映画「トラペジウム」ついに配信開始 「遅効性の毒」「脳を灼かれる」と評される魅力を徹底解説

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2025年06月01日 11:00  ねとらぼ

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【動画】「トラペジウム」予告編を見る

 元乃木坂46の高山一実による小説を原作としたアニメ映画「トラペジウム」のAmazonプライムビデオでの配信が5月30日よりスタートした。


【動画】「トラペジウム」予告編を見る


 まずは「遅効性の毒」と称されたように、「じわじわと効いていく」作品の魅力、いや危険な中毒性のある本作の、劇場公開時のムーブメントを振り返っておきたい。


上映終了直後の「魂の叫び」が忘れられない

 本作は劇場公開当初の興行では苦戦をしていたものの、その内容におそれおののく人、いや熱狂的なファンをたくさん獲得し、連日Twitter(現X)のトレンドに入り続け、「脳を灼かれる」「囚ペジウム」「これは観てくれてありがとうの先払いの寿司です」などの名言を生み出していた。


 そうした口コミの影響で、次第に満席に近い上映回も相次ぐようになり、多くの劇場で7週目になっても上映が継続した。合同誌(同人誌)の執筆者は総勢100名以上にのぼり、冬のコミックマーケットでは総勢19のサークルが同人誌を出すなどの人気を得ていた。


 「トラペジウム」がそれだけの熱を帯びるのはなぜか、その理由の一端が分かる例がある。筆者が2回目を見たとき、友達と一緒に見に来たのであろう若い女性が、劇場が明るくなった瞬間にこう叫んだのだ。「もー! 主人公のこと嫌いになったんだけどー!」と。ただ、本気で嫌がっている風ではなく、少し喜びが入り交じったような声のトーンだったので、おそらくは映画を最大限に楽しんでいたのだろう。


 そう、この「トラペジウム」の大きな特徴は、「見終わった時に嫌いだと叫びたくなる」ほどに「主人公の性格が悪い」ことにある。


 しかし、それだけではない。第一印象では露悪的とすらいえるポイントがどうしても頭に残ってしまうが、数々のシーンを振り返ってみれば、まっとうな青春映画として、とても作り込まれていることにも気付くのだ。そして、主人公に怒りだけでない複雑な感情を持つことが「語りたくなる」大きな魅力であり、あるいは彼女のことばかり考えてしまうことが「脳を灼かれる」理由だ。


慣れていけばきっと楽しくなってく理由

 実際に筆者は本作の鑑賞回数を重ねるごとに、感想が変わっていった。1回目「いや、自分は好きだけど、これは賛否がはっきり分かれるだろ!」→2回目「衝撃的なシーンばかり覚えていたけど、実は細かい演出がすごい」→3回目「このセリフとシーンの奥深さにやっと気づいた。明日また見る」→4回目「(泣きはらして)これは青春映画史上で3本の指に入る大傑作だ!」という風に。


 これから見る方は、ぜひ「言葉に頼らない演出」にもぜひ注目していただきたい。例えば、「信号機」はキャラクターの「前に進んだり止まったりする気持ち」を、「星」は「夢」を示している箇所があり、後述もするが「風(による動く風見鶏)」「光」の表現も素晴らしい。


 主人公の「これまで」を示しているオープニング映像をはじめ、一度見ただけでは到底気付けないディテールが満載なので、なるべく良い環境での鑑賞や、リピート鑑賞もおすすめしておきたい。


 前置きがすっかり長くなったが、ここからは本編に触れつつ、具体的な「トラペジウム」のすごさを解説しよう。これ以上情報を入れたくないという方は、先に本編の再生ボタンを押していただきたい。


※次ページより、結末部分は避けつつ、一部ネタバレを含む内容となっています。


開始5分で主人公のヤバさが渋滞

※この先は結末には触れず、一部ネタバレを含む内容となっています。


 「トラペジウム」の主軸の物語はシンプルで、「高校1年生の東ゆうが、4人の美少女を仲間にして共にアイドルを目指す」だ。なるほど王道のアイドルの成長物語と思うところだが、序盤から「なんだか様子がおかしい」と気付くだろう。


 何しろ、東ゆうは訪れた「聖南テネリタス女学院」で「うわぁ東高、制服だっさ」と自身の高校の制服がディスられると、その校名の表札を「何が優しさだよ!」とキレながら蹴る(注:テネリタスはラテン語で「優しさ」であると直後の「校歌」で示される)。


 さらには目当ての美少女を見つけると「純金インゴット!」と口に出してよろこぶ。そんな重量級の呼び方をするな。開始5分にも満たない時点で、下世話な言い方だが、主人公の「やべーやつ」ぶりが渋滞しているのだ。


