マンガ編集者の原点 Vol.18 「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子

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2025年06月09日 15:15  コミックナタリー

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マンガ編集者の原点 Vol.18 「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」の永田裕紀子
マンガ家が作品を発表するのに、経験豊富なマンガ編集者の存在は重要だ。しかし誰にでも“初めて”がある。ヒット作を輩出してきた優秀な編集者も、成功だけではない経験を経ているはず。名作を生み出す売れっ子編集者が、最初にどんな連載作品を手がけたのか──いわば「担当デビュー作」について当時を振り返りながら語ってもらい、マンガ家と編集者の関係や、編集者が作品に及ぼす影響などに迫る連載シリーズだ。

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今回は、月刊flowers(小学館)の永田裕紀子氏が登場。田村由美「ミステリと言う勿れ」を担当し、同作は実写ドラマ化、映画化でさらに幅広い読者に愛されるように。ほかにもさいとうちほ、岩本ナオ、絹田村子、タアモ、谷和野、衿沢世衣子ら、flowersという少女マンガの花畑を鮮やかに彩る作家を多く担当している。そして、実は永田氏自身のバックグラウンドにも1つ強烈な特色がある。それは、医師免許を持っているということだ。医大卒業後、実際に医師として勤めた期間もあるという異色のキャリアの持ち主。本人曰く「ずいぶん回り道をした」という道程はもちろん、マンガ家たちからの信頼厚い永田氏のライフヒストリーと編集道に迫ってみた。

取材・文 / 的場容子

■ マンガが大好きな少女は、なぜ医学部に入ったのか
大分県出身の永田氏。開業医の次女として生まれ、住まいは病院の上だった。

「あまりテレビをつける家ではなかったこともあり、私の興味はマンガや本に“全振り”でした。病院の待合室には手塚治虫先生の作品が揃っていて、それを全部読んだのが最初のマンガ体験だった気がします。『火の鳥』『アポロの歌』『MW(ムウ)』『奇子(あやこ)』『陽だまりの樹』など、今思うと子供にはちょっと早いものもありました(笑)」

やがて少女マンガを愛読するようになり、「タッジー・マッジー」(山口美由紀)や「ぼくの地球を守って」(日渡早紀)、「アーシアン」「源氏」(高河ゆん)、「月の子」(清水玲子)、「海の闇、月の影」(篠原千絵)、CLAMP作品など、マンガ好きとして順調に成長していく。学園ラブよりファンタジーが好きだったという永田氏は、アニメも好きで「ふしぎの海のナディア」や「新世紀エヴァンゲリオン」にもハマった。そしてあるとき、マンガという創作物に関してショックを受ける。

「マンガに描いてある出来事はどこか別の世界で実際に起こっていることだと思ってました。子供だったせいか、あまり現実とフィクションの境目がわかってなくて。でもある日、何かのきっかけで『これ人が描いてるの? この枠の線って人が定規で引いてるの!?』と衝撃を受けたのを覚えています。小学生の頃でした」

中高生では、のちに担当することになる田村由美の「BASARA」に出会い、夢中になっていたという。こうしてマンガやアニメなど、物語にのめりこむ少女時代を経たものの、進学校をスイスイと進んできた永田氏は、あまり深く考えることなく大学の医学部に入学してしまう。

「自分でも視野が狭かったと思うのですが、進学校で勉強漬けだったので、大学に入ること自体がゴールになってしまっていて、そのあとの人生を考えていなくて。勉強したら成績が上がるのがスポーツみたいな感覚でそれほど苦ではなかったんです。なので、あまり何も考えずに医学部に入ってしまった。というのも、例えば親が会社勤めだった場合、大学を出たらどこかに就職するという選択肢もイメージできると思うんです。ただ私の場合は家が開業医で、病院の上に住んでいたから父親の通勤姿を見たことがなくて、自分がお医者さん“以外”で働く姿をイメージできていなかった。

それで、勉強をワーっとがんばって医学部に入った後に、『この後も人生が続くんだ……!』と気づくという(苦笑)。九州の大学だったのですが、入学した後に初めて将来何になるかを考えました」

■ 医師免許を持ちながら、エンタメ業界を目指し就職活動
マンガやアニメ好きが高じて「エンタメ系で仕事をしてみたい」という思いを強く持つようになった永田氏。学生時代、アメリカ・フロリダ州の「Give Kids The World Village」という難病の子供と家族たちが滞在するアクティビティ施設で自ら応募してボランティアとして働き、エンタメが持つ力を改めて実感する。同級生と同じように医者の道には進まず、大学5年で就活を始めた。ただし、医師免許は取得したというから流石である。意外なことに、医学部を経て医者ではない道を目指すことについて、親からの反対はなかったという。

「本音では医師になってほしかった部分もあると思うのですが、『医師免許さえ取ってくれれば、あとは自由にしていい』と言われました。ありがたかったですね。ただ、小さい頃から『1人でも生きていけるように、手に職はつけておいてほしい』とは言われていました。

エンタメ関係で就活を始めたものの、小・集・講(小学館・集英社・講談社)は全部落ちて、白泉社はその年採用がなく、KADOKAWAも落ちまして。一緒に受けていたキャラクターグッズの制作会社に新卒で入ることになりました」

「エンタメ系の仕事がしたい」という夢を見事叶え、新卒でキャラクターグッズの営業として社会人スタートを切った。

「その会社は小学館や集英社、講談社の仕事もしていたので、出版社の垣根なくキャラクターグッズを作る仕事に携わりました。新卒で入ったので、仕事のノウハウを一から教えてもらって、本当に感謝しています。ただ、これもまた入る前に気づけという感じなんですが、すでに完成したキャラクターを広げるよりも、そのキャラクター自体を生み出す場所で働きたいと思うようになりました」

