
冷戦後の世界で大きな存在感を発揮した、ドイツのメルケル元首相。来日し、現在のトランプ政権について語りました。
留学生の受け入れ資格を停止…自由の国・アメリカの“検閲”27日、アメリカのハーバード大学で起きた抗議デモ。トランプ政権が、反ユダヤ主義を理由に、留学生の受け入れ資格を停止したことに非難の声が上がりました。
ハーバード大学 ライアン・イーノス教授
「トランプ氏がハーバードを倒そうとするのは、大学が自由な思想と言論の自由を体現しているから」
さらに…
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アメリカ トランプ大統領
「留学生がわが国を愛せる人材かどうかを確かめたい」
アメリカに留学を希望する学生の、ビザ取得の手続きを一旦停止。彼らのSNS上の投稿を審査するとしたのです。
自由の国・アメリカが、自ら門戸を閉ざすように課した“検閲”。この変容に危機感を抱く人物がいます。
ドイツ メルケル元首相(27日)
「米国の大学は米国という“自由”を象徴しています。外国の学生にとっては大きな魅力だったのです。しかし今、その自由や民主主義が、歴史的にみて大きな危機に直面しています」
2005年〜2021年まで、16年にわたってドイツの首相を務めたアンゲラ・メルケル氏。回顧録『自由』の出版に合わせて来日し、講演でアメリカの状況を厳しく批判しました。
メルケル元首相(27日)
「トランプ氏は不動産業者の発想で、『1人しか勝つことができない』と思っています。でも世界は、そういった筋道で協力しているわけではない。世界は『ウィン・ウィン』の状況を作り出すことができるのです」
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自由の尊さと国際協調を訴えたメルケル氏。そこには、彼女の半生が深く関わっていました。
東西冷戦ただ中の東ドイツ。秘密警察が国民生活を監視し、市民の自由が奪われたこの国で、メルケル氏は育ちました。
1970年代、厳しい検閲を逃れ、東ドイツで流行ったのはニナ・ハーゲンの『カラーフィルムを忘れたのね』という曲。
「カラーフィルムを忘れたのね。すべてが色付いていたけどもう何も残っていない」
カラーフィルムを忘れたせいで、写真がすべて白黒になったことを嘆く歌ですが、自由を奪われ輝きを失った国への怒りが込められていました。
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当時の東ドイツについて、メルケル氏も回顧録でこう語っています。
「私にとって国家としてのドイツ民主共和国(東ドイツ)は悪趣味の権化だった。心を明るくするような色もなかった──」
そんなメルケル氏の転機となったのが冷戦の終結。政治家の道に進んだメルケル氏は若くして大臣に抜擢されるなど、頭角を現します。
そして2005年、ドイツで女性初の首相に就任。任期中の彼女を印象づけたのは、強権を振りかざし自由を脅かす指導者に、徹底して抗する姿勢でした。
2014年のロシアによるクリミア併合に際しては、隣にいるプーチン大統領を、公然と非難しました。
メルケル首相(2015年当時)
「クリミア併合はウクライナの領土の侵害だとするドイツの姿勢は変わらない」
2018年には、1期目のトランプ氏に眼光鋭く詰め寄り、自由貿易を揺るがす関税政策を厳しく批判しました。
27日の講演でも「トランプ氏相手に恐れおののいてはいけない。自分の意見をはっきり伝えることが大事なのです」と語っています。
強権化する世界で、メルケル氏が発するメッセージはさらにメルケル氏は、「人類の大きな問題は多国間主義によってしか解決できない」とも。
メルケル氏の首相在任時、最大の危機となったのが2015年の欧州難民危機です。シリア内戦などで祖国を追われた大量の難民が、ヨーロッパに流入。メルケル氏は受け入れに積極的な姿勢を見せます。
メルケル首相(2015年当時)
「助けを求めてヨーロッパに逃れてくる人々を尊重しなければならない」
しかし当時、こうした姿勢はトランプ氏と対立。
トランプ大統領(2017年)
「移民は特例であり権利ではない。市民の安全が優先される」
ドイツ国内でも、難民や移民の排斥を訴えるデモが相次ぎ、排他的な極右政党が台頭します。
ドイツ AfD ガウラント副代表(2017年)
「メルケルであれ誰であれ追い詰める。この国と国民を奪い返す」
その後、連邦議会選挙や地方選挙でも極右政党が躍進。こうした状況のなか、メルケル氏は退任を決意します。
期を同じくするように、ヨーロッパ各国では相次いで極右政党が勢力を伸ばし、ロシア、アメリカなど、権威主義の脅威が世界を覆っているのです。
16年におよぶ首相を退任したメルケル氏。退任式では首相が望む曲を演奏するのが恒例ですが、そこで流れたのは旧東ドイツ時代、自由への憧れを歌ったニナ・ハーゲンの『カラーフィルムを忘れたのね』でした。
メルケル氏は講演の最後に、“自由”についてこう語っています。
メルケル元首相(27日)
「自由は個人のためだけにあるものではありません。アメリカ大統領のように、やりたいようにやることでもありません。自分の目の前にいる人々の自由を考える、その努力が必要なのです」