 そして、美少女を仲間にするためにノートにしたためた計画は客観的には「ガバガバ」で、彼女自身も「最初から計画が全部うまくいくとは思っていないし」「自信過剰なやつです」などと自己分析している。


 しかし、幸運または偶然が手伝いまくり、華鳥蘭子、大河くるみ、亀井美嘉という仲間が集まり、4人組グループ「東西南北」としてまい進していく。この「トントン拍子の成功」が、むしろ後の「狂気」につながったともいえる。


「過去の言葉をくみ取った上で責める」陰湿さ

 そして、新進気鋭のアイドルグループ「東西南北」には次第に不穏な空気、いや「崩壊」の足音も聞こえてくる。


 その理由のひとつは、東ゆうが「誰もがアイドルになりたいわけじゃない」という、当たり前のことに気づいていないことだ。それは例えば、東ゆうの「かわいい子を見るたびに思うんだ、アイドルになればいいのにって」「本人がアイドルに手を伸ばさない限り、アイドルにはなれないでしょ。それってすごくもったいない」という、なかなかに勝手なセリフからも分かる。


 そもそも、東ゆうは自身がアイドルになりたいという夢(本人いわく「もう現実にすると決めていること」)と、みんなとアイドルになりたいということを、少なくとも劇中では仲間にろくに話していない(協力者となる少年・工藤真司には話している)。そして、東ゆうはアイドルになってから、なまじ「プロ意識」が高いせいもあってか、トゲのありすぎる言葉で仲間たちを傷つけていく。


 特に、彼氏がいることがバレた亀井美嘉への、舌打ちの後に放った「彼氏がいるんだったら、友達にならなきゃよかった」は、彼女が過去に言っていた「私たちはもともと友達だったんだから(ボランティア仲間と言ってほしくなかった)」という「本人が大切している言葉をくみ取った上で責める」という、とても効果的かつ、陰湿なものだ。


まともなところもあったはずなのに「狂気」が表出する

 一方で、東ゆうは初対面の女の子には敬語で話しかけるし、ちゃんとお礼も言えるし、謝ることもある、社会性のあるまっとうな人物だと思えるところもある。


 例えば、序盤に登山ボランティアに行ったときは大河くるみに「ごめんね、無理言って付き合ってもらっちゃって」と言い、「ほんとだよ、楽しくなかったら許さないからね」と返されたりもする。「無理強いはよくない」という当然のことは、ちゃんと分かっているはずなのだ。


 そうであるのに、東ゆうは、もともと目立つことが苦手なくるみの精神が崩壊寸前であることに気づいていなかった。目の前でくるみが泣き叫び暴れる様を見てもなお、ため息をつきつつ、「明日も収録があるんだよ」という理由でくるみと話そうとしていた。


 そして、華鳥蘭子に「わたくしもね、気づいたことがあるの。アイドルって楽しくないわ」と言われたときに、ついに飛び出すのだ。「そんなのおかしいよ!」「こんな素敵な職業ないよ!」といった言葉、いや、アイドルという夢に取りつかれた、東ゆうの狂気が。


 つまり、本作で描かれていることの本質は「好きなことを盲信し、それ以外のことに気づいていない」という、誰にでもあり得る過ちだ。あるいは、「好きは呪いにもなる」という、この世にある本質をついていると言っても良いだろう。好きとは、それほどまでに恐ろしいことだと気付かされる物語でもあるのだ。


「出口。私は」の意味は?

 もちろん、ここまで来れば、さすがに東ゆうも過ちに気付く。「私ってさ、イヤなやつだよね」と自己卑下をする彼女に対しての、お母さんのとある言葉はあまりに尊く、これまで彼女の物語を追ってきた人であれば、きっと同意できるだろう。


 また、全てを失った東ゆうのノートには、「がんばる」という言葉に二重線が引かれ、涙のあとがあり、「出口。私は」と書かれている。この前後に続く言葉が何かははっきりとはしていないが、筆者個人は「この絶望的な状況の出口が見つからない」「私はもうがんばれない」という東ゆうの気持ちそのものだと思えた。


 なお、原作小説の131ページでも「出口」という言葉があり、そこからの引用とも取れるので、併せて読んでみてもいいだろう。映画でも原作でも、東ゆうはあの場所で、「出口」を見つけたともいえるのだから。