どうも永田氏は、動きながら考えるタイプのようだ。方向性を決めて突き進み、行動することによって「今やっていること」と「やりたいこと」の差分をゼロに近づけていく、そんな印象だ。ちなみに、そんな永田氏にこれまで「ガチハマリ」したキャラや作品を聞いてみたところ、意外な答えが返ってきた。

「『新世紀エヴァンゲリオン』で人生が変わったと思います。特にアスカというキャラにずっと感情移入してて。高校時代に上映された劇場版(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air /まごころを、君に』)は100回以上観て、『作品とは一体誰のものか?』とエンタメと受け手の関係についてずっと考えてました。『ナディア』から『エヴァ』、実写の『ラブ&ポップ』まで、庵野秀明監督の手法に自分はすごく影響を受けていて、自分が何かの作品に触れて“気持ちいい”と感じる根っこは、監督の映像作品から来ていると思います。

ただ、だからといってアニメ業界で働きたいとは思わなかったんです。アニメは何百人という人が関わり化学反応が起きて素晴らしい作品ができると思うんですが、自分は絵を描きたいわけでも脚本を書きたいわけでもない。自分自身がマンガ家になりたいと思ったことも一度もないんです。一方でマンガだと、基本はマンガ家さん1人で世界を作って、編集者もサイドにいて最大2人なので、より強く作家性が作品に反映されるのが魅力で自分には合っていると思いました」

ちなみにアスカ然り、永田氏が好きなキャラにはある傾向がある。それは、“がんばる女の子”像だ。

「『BASARA』の更紗、そして氷室冴子先生の『なんて素敵にジャパネスク』の瑠璃がドーンと来ました。女の子ががんばって、歯を食いしばって自分の足で立つ姿を応援したくなるんです。『エヴァ』のアスカは、こんなにがんばっているのにシンジに勝てないというしんどさがある。“がんばる女の子”にはいつも心打たれるので、私の少女マンガ好きの原点は、やっぱりそこな気がします」

■ 初めての編集職 メディアワークス、スクウェア・エニックス時代
さて、永田氏のキャリアに話を戻そう。新卒で入社した会社でキャラクターグッズの営業職を経験し、「キャラクター自体を作る場所に行きたい」と改めてマンガ編集者を目指すようになった永田氏。2社目では出版社のメディアワークスに入社し、月刊電撃コミックガオ!で編集者としてのキャリアをスタートさせた。この頃手がけたのは、当時アニメ化されていたライトノベル「半分の月がのぼる空」(橋本紡)のコミカライズなど。ただ、当時のことは「忙しすぎて記憶がない」と語る。

「アニメやゲームコラボも多い雑誌で、毎号付録でフィギュアがついたり、いろいろな企画があったことは覚えています。『半分の月がのぼる空』はアニメ放送時期だったので、アフレコの取材をしたり。7日連続で会社に泊まってロッカーの裏で段ボールにくるまって寝るような生活でした。当時は若かったのでなんとか乗り切れましたが、本当に記憶がスポッと抜けています。ただ、初めてのマンガの現場だったので楽しかったですね」

第二新卒として、編集としてのいろはを教わった。

「今考えると、先輩方はよく私を放り出さずに根気強く教えてくださったと思います。第二新卒といっても中途採用みたいな立場だったので、いわゆる新入社員教育ではなく、いきなり現場に放り込まれてマンガ家さんとの打ち合せや声優さんの取材、みたいな世界でした。今考えたら本当に恥ずかしい出来事ばかりで申し訳なかったです」

その後、2度目の転職でスクウェア・エニックスに入社し、月刊少年ガンガン編集部に配属。当時は「鋼の錬金術師」(荒川弘)のアニメが放送されていたり、「ひぐらしのなく頃に」のコミカライズが連載されていた頃で、雑誌はバブル状態だったという。

「毎月ハガレンの付録がついて本当に盛り上がっていました。私は新人作家さんを担当したり、『ひぐらしのなく頃に』や『ファイナルファンタジー』の記事を作ったりしてました。少年ガンガンはゲーム会社の出版部門なので出版社とも雰囲気は多少違っていたように思います。ただ、少女マンガ誌自体がないので、自分が一番やりたい少女マンガはできないことにもどかしさも感じていました」

■ 初めて医者として働く
スクエニを辞めて3度目の転職に成功し、永田氏は念願の少女マンガを担当するように──とはいかない。永田氏はここに来て、編集者としてではなく、医者として働く選択をする。

「一番やりたい少女マンガに携われないことに少し疲れてしまって。ここで一度編集の仕事には区切りをつけようと、都内の総合病院で医師として働き始めました」

当然、筆者のまわりには同じようなキャリアの人がいないので、医師免許があれば、別の職業を経てからでも医師として働くという選択をする人もいることを初めて知った。医師としてのキャリアでいくと「医大を卒業したての新人」である永田氏は、国家試験合格後の初期研修として、さまざまな診療科をローテーションする研修医として働くようになる。

「救急部門で当直したり、色々な科を回りました。勤めていた総合病院では、路上生活者の方やヤクザの組長が入院されていたり、縊死で自殺された方の現場に行って処置をする傍らでご家族の修羅場に直面したこともありました。本当に事実は小説より奇なりという出来事ばかりで……。今でも、現実はままならないからこそ、きれいごとに見えたとしてもせめてエンタメの中では夢を描いてほしい、それを届けたいと思っています」

ときに過酷な現場を経験しつつも、病院での仕事は楽しかったという。だがある日、小学館が久しぶりに中途採用を開始することを偶然知る。

「ほかの出版社の中途採用は年齢制限が厳しめなのですが、小学館はそのときの自分でも受けられるくらいの条件でした。なにより小学館には少女マンガ誌があることが大きかった。自分は田村由美先生や吉田秋生先生、さいとうちほ先生や渡辺多恵子先生の作品が大好きだったので、『これが最後のチャンスだ、これで落ちたら医師として生きていこう』という思いで受けました」

