生粋の「コロナウイルス学者」を訪ねて〜ベルン(前編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2025年06月02日 07:10  週プレNEWS

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旧市街から歩いてすぐの橋の上から眺めたアーレ川。この日はもうとにかく天気が素晴らしかった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第112話

2024年4月、ドイツのハノーファー、ハンブルクに続く出張先は、スイスの首都ベルン。その目的は、新型コロナパンデミック以前からずっとコロナウイルス研究を続けてきた、ある世界的権威に会うこと。

* * *

【写真】カフェでビールを飲みながら仕事

■スイスの首都、ベルン

ドイツのハンブルクからスイスのチューリッヒまで飛行機で1時間、そこから電車でさらに1時間。スイスの首都であるベルンに到着。

恥ずかしながら、今回の出張を予定するまで、スイスの首都が「ベルン」という街であることを知らなかった(てっきりチューリッヒだとばかり思い込んでいた)。バーゼル、チューリッヒ、ローザンヌに続いて、今回は4度目の訪瑞である(スイスは漢字一文字で「瑞」と書くらしい)。

これまでの訪問の印象や先入観から、私は正直、スイスにあまりポジティブなイメージを持てていなかった。チーズフォンデュやラクレットのようなチーズばかりでおいしい料理のイメージがないし(このチーズの特有のにおいが、当時の私にはちょっと耐えられなかった)、とにかくなにより物価がとんでもなく高い(スタバのアイスラテが1400円!)。

そして、これまでの訪問の経験から、なにか重苦しく息苦しい閉鎖的なところ、という印象を持っていた。それらにさらに輪をかけるように、ネットでちょっと調べてみると、ベルンは「世界一つまらない首都」などとも揶揄されているではないか。

そんな経験や前情報もあり、何の期待も持たずに到着したわけであるが、それがどうだろう、なんかめちゃくちゃ良い感じ。駅に着いてすぐの街並みの印象は、過去の記憶にある、バーゼルやチューリッヒと特に変わりがない感じ。私の中での、スイスでよく見る景色である。

――なにが違うのだろう? と、駅前ですこし考えていて気づいたのは、その日は天気がとても良かったのである。この連載コラムの「グラスゴー長期出張編(87話)」で紹介したように、私のメンタルや心象は、天気にとても左右される。

それで思い返してみると、過去に初めて訪れたバーゼルとチューリッヒは、冬(1月)だったのである。そのときの寒々しい雰囲気や、日が短く暗い感じ、そして、空を覆う重苦しい曇り空が、私の中の「スイスの記憶」として、ねっとりと脳裏に張りついていたのだった。

観光や歴史的建築物にさして深い造詣のない私にとって、その街並みの歴史やその由来とかはあまり重要な要素ではない。天気がとにかく重要なのである。

ベルン駅は旧市街にあり、手配したホテルもその中にあった。晴れた天気の下、Tシャツにサングラスをかけて、雰囲気のあるコンパクトな旧市街に気軽に繰り出す。そしてその途中、ふらっと立ち寄ったカフェのテラス席で冷えたビールが飲めれば、私はそれで充分幸せなのだな、としみじみと思う。

■ベルン大学へ

今回ベルンを訪れたのは、ある人に会うため。その人の名前は、フォルカー・ティール(Volker Thiel)。ベルン大学の教授である。

新型コロナの研究が世界でどのように展開されてきたのかについては、この連載コラムでも何度か紹介してきた。「パンデミック」という世界的な有事の中で、私を含めたエイズウイルスの研究者や、インフルエンザウイルスの研究者、その他さまざまな研究者が、(新型)コロナウイルスの研究分野に新規参入することで、この研究分野が急速に発展した。

25話でも書いたが、新型コロナパンデミックの前からコロナウイルスの研究をしていた専門家、つまり生粋の「コロナウイルス学者」は、新型コロナ研究に従事していた世界中の研究者のうち、おそらく1割にも満たないと思う。

そんな中でフォルカーは、新型コロナパンデミックはおろか、2003年のSARSのアウトブレイクよりもずっと前からコロナウイルスを専門にしていた生粋の「コロナウイルス学者」であり、コロナウイルス研究の世界的権威である。2023年にはスイスで、コロナウイルスの国際会議を主催している。

■フォルカーとの邂逅

――パンデミック元年、2020年4月の終わり。私たちが京都に疎開して、手探りの中で新型コロナウイルスの研究を始め、論文の方向性も見えてきた頃(36話)、新型コロナウイルスを人工的に作る方法が、科学雑誌『ネイチャー』に発表された。

「(新型コロナ)ウイルスを人工的に作る」と聞くとギョッとするかもしれないが、これは「リバース・ジェネティクス」という、ウイルス学の中では割とよくやる実験方法である。新型コロナウイルスのゲノムは、インフルエンザウイルスやエイズウイルスのそれに比べてずっと大きく、人工的に作るのは難しいと考えられていた。それが、ウイルスのゲノム配列が公開されてから、わずか4ヵ月あまりで達成されたのだ。

この技術は、新型コロナウイルスの研究を進めていく上で、将来的に絶対に必要なものだと私は考えていた。私はすぐに、もちろん面識もないその論文の責任著者にメールをした。パンデミックのはじまりですべてがカオスの中にもかかわらず、その著者はとても丁寧に返事をくれた。

その後、なぜ私がこの技術を活用したいか、なぜ協力を仰ぎたいのか、その目的をZoomで、たどたどしい英語で熱弁を奮ったのを覚えている。面識もない中、そして拙い英語ながらも、私の熱意は伝わったのか、どうやって作ればいいかについての技術的なノウハウを丁寧に教えてくれた。その男こそがフォルカーである。

そのすこし後、現在のG2P-Japanのコアメンバーである九州大学(当時は北海道大学)のFたちが、新型コロナウイルスの人工合成法を独自に開発した。そして、その技術を私たちに共有してくれたので、上述のフォルカーの技術は、結果的に私たちには必要ではなくなった。

しかし、パンデミック最初期のすべてが混沌の中、面識もない、またどこの馬の骨ともわからない私に(2020年当時の私には、新型コロナウイルスはもちろん、コロナウイルスに関する研究業績はなにもなかった)真摯に対応してくれたことは、その後もずっと記憶の中に残っていた。

パンデミックも収まりつつあり、いろいろな会議がオンサイトで開催されるようになる中で、新型コロナに関する国際会議もいろいろ開催されるようになった(上述したフォルカーがスイスで開催した国際会議もそのひとつ)。その中で、いつかフォルカーに会って、いろいろ話がしたい、あのときのお礼を伝えたい、とずっと思っていた。

しかし、私が参加する会議に彼はいない、また逆に、彼が参加する会議に私は参加できない、というように、ずっとすれ違いが続いていた。そうであれば、ヨーロッパに出張しているこの機会に、彼のラボに押しかけて、直接会いに行ってしまおう、と考えたわけである。

※中編はこちらから

文・写真/佐藤 佳

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