みんなが限界までがんばり続けた理由は、はっきりしている

 そして、東ゆう以外の3人が、(おそらくは)アイドルになりたいと思っていなかったはずなのに、なぜ限界まで頑張り続けていたのか、その理由ははっきりしている。


 自分たちの友達でもある、東ゆうのことが大好きだからだ。


 そして、みんなが「誰かのためになること」をしたいと思う、幸せや笑顔を願う、優しい女の子たちでもあるからだ。


 例えば、大河くるみは車いすの少女・サチを文化祭に誘っていて、亀井美嘉と華鳥蘭子も車いすを押してあげて、みんなで楽しそうにしていた。東ゆうもみんなで見ようと計画していたライブのチラシを捨てて、みんなで文化祭をまわることを優先した。サチ本人もお化け屋敷が怖すぎて泣いている華鳥蘭子をよしよししたり、アイドルの服を自分よりも東ゆうに着てほしいと言っていた。


 他にも、大河くるみは、東ゆうが流ちょうな英語を披露したとき、「今、タミヤでロボットを買ったって言った?」「いいなー、くるみもほしいなー」と言っている。タミヤは本来メーカー名で、東ゆうは「タミヤをお店の名前だと勘違いしている」わけだが、くるみはそのウソに「乗ってあげている」のだ。


 さらに、華鳥蘭子が登山ボランティアで大きめのレジャーシートを持ってきたのは「みんなで座るため」だろうし、亀井美嘉にとって東ゆうがどれだけ彼女の救いになっていたかは、2人が再会した時にはっきりと言葉で示されている。


 また、東ゆうに届いたファンレターは少なかったが、「制服を着ている東ゆう」のイラストと「ゆうちゃん」という呼び名が添えられている「匿名希望ファン」からの手紙は、亀井美嘉からのものだという説も、ファンの間で議論されている。そのように、みんなが東ゆうが大好きということが、数々のシーンから観客が自主的に読み取れるのだ。


「風」「光」にも注目してほしいクライマックス

 そして、クライマックスの「風」「光」に筆者は思いっきり涙した。「風見鶏」がどのタイミングで、どのように動いたのか。「街灯」の光も灯りはじめるのだが、それよりも強く光って見えるのは誰なのか。その光を見ているのは誰なのか。風とは想いの向かう方向であり、光とは希望だ。


 また、東ゆうは「だって、アイドルって大勢の人たちを、笑顔にできるんだよ? こんな素敵な職業ないよ!」という狂気を見せてしまい、亀井美嘉から「近くの人を笑顔にできないできない人が……」といわれてしまっていたが、ここではまさに近くの人、友達みんなの、そして東ゆう本人の(涙を流しつつの)笑顔がある。


 これまで本当の気持ちをお互いに言えなかった東ゆうとくるみが、「じゃあもう1回(アイドルを)やってみる?」「絶対やだ」と気軽に言い合えるようになったのも、なんと尊いことだろうか。


 東ゆうはやべーやつではあるし、客観的には「自分がアイドルになるためにみんなを利用していた」ことも事実だろう。だが、大きな過ちと反省を経て、「好き」を原動力に行動し続け、なおも夢を追い続ける東ゆうは、カッコよく見えた。そして、「呪い」でもあった(アイドルが)(東ゆうが)(みんなが)「好き」という気持ちはそれぞれの宝物になり、この経験を経て彼女たちの友情はずっと続くようにも思えたのだ。


この物語が伝えていることは

 本作が伝えていることは、「どんな経験だって生きる糧(かて)になるし、それで大きな気付きを得ることもある」「誰かをひどく傷つけたとしても、その人の行動が救いになることもある」という、やはり誰の人生にも起こり得ることだ。


 そのメッセージは、中盤で工藤真司が勝手にみんなの写真を撮り、くるみに「撮るなら撮るって言ってよ」と苦言を呈され、「安心して、いいの撮れました」と応えるシーンにもリンクしている。誰かが自分本位で勝手にやったことが、その時には不快に感じたりもしても、大きな過ちだったとしても、その過程にあったことは一生の宝物になったりもする。ラストでみんなが見た光景を思えば、それもまた明白だろう。


タイトルの意味は

 そして、タイトルのトラペジウムとは「不等辺四辺形」という、「どの二つの辺も平行でない四角形」もしくは「オリオン大星雲の中の4つの星の集まり」を指す言葉だ。4人の気持ちは決して並行(同じ)にはならない、でもどこかで「交わってはいる」し、それが星(夢)のように美しく見えるときもある。そんなことを示している、見事なタイトルだ。


 この「トラペジウム」の魅力を掘り下げていけば、もうキリがない。きっと、人生のどこかで、この物語を(東ゆうのヤバさと共に)思い出し、勇気付けられることだろう。ぜひ、配信ではじめて見たという方も、劇場公開時に熱狂した多くの人と同じように、「こんな素敵な映画ないよ!」になってほしい。


(ヒナタカ)




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  • めちゃくちゃ評判悪いし、大コケしたんでしょ?実際どうなの?逆にちょっとだけ好奇心が生まれたけど。
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