自分がもしも面接官なら、履歴書の資格欄に「医師免許」の文字を見ると驚くだろう。だが、小学館の面接では「珍しいね」と言われた程度だった。

「自分でも、医師免許を持っていることがマンガ編集の役に立つとは思っていなかったので、それを何かアピールするつもりはまったくありませんでした。職歴欄や資格欄があったから書いた程度で……。むしろ印象的だったのは、エントリーシートの『あなたが読んでいる雑誌と、それらのよいところ・悪いところを書いてください』という課題で、10個くらい枠があったのを自分で勝手に線を引いて20個くらいに増やしてたくさん書いたのですが、面接でそこに注目されたことです。というのも私は雑誌文化で育ったので、サンデー、ジャンプ、マガジンに、女性誌やファッション誌、カルチャー誌に経済誌と、いろんなジャンルの雑誌を月に数十冊購入して読んでいたんです。

採用された後で、面接してくれた会社の偉い人から『君、雑誌いっぱい読んでたから採ったよ』と言われました。本当かどうかはわかりませんが(笑)。」

採用される側にもする側にも、出版文化への愛を感じるエピソードだ。

■ 念願の少女マンガ編集部へ!
紆余曲折を経て、2007年に晴れて小学館に入社し、まずは週刊ヤングサンデーに配属される。佐藤まさきによるエロ戦隊ギャグ作品「超無気力戦隊ジャパファイブ」などを担当し、「佐藤先生にサービス精神のなんたるかを教えていただいた」と語る永田氏。だが、ヤンサンは惜しまれながら2008年に休刊。次に配属先となったSho-Comiで、念願の少女マンガ編集者としてのキャリアをスタートした。最初に担当したのは水波風南の「今日、恋をはじめます」だった。水波は池山田剛と並んでSho-Comiの2大看板作家だったという。

「『今日恋』は4巻あたりから担当させてもらいました。水波先生はすごく人気の作家さんなので、『なぜ少女マンガが初めての私が?』と驚いたのを覚えています。作品に対してとても真摯な方で、お話作りはもちろん、絵に対する情熱がとても強かったですね。取材も本当に丹念にされていて、一緒に波照間島に取材に行ったこともあります」

「今日恋」は、Sho-Comiで2007年から2011年まで連載されていた作品で、水波の代表作の1つである。ヒロインは、自分にはおしゃれは似合わないと思い込んでいる超地味な高校生・つばき。高校の入学式の日に、軽薄そうなロン毛男・京汰の隣の席になるが、ひょんなことから絡まれて激昂しまい、京汰の自慢のロン毛をばっさり切ってしまう──と、第1話はかなりパンチの効いた出会いから始まる。性格は水と油の2人が、徐々に心を通わせていくというストーリー。2010年にはアニメ化、2012年には武井咲と松坂桃李主演で映画化され、コミックスも累計1000万部を超える大ヒットとなった。

「少女マンガに来て驚いたのは下絵チェックがあることでした。私がそれまでいた少年・青年マンガでは、打ち合わせをしたらプロットやネーム、次はもう原稿が届くという段取りで、ネームの後に下絵チェックが入るのが初めて。先輩に理由を聞いたら、『少女マンガは表情が命。恋に落ちたり、言葉にならなくても切ない思いがあふれるような、ここぞというシーンでは表情ひとつで印象ががらっと変わってしまうから、必ずチェックする』と言われて、納得しました」

初めての少女マンガ編集の現場でのびのびと仕事をする永田氏の姿が目に浮かぶ。「今日恋」が2012年に実写映画化された際に、同作のプロデューサーと交わした忘れられない言葉があるという。

「とにかく作品を知ってもらわないと始まらない、と。特に映画は観る作品を決めずに映画館に来る人も多いから、『週末、何観ようかな』と思ったときに存在を知っておいてもらわないと選択肢にすら入れてもらえない。だから、とにかく知ってもらうこと、宣伝が何より大事なんだとおっしゃっていて、目から鱗でした。

というのも、当時の私は『いい作品なら必ず売れるはず』と勘違いしていたところがあって。でも当然それだけでは駄目で、作品の面白さはもちろんですが、同じくらい宣伝やパッケージングが大事なんだと教えられました。出版社の意義って、そこにもあるのかなと。作家さんが持つ作家性は様々なので、それが食材だとしたら、それを中華なのかイタリアンなのか、はたまた和食で読者にお出しするのかを考えます。でもどんなに美味しい料理でも、タッパーで出てくるよりも、美しいお皿にキレイに盛り付けてあったほうがより多くの方に手を伸ばしてもらえますよね。それと同じで、コミックスのカバーを含めたパッケージングは大事だと痛感しました」

コンテンツの量が膨大となり、消費も手軽になった現代、読者に選んでもらうためのパッケージや宣伝の工夫は必須となった。

「編集者は本が売れなくても給料が出ますが、作家さんは売れないと本当に経済的に困ってしまう。作家さんがSNSやpixivでも作品を発表できる時代になぜ出版社で描いてもらえるのかというと、編集部のサポートに加えて、培ってきた宣伝や販促があるという部分は大きいと思います。『いいものを描いてもらいさえすれば必ず売れる』と思っていた当時の自分を叱り飛ばしたいですね(苦笑)」

■ 岩本ナオからもらった感涙のメッセージ
Sho-Comi編集部で4年間経験を積んだのちに月刊flowers編集部に異動となった永田氏は、今年で在籍13年目。同誌での担当作に関して印象的だったことを聞くと、長く担当していた岩本ナオの名前をまず挙げてくれた。

「『町でうわさの天狗の子』を9巻あたりから担当させていただくことになり、その後の『金の国 水の国』『マロニエ王国の七人の騎士』と、岩本先生が大きく羽ばたかれる瞬間に立ち会わせていただけたのがすごく大きいです。もちろん私が担当になった時点で、『天狗の子』で小学館漫画賞を受賞されていたりと確固たるキャリアを築いていらっしゃったのですが、そこに続く作品でさらに花開く瞬間にご一緒できたのは光栄でした」

