普通預金金利年0.41%、預金残高624億円、口座数11万口座――。松井証券が2023年10月に開始した「MATSUI Bank」は、メガバンクの0.2%と比較して実に2倍以上の金利水準を実現している。これは高金利をうたう他のネット銀行に比べても最高水準だ。特に、複雑な条件がなくシンプルな普通預金に付く金利としては随一である。これは、日銀の利上げに合わせて段階的に引き上げ、常に「業界最高水準」を維持してきた結果でもある。
【画像】ネット銀行各社の普通預金金利水準。MATSUI Bankの金利の高さが際立っている
高金利を背景に預金残高も急増。預金残高624億円は、数兆円〜十数兆円規模の大手ネット銀行と比べれば小ぶりだが、それでも中堅信用金庫に匹敵する水準だ。開始から1年半という期間も合わせて考えれば、独立系証券会社による銀行事業としては短期間での急成長といえる。
この背景には、従来の銀行・証券サービスとは異なるアプローチがある。証券会社が銀行サービスを「入り口」として活用し、最終的に証券取引へと顧客を誘導するというものだ。
●独立系証券が直面する「入金の壁」
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MATSUI Bankの戦略を理解するには、松井証券が抱えてきた構造的な課題を知る必要がある。それは証券業界共通の悩みでもある「入金問題」だ。
「まず、最初のステップとして証券口座に入金をしていただかないと取引につながりません。当社はもともとこれを課題視していました」。松井証券事業開発部副部長の渡瀬裕之氏はこう振り返る。
問題は、松井証券が独立系企業であることに起因する。「大手ネット証券のように、グループ企業として銀行を持ってないので、なかなかスムーズな銀行入金ができない」状況が続いていた。「入金数は少なく、証券口座を開設したのに
入金することなくやめてしまう方」も相当数いたという。
MATSUI Bankでは、銀行口座と証券口座の間で資金をスムーズに移動できる「スイープ機能」を利用できる。高金利を背景にお金を集め、株式などの注文時は自動的に銀行から出金できるようにすることで、入金のハードルを低くする。
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グループ内に銀行を持たない独立系証券会社にとって、顧客の資金をいかにスムーズに呼び込むかは重要課題だったわけだ。
●BaaSと「銀行先行」戦略
MATSUI Bankを技術的に支えているのが、住信SBIネット銀行のBaaS(Banking as a Service)プラットフォームだ。銀行機能をシステムとして他社に提供する仕組みで、松井証券のような独立系でも銀行サービスを提供できる。
松井証券が描くのは「銀行先行」戦略である。「銀行って必ず使うじゃないですか。ネット銀行の比較で金利を見ていて『この銀行すごい高いな』というところで、まずMATSUI Bankを知ってもらえたら」と渡瀬氏は説明する。
証券取引は「特に若い人たちだと生活になじみがない」一方で、銀行は生活に不可欠だ。まず銀行で松井証券を知ってもらい、金融リテラシーが向上した段階で証券取引に誘導する長期的視点を取っている。
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実績も出ている。新規で証券口座を開設する顧客の半数以上が銀行口座も同時に開設しており、松井証券の年間新規口座獲得数約10万口座のうち、年間5万口座程度がMATSUI Bankとのセット開設となっている。
資金の流れも設計通りに機能している。「証券口座から銀行口座への出金額よりも銀行口座から証券口座への入金額の方が多く、銀行口座の残高は全てニューマネーとして獲得できている」。つまり、MATSUI Bankは既存の資金を移し替えただけでなく、新たな資金流入を生み出している。
実際、4月上旬の日経平均株価急落時には「国内株スイープ入金額が増えた」という。株価下落を買い場と捉えた投資家が、銀行口座の待機資金を証券取引に活用したのである。
●変わる銀行・証券連携の構図
これまでの銀行・証券連携は、三菱UFJ、みずほ、三井住友といったメガバンクに加え、楽天やSBIといったネット系金融グループが主導してきた。金融持株会社の下で銀行と証券会社がグループ内連携を図り、顧客情報を共有してクロスセルを推進する「内部連携」が基本形だった。大手ネット金融グループの口座連動サービスや自動スイープ機能などは成功事例として知られる。
