ら、地元の文化なども合わせて語り継ぐ一般社団法人の設立に向けて動いている。
新潟市に住む病院職員、山田孝太郎さん(23)が最初に新潟水俣病に関心を持ったのは、小学6年生だった2013年。未認定患者らが第5次訴訟を起こしたというニュースを見て、「過去の出来事」と思っていたのに、新たに裁判が始まったことに衝撃を受けた。
その後、新潟県立大に入学。5次訴訟が新潟地裁で続いていたことを授業で知り、地元で暮らしていながら無関心でいたことを後悔する感情が湧き上がった。
3、4年次に水俣病患者が出た阿賀野川周辺や熊本県水俣市を訪れるフィールドワークに参加。新潟でも熊本でも、患者は普通の日常を過ごしている中で発症したことを実感した。自分の日常と比べて、「そんなに離れていない」と感じたという。
昨年3月に大学を卒業した際、「ここで(学びを)やめてしまったら小学生の時と一緒だ」との思いから、水俣病に向き合い続けることを決めた。これまで関わってきた被害者や支援者らが高齢化する中、まずは熊本にあるような学びの拠点づくりを目指している。
「学ぶだけでなく、写真や映画、民謡などいろいろなものを少しずつ残していく。そこから興味、関心を持った人が綱を引っ張ってくれたら」と願っている。