2004年デビューの岩本は、2007年に月刊flowersで連載を開始した「町でうわさの天狗の子」で人気を博す。同作は、天狗と人間の間に生まれた娘・秋姫をヒロインに繰り広げられる“ヘンテコ青春ファンタジー”。天狗を信仰する田舎町を舞台にした、ちょっとだけ不思議でトボけた世界観は癖になるような味わいだ。2013年まで連載され、単行本は12巻で完結。岩本の代表作となった。

「読者が悶えてしまうような恋や慕情の豊かな表現はもちろん、ひとつの世界を生み出せるのが凄い。『天狗の子』も日常とファンタジーが混じった作品ですが、『金の国 水の国』ではさらに世界が広がっていきます。『金の国』を始めるときに、先生は『ファンタジーなら楽かなと思って』とおっしゃってたんですが、普通はどう考えてもファンタジーのほうが大変なんですよ(笑)。新人さんにも『ファンタジーは力がつくまでやめておけ』と言うことも多いんですが……。続く『マロニエ』でも、1話のネームがすっ……と届くんです。マンガ作りではプロットから組み立てることも多いのですが、岩本先生の場合はかなり仕上がった形でネームが届くので驚きます」

そう言って永田氏が見せてくれたネームのコピーは、単行本に収録されたものとほぼ内容が変わらない、完成度の高いもので驚いた。絵もかなり描き込まれている。

「『マロニエ』について、先生、初めは『読み切りで』とおっしゃってたのですが、いやいや読み切りで終わるキャラと世界ではないでしょうと(笑)。1話の時点で、このキャラクターたちをずっと見ていたいと思わせる力がある。岩本先生の中でひとつの世界ができあがっていて、素晴らしいですよね。

普通はプロットを作ってからネームに入る方も多いと思うのですが、先生はいきなり頭からネームを描きだして、どんどんできあがってくるんですよ。『天狗の子』もそうでした。以前、ファミレスでネームを描かれているところを目の前で拝見したんですが、真っ白い紙にキャラクターや世界が鉛筆一本で生き生きと生み出される。よく最後にページ数の帳尻を合わせられるなとも思うのですが、世界がすでに頭の中にあって、それをマンガという形で紙に落とし込んでいる。天才だと思いますし、それ以上に『前よりもいいものを、より面白いものを』と地道な努力をこつこつと積み上げる姿勢を尊敬しています。ファンタジーといっても、丹念な取材や膨大な資料を調べ上げたうえでマンガ表現に変換されているんです。一緒にフランスとスペインに取材に行った時も現地で大量の資料を購入されていましたし、ご自宅で壁一面に貼られている設定や膨大な資料の山にはいつも驚きます」

岩本作品では重層的な設定が自然に調和していることに驚嘆することが多いが、それが全部頭の中に詰まっていて、魔法のように紙の上に紡ぎ出される。永田氏は、岩本のすごさを語りだすと止まらない。

「岩本先生はコマ割りが唯一無二で、言葉がないシーンでも、言葉よりも強くキャラクターの感情が伝わってくる。小説でもアニメでもなく、マンガでないと表現できないことを描いていると思います。先生が羽ばたかれる時期に伴走させていただけたのが幸せでした」

現在連載中の「マロニエ王国の七人の騎士」は、ヨーロッパ中世を思わせるマロニエ王国を舞台に、7人の個性的な兄弟騎士たちが活躍する物語。「金の国」同様、まるで昔から語り継がれている壮大なおとぎ話が、美麗で精密な挿絵とともに、茶目っ気たっぷりの落語で語られているような錯覚に陥る、岩本ワールド全開のお話だ。

「『マロニエ』が7巻くらいの時に『金の国 水の国』がアニメーション映画になって、『金の国 水の国 スペシャル版』を刊行したところで担当を後輩に引き継いだのですが、そのときに岩本先生から頂いたメッセージが忘れられません」

その内容を、岩本の許可をとって掲載したい。

「天狗の子」が終わった後に1年描かなかったのに、そこからやる気を出させてくれてありがとうございました。ほんとに永田さんがいなかったら、この作品(注:「金の国 水の国」)が世に出ることはなかったと思います。永田さんはいつも仕事熱心で内容よりも作家のやる気の方を大事に考えてくれていて、多分ご自分で思ってるより素晴らしい編集者だと思います。私もまだまだ仕事がなくならないように頑張りますので、いつかまた一緒に新しい作品を作れたらと思います。スペシャル版もすごく装丁が素敵で、たくさんサインしていろんな方に献本させていただきますね。「金の国」は永田さんの作品ですので誇っていただけたらありがたいです。敬愛する作家にこんな熱いメッセージをもらうことができたなら、ある意味、編集者人生“アガリ”かもしれない──そんなことまで感じさせる内容である。そういえば以前、田村由美と永田氏の対談企画でも、田村が「やる気を削がずに前へ前へ走らせてくださった」担当の1人だと、永田氏について語っていたことを思い出した。

「いやもう、泣いてしまいましたね……。岩本先生はこう言ってくださるんですが、私は何かすごいアイデアを出したわけでもないし、何がよかったのかは自分ではわからないんですが、先生のお力になれたのなら編集冥利に尽きるなと思います」

■ 「100%の原稿より締切を守る」さいとうちほのすごさ
続いて、2012年から2018年まで連載していたさいとうちほの「とりかえ・ばや」は、最初から最後まで担当できた印象的な作品だったという。

「マンガ編集者は会社員なので異動も多いし、異動がなくても編集部内の担当替えはよくあります。なので、意外と長期連載作品を最初から最後まで担当できることは少ないんです。『とりかえ・ばや』は、1話目の原稿を受け取るときにさいとう先生にご挨拶して前担当から引き継ぎました。そこから最終巻の14巻までご一緒できたのは初めての経験でした」