ただし、銀行・証券連携は決して容易ではない。楽天やSBIなどの成功例がある一方で、業界関係者からは「やってみたもののそんなに使われない」「思った通りにはいかない」との声も聞かれ、一部の金融グループでは期待した効果を得られずにいる。成功と失敗を分ける要因の一つが、顧客の利用動機と使い勝手の設計にあるとされる。
メガバンクのグループ内連携では、2008年に銀行員が証券業務を兼務する「ダブルハット」制度も解禁され、大手行は法人営業での一体提案を強化した。しかし近年、大手金融グループで顧客の同意を得ずに銀行・証券間で情報共有を行う違法行為が発覚し、金融庁から業務改善命令を受ける事態となった。厳格な情報管理が求められる中で、グループ内でも連携の難しさが浮き彫りになっている。
一方、BaaSプラットフォームを活用した連携は、資本関係によらない「外部連携」という選択肢を提示している。住信SBIネット銀行のように銀行機能をプラットフォーム化し、異業種を含むさまざまな企業がパートナーとして参加する形だ。
独立系金融機関にとって、BaaSモデルは選択肢の一つとしての意味合いがある。グループ内に銀行を持たない証券会社でも、大手金融グループと同等のサービスを顧客に提供できる環境が整いつつある。
●「もろ刃の剣」としての高金利競争
MATSUI Bankの成功は一方で、新たな課題も浮き彫りにしている。課題の一つが、高金利維持戦略に伴うリスクだ。
同社の競争意識は具体的だ。「他社の金利水準は意識してチェックしている」と述べるように、常に他社の金利動向を注視し、わずかでも上回る水準を維持している。2025年3月に競合の一つであるSBI新生銀行が普通預金金利0.4%を発表した際も、素早く0.41%を打ち出して対抗した。
松井証券の顧客層は金利感応度が高い投資家が多いという特徴がある。こうした顧客にとって、わずか0.01%の金利差でも大きなインパクトを与えるため、「金利が最高水準でなくなった瞬間に他行に移ってしまうお客さまも一定いるだろう」と渡瀬氏は認める。高金利による顧客獲得は「もろ刃の剣」的な側面を持っている。
この構造は継続的な金利引き上げ圧力を生む。渡瀬氏によると「市場金利が0.1%上がったら、当社も0.1%上げる」のが基本的な考え方だが、「他社が無謀に1%出すと言ったら、さすがに無理」という限界もある。持続可能な収益構造の構築が課題となっている。
現状、MATSUI Bankの収益構造について渡瀬氏は「銀行単体での収益改善も取り組んでいく」としながらも、「あくまでメインは証券」と位置付ける。銀行サービスは証券取引への導線という役割が中心で、銀行業務単体での黒字化は今後の課題だ。
メインバンク化への挑戦も道半ばである。現在の利用状況について渡瀬氏は「サブ的な使い方が多い」と分析する。キャンペーンの実施など、給与振込や各種引き落としなど日常的な銀行機能の拡充により、顧客との接点を深める取り組みが続いている。
機能面では、証券口座から銀行口座への自動出金機能の実装が検討されている。「お客さまからのご要望をいただいている」機能だが、「システム面の対応がまだできていない」状況だ。大手ネット証券のようなシームレスな資金移動の実現が課題となっている。
●金利競争の新たな主役となれるか
日銀の金利引き上げを受けて、金融業界では預金獲得競争が激化している。各行が相次いで金利を引き上げる中、興味深い現象が起きている。高金利を持続的に提供できているのは、銀行業を本業としない異業種からの参入組という構図だ。
MATSUI Bankもその一例だ。証券会社という本業があるからこそ、銀行業務単体での収益性にこだわらず高金利を維持できる。これは従来の銀行業の常識とは異なるアプローチといえる。
ただし、MATSUI Bankは松井証券の口座開設が前提となるため、一般的な預金者への認知度は限定的だ。金利比較サイトでも独立した銀行として掲載されにくく、0.41%という高金利があまり知られていないのが実情だ。
一方で、実際の利用者からの評判は高い。UI/UXで定評のある住信SBIネット銀行のシステムをそのまま使用しているため、操作性や機能面での満足度は高水準を保っている。
今後、こうした異業種参入による高金利サービスが、金利の高さという分かりやすいメリットでどれだけの利用者を獲得できるかが、預金市場の新たな注目点となっている。MATSUI Bankの成長は、この新しい競争構図の行方を占う試金石の一つといえる。
筆者:斎藤健二
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