
5月30日、日本政府は中国との間で、日本産水産物の輸入再開に関する技術的な要件で合意に達したことを発表した。
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この合意は、2023年8月に東京電力福島第一原子力発電所の処理水海洋放出開始に伴い、中国が日本産水産物の輸入を全面停止して以来、約2年ぶりの進展となる。今後、輸出関連施設の再登録手続きが完了次第、日本産水産物の対中輸出が再開される見通しだ。
この動きは、日本経済、特に水産業にとって重要な一歩となる一方、国際政治的な文脈でも注目すべき背景を持つ。ここでは、この合意の詳細とその背後にある中国の戦略的狙いについて考察する。
合意の概要と日本産水産物の現状
2023年8月、福島第一原発の処理水放出開始をきっかけに、中国は日本産水産物の輸入を全面的に停止した。この措置は、科学的根拠に基づく日本の説明にもかかわらず、中国国内での安全懸念を理由に実施された。
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日本政府は、処理水の安全性について国際原子力機関(IAEA)などの第三者機関による検証結果を提示し、国際基準に適合していることを強調してきた。しかし、中国側は厳しい姿勢を崩さず、両国間の交渉は難航していた。
今回の合意では、輸出再開に向けた技術的な要件が定められ、具体的には日本側が提供する水産物の放射性物質検査データや、輸出施設の衛生管理基準の確認が含まれる。中国側は、これらのデータと基準を満たす施設を再登録することで、輸入再開を認める方針だ。合意を受け、農林水産省は早急に登録手続きを進める方針を示しており、年内にも一部の水産物の輸出が再開されることになる。
中国の戦略的狙い:日米関係への楔
この合意の背景には、単なる経済的利害を超えた中国の戦略的意図が存在する。
特に、2025年1月に発足した米国のトランプ政権が保護貿易主義を強め、同盟国である日本に対しても自動車関税や相互関税の導入などで圧力を加えている状況が影響している。トランプ政権は、貿易赤字削減を最優先課題とし、日本に対しても厳しい通商交渉を展開している。これに対し、中国は日本との関係改善をアピールすることで、日米同盟に楔を打ち込み、対中抑止を脆弱化させる狙いがあるとみられる。
中国にとって、日本は主要な貿易相手国であると同時に、日米同盟の中核を担う重要な存在だ。日米が共同で進めるインド太平洋戦略や、対中経済安全保障の枠組みは、中国にとって地政学的な脅威となっている。
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トランプ政権の保護主義的な姿勢は、日本にとって経済的圧力となるだけでなく、日米間の信頼関係に微妙な影を落としている。中国はこうした状況を巧みに利用し、日本に歩み寄る姿勢を見せることで、日米間の連携を弱体化させようとしている。
今後の課題
今回の日本産水産物の輸入再開のように、今後中国は経済や貿易の領域で日本への歩み寄りをさらに示してくることが予想される。しかし、経済安全保障の観点から、中国への経済的依存には大きなリスクが伴う。中国市場への水産物の輸出再開は短期的には漁業者の救済につながるが、長期的には地政学的なリスクとなる。
日中の間には尖閣諸島や台湾など多くの地政学上の難題があり、こういった問題で亀裂が深まれば、中国側が再び日本に対して輸出入制限を課すことは十分に想像できよう。日本としては、欧州やASEAN諸国、インドやオーストラリアなど他の市場への輸出拡大を同時に進めることで、リスク分散を図る必要がある。
◆和田大樹(わだ・だいじゅ)外交・安全保障研究者 株式会社 Strategic Intelligence 代表取締役 CEO、一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事、清和大学講師などを兼務。研究分野としては、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。大学研究者である一方、実務家として海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)を行っている。
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