現在、「とりかえ・ばや」「輝夜伝」に続く平安三部作の最後を飾る作品「緋のつがい」を連載中のさいとう。平家が支配する世界で、源氏一族の姫・瑠璃と、“紅い目の鬼”の出会いが巻き起こす愛と呪いの波乱万丈を描いた、禁断の異類婚姻譚だ。さいとうについてもまた、作家としての魅力は語り尽くせないという。

「さいとう先生といえば『円舞曲は白いドレスで』や『花冠のマドンナ』などの名作はもちろん、『少女革命ウテナ』で幾原邦彦監督達と一緒に新しい表現に挑戦されていたのもすごかったですよね。今日のインタビューの質問リストに『天才を実感した瞬間は?』という項目がありましたが、さいとう先生で言うと、『私、100%で原稿を出したことないわ。締め切りが来るから、いつも70〜80%で出してるの』とおっしゃっていて。こちらとしては、『あの美麗な原稿で!?』と驚きます。先生はデビュー以来、締め切りを破ったことも休載されたことも一度もないんですよ。プロだなと思います。

もちろん、『どんなに時間をかけてでも、最後までこだわり抜いて描くのがプロ』という考え方もあると思うのですが、さいとう先生はきちんと締め切りまでにベストの原稿を完成させてくださる。そして心底プロの商業作家だと感じるのは、自分が描きたいものも当然あると思うのですが、それ以上に、どうやったら読者さんが喜んでくれるか、読者さんが何を読みたいのかを一番に考えているところ。サービス精神旺盛なエンターテイナーだからこそ、40年以上もの間読者に愛されて、第一線で描き続けてらっしゃるんだと思います」

クリエイターやアーティストであれば、常に自分の「100%の作品」を追い求めたい気持ちはあって当然だ。だが、自分で設定しない限りものづくりに明確な答えはないし、「完璧な作品」は本質的には締め切りという概念と矛盾するのではないだろうか。そうした意味で、「いつも70〜80%」で絶対に締め切りを守るさいとうの姿勢は、商業作家の鏡であり、痺れるほどカッコいいと思う。1982年のデビュー以来、これぞ少女マンガ!という美しい絵とエンタメ満載の大胆な作風で、ファンを魅了し続けているさいとうのすさまじさ。締め切りと完成度への考えは職種を問わずお手本にしたいが、これも「70〜80%」がものすごいクオリティだからこそ成立する信念であるのは間違いない。

「ご本人の努力の賜物だとも思うのですが、少女マンガの大きな武器である“華”をお持ちの方です。これは、どれだけ皆が欲しがっていてもなかなか手に入れられないもの。いつも読者に美しい夢と恋と冒険を見せてくださる、少女マンガのひとつの完成形だと思います」

■ 担当編集が語る「ミステリと言う勿れ」の魅力
担当する作家へのリスペクトが止まらない永田氏。さて、永田氏が田村由美の「7SEEDS」後半を担当した後、再び5巻から担当した「ミステリと言う勿れ」は、筆者も個人的に大好きで、新刊が出る前日と出た当日は、胸がバラ色に染まったような最高の気分で過ごせる稀有な作品だ。2018年に1巻が発売された時点ですでに、マンガ好きの間ではものすごく面白いと話題が沸騰していたが、2022年に第67回小学館漫画賞(一般向け部門)を受賞し、同年に菅田将暉主演でTVドラマ化されるなどもして、作品人気はいよいよ国民的なものとなった。永田氏いわく、「ドラマ前に900万部以上売れていて、映像化する前にこんなに売れるのは小学館で初めてではないか?くらいの勢いだった」というから、異例さがうかがえる。

幅広い読者から熱い支持を受けている印象のある同作だが、同作が社会に広く支持された理由の1つは、主人公である整の「言葉」にあると、永田氏は分析する。

「『ミステリ』が一気に広がったのは2020年のコロナによる緊急事態宣言が出た頃なんです。宣言は4月に出て5月半ばぐらいに解除されたのですが、読者の方が書店に行けない時期に電子書籍で爆発的に売れたんです。それで緊急事態宣言が明けたら電子で読んだ人が紙のコミックスを買いに走って店頭からなくなり、書店さんから注文が殺到しました。

当時、みんなすごく不安だったと思うんです。不安なときって弱者にしわ寄せが行く。多くの企業が在宅勤務に切り替わったことで、家庭内暴力や子供への虐待が増えたというニュースもあり、煮詰まった空気があった。そんな中、整くんの言葉は女性や子供、男性でも苦しい思いをしている方など、すごく弱者に寄り添うもので、当時の読者の弱った心や不安に沁みたのでは思います。先ほど話したように、『ミステリ』は電子書籍を買った人が紙も買ってくれるパターンがすごく多いのが特徴なんです。電子版はストーリーを追うにはいいのですが、折に触れて紙版で自分の好きなページを開いて整くんの言葉を読み返したいからなのではと思っています」

売れ方も異例づくしだが、確かに「ミステリ」1巻が出たときに読んで感じたのは、複雑な要素が絡み合った、読んだことのない読後感の作品だということだった。決してコミュニケーション強者ではないが、出会う人の言葉や挙動を聞き逃さず見逃さず、ふとした違和感から隠された真実に迫ろうとする主人公・久能整。事件の結末は、いつも予測不能な斜め上から訪れ、「ミステリと言う勿れ」とタイトルで謙遜する必要を感じないほど新しい感覚をもたらしてくれるミステリであり、ヒューマンドラマである。1983年にデビューし、「BASARA」や「7SEEDS」でメガヒットを経験しながら、ここにきてまだ誰も見たことのない大輪の花を咲かせられる田村を、心の底から尊敬する。

