
肺炎のため3日に89歳で亡くなった巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内で行われた。
喪主を務めた次女・三奈(みな)さん、長男・一茂さんら親族をはじめ、V9の黄金時代の盟友である王貞治氏(85)、柴田勲氏(81)、当時エースとして活躍した堀内恒夫氏(77)、さらに巨人OBの中畑清氏(71)、江川卓氏(70)ら、愛弟子である松井秀喜氏(50)、高橋由伸氏(50)ら96名が参列した。
祭壇には背番号「3」、ジャイアンツのロゴ、笑顔の長嶋さんの遺影がオレンジの花とともに飾られ、告別式では王氏、中畑氏、松井氏が弔辞を述べた。
王氏は「あなたへの弔辞を読む日がこんなに早く来るとは思ってもいませんでした」と“ON”として一時代を築いた“ミスタープロ野球”との別れを惜しんだ。「太陽のように光を放っていました。本当に特別な存在でした」と現役時代を振り返り、「感謝しかありません。89年間よくぞ頑張ってくれました。日本人のために頑張ってくれました。ありがとうございました。安らかにお眠りいただくことを願うのみです。“長島茂雄”に戻って、ゆっくりとお眠りください。さようなら」と言葉を届けた。
中畑氏は長嶋さんの第1次監督時代では選手だったが、第2次の監督時代には一軍打撃コーチとして共にチームを支えた。「監督、オヤジさん、そしてミスター。長い間ありがとうございました。あなたは私の人生の全てです」と感謝の言葉を伝え、現役時代の伊東キャンプでのノックを振り返りつつ、目頭を熱くしながら思い出を語った。
|
|
さらに、監督時代の長嶋さんと多くの時間を過ごした松井氏は「監督、今日は素振りないですよね。その眼を見ていると“バットもってこい、いまからやるぞ”と言われそうでドキッとします」と当時のマンツーマン指導を思い返し、「でも今はその声を聴きたいです」と恩師に語りかけた。
また、ドラフト会議から入団後の思い出を振り返り、長嶋さんが敬愛したヤンキースのジョー・ディマジオ氏のエピソードも。途中、涙をこらえながら二人三脚の巨人時代に感謝し「私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです」と気持ちを口にし、最後は「これからも、監督がなぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを自分自身の心の中で監督に問い続けます。今度は私が監督を逃がしません。ですから今日はありがとうございましたもさようならも私は言いません。今後も引き続きよろしくお願いします。そしてその強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」と締めくくった。
前日7日の通夜には126名が参列。午後2時33分に長嶋氏の棺を乗せた車が自宅を出発し、3時13分から24分にかけて東京ドーム周辺を通り、4時3分に斎場に到着。通夜ではV9時代に長嶋さんとともに黄金時代を築いた堀内氏、巨人前監督の原辰徳氏(66)が弔辞を述べた。
長嶋氏は1958年に巨人に入団し、打点王、本塁打王の2冠に輝き、新人王を獲得。天皇皇后両陛下をお迎えした初の天覧試合では、サヨナラ本塁打を放つなど、その勝負強さでプロ野球ブームを巻き起こした。1974年の現役引退の際には後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」と名言を残し、「ミスター・プロ野球」として親しまれた。監督としてはリーグ優勝5度、日本一は2度達成。2013年には国民栄誉賞を受賞、2021年には野球界から初となる文化勲章を受章した。
|
|