「絵や演出はもちろんですが、田村先生が特にこだわられているのがセリフ。考えに考えていらっしゃって、ネームから下絵でセリフがガラッと変わったり、下絵から完成原稿でまた変わったりもする。原稿アップの後にも電話がかかってきて、『やっぱりこっちのセリフにしてください』と変えることもあり、そして変更後の方がさらに面白くなってるんです。あと、先生はインプットの量も観察力もすごいんです。あらゆるジャンルの書籍や映像にも触れてらっしゃるし、普段でも『永田さん、10年前に◯◯って言ってましたよね』『あのときに××が□□をして永田さんは△△でしたよね』といった細かい情景まで覚えてらっしゃるので、びっくりします(笑)」

インプット量と観察力、記憶力は、整を地で行くような田村。整のキャラには不思議と読む人を癒す力があると感じており、人生全部ハッピー!というわけではないのだが、過去の傷を抱えつつも自分の機嫌をとりながら楽しんで生きていく様子がかわいらしく、読むたびに真似したいと思う。

「先生もおっしゃっていますが、整くん自身がまだ大学生で発展途上なので、間違えることも、先入観や偏見で喋ってしまうこともある。だけど、『自分も間違ってるかもしれない』という自覚があって、間違っていたらそれを認めて『間違いました』と言える人なので、言えてよかったねと思いながら見守っています。人と交わって、少しずつ変わっていく彼自身の成長も見られるのが素敵ですよね」

■ 田村由美は「常に想像を超えてくる」
さらに、田村の有能さを象徴するエピソードを語ってくれた。

「田村先生には編集部からお願いして『flowersまんが教室』を何度かやっていただいたことがあります。これは新人マンガ家さんやマンガ家を目指す方々に向けて作家さんが特別講義を行うイベントです。2019年8月の回では、開催日前日、会場で展示する田村先生の原画をお預かりにご自宅に伺ったところ、『こんなの作ってみました』と、参加者に配るレジュメを突然見せてくださって。まんが教室のために、先生がデザインまで全部組まれた完璧な講義資料を十数ページも作ってくださってたんです(『田村由美デビュー40周年記念本 KALEIDOSCOPE』に『フラワーズ まんが教室 レジュメ』として収録)。コマ割りのよい例・悪い例、情緒を大事にするにはどう演出するか?など盛りだくさんの内容で、イベント当日はマンガ家さんだけでなくて小学館の若手編集者も多く参加しました。

当初は参加者の事前質問にトークで答えていただくことだけを依頼していたのですが、先生の何事にも手を抜かずに全力で向かう姿勢が現れていますよね。それから先生は、20名以上の参加者全員の原稿を見たいということで、それぞれの作品を事前に読み込んで、イベント当日に若手マンガ家さん1人ひとりに出張編集部のようにじっくりお話をされていました。それはもう何時間も。先生があまりにもパワフルすぎて驚愕した思い出です」

田村由美、カッコよすぎて語彙を失う。「記念本」に収録されたレジュメを見ると、実に12ページにわたって、「プロットは簡潔に3行で書けるぐらいでないとだめ」「すべてのページを同じペースでめくられないようにする」など、創作上のHOW TOはもちろん、マンガ家として生活するための非常に実用的なコツが微に入り細を穿ち展開されていて、正直、マンガ家でなくともライター・編集者である筆者にとってもものすごく参考になった。マンガ家以外の田村はあり得ないのだが、もし別の世界線でマンガとはまったく関係ない仕事に就いていたとしても、大成功を収めるに違いない。

「田村先生は常にこちらの想像を超えてくる。それは作品にも現れていますが、普通こうするだろうというところを、予想もしない形でドーンと出してこられる。そして情熱家でありながら、ちゃんとご自身を客観視する冷静さもある方です。情熱の炎と冷静さの氷、両輪を備えた方で、本当にすごいと思います」

■ 「立ち上げ担当なんて言えない」の真意
とにかく、作家への賛辞を惜しまない永田氏の基本姿勢は、「自分が立ち上げ担当なんて言えない」という、インタビュー中に筆者が一番衝撃を受けた言葉にも詰まっているように感じる。

「作家さんには、うまくいったら作家さんのおかげで、失敗したら編集のせいぐらいのスタンスでいてほしいと思います。私は、『◯◯の立ち上げ担当です』とは絶対に言えなくて。責任逃れではなく、先生が立ち上げた作品に立ち合わせていただいたという感覚です。もちろん新連載に向けてアイデアを出したり、繰り返し打ち合せや取材をしたりということはありますが、あくまで編集は黒子であって、当たり前ですが作家さんが一番なんです。

もちろんいろいろなタイプの編集者がいていいと思うし、天才的なスター編集者が自分で仕掛けて作品を起こして……というのもひとつの形ですが、私の場合は自己顕示欲が混ざってしまいそうで、なかなか言えないですね」

何をおいても作家を一番に立てる。この徹底した姿勢こそ、多くのマンガ家が永田氏を心から信頼する所以なのかもしれないと感じた。そんな永田氏が、作家のよさを引き出すために、会話ややりとりの中で編集者として心がけていることも興味深い。

「基本は、相手が言っていることを否定しない。作家さんの感性と自分の感性は違うものなので、まずは作家さんが大事にしているものを一度受け止めて、信頼関係を作ってからお話しするようにしています。

絹田村子先生が『数字であそぼ。』で小学館漫画賞を受賞されたとき、すごく素敵な受賞コメントをされていたんです。数学の世界のような、多くの人はあまり知らない世界でも、そこにいる人たちの価値観を少しでもマンガで表せたら、『自分とは違うものを大切にしている人がいる』ということを理解するきっかけになるのでは、と。(参考:やっぱり私はマンガが大好き!受賞者・審査員の思い弾けた小学館漫画賞の贈呈式)。この、『自分とは違うものを大切にしている人がいる』というのは、常に肝に銘じたいと思っています。

私にはピンと来なくても、作家さんにとって大切なことは千差万別でたくさんあるので、それを見落とさないように、自分の感覚だけでジャッジして取りこぼさないようにしたいと思っています。できているか分からないし、見落としていることもいっぱいあると思うのですが。あとは逆に、ベテランのマンガ家さんに対してであってもイエスマンにならないこと。相手との関係を悪くしたくなくて『いいですね!』と言うのは簡単ですが、そうやって言い続けているうちに作品の人気がなくなって売り上げが落ちるのが一番ダメなパターンなので、そこも気を付けています」

■ 吉野朔実の最後の原稿
事もなげに語ってくれるが、編集者としてとても難しいことをやってのけている永田氏。インタビュー当日、机の上には永田氏がこれまで担当した作品や資料を用意して待っていてくれたのだが、見逃せない作品があったので記しておきたい。2016年にこの世を去った吉野朔実の、最後の読み切りとなった表題作を含んだ作品集『いつか緑の花束に』。吉野の直接の担当は編集プロダクションであるR社が担当し、編集部の窓口担当が異動したことに伴い、永田氏が引き継ぐことになった。

「『いつか緑の花束に』という最後の読み切りを掲載した月刊flowersの発売日直前に訃報が届きました。その後、編集部の窓口担当だった先輩編集者の異動に伴い、私がこの作品集を作ることになりました。なので私自身は吉野先生とは直接お会いしたことはないんです。

それでも、先生のご自宅に伺い、壁一杯に積まれた何十箱もの段ボールに詰まった原稿や、これから描こうと思われていたであろうネームを拝見すると、吉野先生の創作への情熱がひしひしと伝わってきました。『MOTHER』続編のネームは、ご遺族がネームの掲載をご了承くださったので、そのまま収録させていただきました。鉛筆で描かれたネームだけでも、吉野先生の描こうとされた物語を読者の方に感じていただけたのではと思っています。カバーは、もともと作品の予告カットだったものをデザイナーさんが素敵に仕上げてくださいました」

「MOTHER」とその続編のネームを読むと、吉野がこれまでにないスケールで本格的なSFに取り組もうとしていたこと、まだまだ壮大な展開が控えていたことがひしひしと感じられる。急逝が惜しまれるが、時間が経ってもまったく色褪せない名作がたくさんあるので、せめて繰り返し噛み締めたい。筆者個人としては特に、「記憶の技法」「グールドを聴きながら」「透明人間の失踪」「瞳子」「恋愛的瞬間」はいずれも、読む者の時を止め、心に不思議な彩りの花を咲かせてくれる傑作だと感じる。読書家の吉野が「本の雑誌」などで連載していたエッセイシリーズも滋味深い。吉野から教えられた文物や価値観を、まだ咀嚼している人生だ。

■ 月刊flowersのファンタジー少女マンガを受け継ぐ作家たち
さて 月刊flowersと言えば、前身となる雑誌プチフラワーも含めて、少女マンガのエッセンスが色濃く詰まった名作ファンタジーやSFマンガが誕生する雑誌というイメージを持つ読者も多いのではないだろうか。先の話題に出た岩本ナオ作品はもちろん、萩尾望都「ポーの一族」に「バルバラ異界」、さいとうちほ「輝夜伝」「とりかえ・ばや」、吉田秋生「イヴの眠り」、田村由美「7SEEDS」など。個人的には、その流れを引き継いでいる若手作家の1人が、永田氏が担当している谷和野である。2010年にデビューし、代表作に「魔法自家発電」「オープンクロゼット」など。現在は月刊flowersで「終の花嫁」を連載中の谷は、少し前のヨーロッパ風の世界を舞台にした作品が得意で、美麗な絵で紡がれる、少しひんやりとした幻想的なストーリーの名手だ。

「谷先生も本当に天才だと思います。『よくこんな物語を思いつきますね!?』といつも驚愕します。彼女の目には、この世界がどんな風に見えているのかをもっと知りたいと思ってしまう。もともとは小学館全体のマンガ賞である新人コミック大賞に応募されていました。ちょうど私がSho-Comiで水波風南先生を担当しているときに先生がマンガ賞の審査員を務めていて、先生が絶賛されていた受賞者が谷さんでした。いろいろな読み切りを描いてもらっているうちに彼女の中にあるすごく広くて深い世界が見えてきて、連載を始めることになりました」

連載中の「終の花嫁」は、例えば萩尾望都が描くヨーロッパ系のファンタジーが大好きで、テイストの合う作品をもっと読みたい人にはおすすめしたい。谷自身も、萩尾作品が大好きだという。そして、個人的にはさらにその系譜に連なるように思える空木帆子(ウツギホコ)も、永田氏がプッシュしたい作家だ。2015年にデビューした空木は、24年組の描く寮生活サスペンスを彷彿とさせる「尖塔の鳥」や、友人たちがだんだんと屋敷の家具になっていくという、安部公房風の不条理ショートを思わせる「おもてなし」(月刊flowers2024年10月号に掲載の短編)など、やはり少し硬質なファンタジーやサスペンスを得意としている。

「空木先生も絵のセンスがすごくあって、コマ割りも演出のオリジナリティもすごい。ご本人も緻密な画面を描くのが楽しいらしく、アシスタントを使わずに全部1人で細かい建築物や衣装を職人のように描き続けています。かわいらしい動物のお話や中世の魔法にかかったお姫様を描いたと思えば、女子校の友達が少しずつガラスみたいにひび割れてきて、ある日突然カシャーン!と割れてしまう──みたいな、不条理ものっぽい短編も描く。すごく自分の世界を持っていて、次世代の天才だと思っています」

■ 「担当編集は代替可能である」という状態がいい
さいとうちほや田村由美など、キャリアの長い作家の担当も経験する永田氏に、作家のモチベーションを保つ方法、さらには、作家が息長く、心身ともに健康に良作を生み出し続けるために、編集ができることを聞いてみた。

「私はflowersでは雑誌の表紙作成を担当しているので、イラストをいろいろな先生に依頼するんです。flowersに来て日が浅い頃、あるベテランの先生に依頼して描いていただいたものがめちゃくちゃよかったので、電話で『最高です! なんですかこの表紙!』と興奮して感想を伝えたら、後でメールをいただきました。その先生はとてもキャリアが長い方なのですが、『あんなにストレートに褒めてもらえたことは初めて。少女マンガ編集っぽくていいわよね』って。

意外とそうしたベテランの先生でもストレートに感想をもらうことってないのだと驚きました。褒めればいいということではないのですが、よかったと思ったときは率直に伝えたほうがいい気がします。ただ、それだけではなく、合わせて何がよかったのかを細分化して言語化する。ここの手の角度最高ですとか、このコマの表情がいいとか、このページが泣けたとか。より具体的に言ったほうが自分の感動も伝わるし、相手の心に届くなとは思っています」

ダイレクトに心のまま伝えることと、具体性。マクロとミクロの二本立てということだ。さらに、編集者と作家のあるべき関係や、陥りがちな関係性についても、経験則を語ってくれた。

「作家と編集者は、女性同士だと友達になる危うさもあるなと。男性同士や同年代の場合でもそうかもですが。それでポンポン会話が進んで盛り上がることもあると思うのですが、そこからいい作品が生まれるかというとまた別の話で。編集者は友達でもマネージャーでもなくでマンガ家さんの力になるための仕事相手なので、ある程度距離感は取っておかないと、なあなあになる危険性があります。

作家さんによってはお互いにプライベートに入り込むこともありますが、親しき中にも礼儀ありというか、仕事であるという部分には自覚的でなければいけないと思います。私たちは先生方と一蓮托生できるわけではないし、数年で担当も変わってしまうので。もちろん、作家さんと編集の組み合わせによるので色々な関係性があっていいと思うのですが……」

確かに、編集者と作家が家族のような関係であればあるほど、トラブルの際に回復不能なほどこじれてしまう例も見てきた。

「蜜月のときはすごくうまくいくけど、関係性が一度こじれると本当に別れ話みたいになるのはよくない。だから、私は『あなたが担当じゃないと描けない』という状態は共依存のようであまり健全でないと思っていて。それに個人対個人で付き合っているという意識になると、仮に担当と合わなかった時に作家さんが辛くなると思うんです。それよりは、『誰が担当になってもあなたを編集部全体/会社全体としてバックアップします』というのが、持続可能で安定した形だと思います。会社員の編集者は異動もあるし、病気などでいつ休むことになるかもわからないので、いい意味で『担当編集は代替可能である』という状態がいいと思います」

■ 何の仕事をするかは、何に命を使うかと同義だから
前職も含め、19年間編集職を続けている永田氏。少女マンガを長年見つめていて、「根っこの部分はあまり変わっていない」と感じるという。

「数十年前の名作が今も電子書籍で売れるように、読者が気持ちいい、面白いと思う部分はそれほど変わっていないと思います。先日、萩尾望都先生の『半神』という16ページの短編も無料公開をきっかけにSNSで話題になり、大きくバズったんです。マンガ読みには当たり前の名作でも、今の若い読者達が強い感銘をうけて口コミで広がった。ほかにも、主人公が溺愛される“愛され系”は少女マンガジャンルでは昔から人気ですし、流行の異世界ものも、『ふしぎ遊戯』(渡瀬悠宇)や『彼方から』(ひかわきょうこ)で描かれていたものとルーツは同じですよね。

ただ、今はとにかく展開の速さが求められる。そこは昔と変わりました。ドラマでもマンガでも、1巻どころか1話で面白くなかったらもう読まれなくなる。新人さんの作品もインパクト勝負になっている空気は感じます。一方で、月刊flowersには大河のような作品も多くあり、インスタントな楽しみだけではない、ずっと人生に寄り添える作品も載っているのは強みだと思います」

いわばコンテンツ戦国時代だが、生き馬の目を抜くような入れ替わりの激しいエンタメ界も、スイスイと涼しい顔で泳いでいる風情のある永田氏。そんな永田氏に聞いてみたいのは、「医者ではなく、少女マンガの編集者になってよかったと思えるのは?」。

「ありきたりの回答ですが、何をやっても仕事につながるところですね。旅行していても映画を観ても、プライベートの出来事も全部が仕事に活きる。さらに、雑誌や作品の感想をお手紙やネットで読むと、自分一人で生きていたら絶対に出会えないであろう多くの方達に、楽しみをお届けするお手伝いができたことがただ嬉しいです。自分も、そんな誰かが生み出す仕事や作品に救われているので。全部回り回っているんだと思います。

医者の仕事もとてもやりがいがあったのですが、当時、仕事が終わった後にマンガを読んでいてもエンタメと割り切って消費することができなくて。これを仕事にしないとまずいと思ったんです。私は『時間は命』だと思っていて、何に時間を使うかは、すなわち自分の命を何に使うかだと思っています。仕事は否が応でも時間の多くを注ぐものなので、自分の時間を何に懸けるかというと、マンガしかないと思っていた。人生を全部マンガに懸けられるこの仕事に就けて、自分はすごくよかったと思います」

仕事は、何に時間を、命を使いたいかで選べ──まったく同意するところである。

インタビューが2時間に迫ろうとする頃、永田氏が今後編集者として叶えたい夢を教えてくれた。

「才能があってダイヤの原石であるマンガ家さんたちがブレイクするのを見届けたいと思っています。給水や声かけをしながらマラソンのように伴走して、ゴールテープを切るマンガ家さんの背中を見られたらいいですね」

■ 永田裕紀子(ナガタユキコ)
1979年、大分県生まれ。メディアワークス、スクウェア・エニックスなどを経て、2007年に小学館に入社。週刊ヤングサンデー、Sho-Comiに配属されたのち、現在、月刊flowers編集部の副編集長を務める。担当作品は「とりかえ・ばや」「ミステリと言う勿れ」「マロニエ王国の七人の騎士」「数字であそぼ。」など多数。

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