「今年に入ってからのご多忙ぶりで、かなりお疲れがたまっていたそうですが、無事に天皇陛下と愛子さまとご一緒に沖縄県ご訪問の日程を終えられて、側近や宮内庁幹部らも一様に安堵しています。7月上旬には国賓としてモンゴルを訪問される予定ですが、6月に入っても正式決定と発表がなされておらず、両陛下も心配されているようにお見受けしています」
こう語るのは宮内庁関係者。令和となり、国賓として3カ国目となる天皇陛下と雅子さまのモンゴルご訪問。フレルスフ大統領との会見や晩餐会、国民的祭典「ナーダム」への臨席、戦後旧ソ連によって抑留され同国で亡くなった日本人の慰霊碑にも足を運ばれるご予定が調整されている。
だが前出の宮内庁関係者は、その発表について“大幅な遅延”があると明かす。
「日程自体は7月6日から約1週間と予定されているのですが、1カ月前の6月6日になっても、閣議決定されなかったのです。平成のころは遅くとも3カ月前には閣議決定され、正式に公式訪問の日程が固まっていましたので、極めて異例といえます。
その原因の一つが、モンゴルの政情が不安定化しており、日本との調整が難航していたことです。両陛下が国賓として訪問される国でこうした事態が起きることは近年では珍しく、国際親善の歓迎ムードにも水を差されかねないと懸念する声も上がっているのです」
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実はモンゴルでは、先月中旬からオユーンエルデネ首相の辞任を求めるデモが連日繰り広げられていた。国民の猛反発から、6月3日、国会で信任決議案が否決され、オユーンエルデネ首相は退陣を余儀なくされたのだ。
「首相の息子と婚約者によるぜいたくな生活ぶりが次々と明るみに出て、国民の怒りが沸騰。国内メディアも“豪遊の原資が不明”などとも報じ、辞任に追い込まれた形となりました。また一連の騒動で、オユーンエルデネ氏を党首とする与党のモンゴル人民党と第二党の民主党との連立も解消されることとなり、政局が大混乱をきたしているのです」(全国紙国際部デスク)
冷戦以降も旧社会主義国としてロシアの影響が強かったモンゴル。モンゴル政治に詳しい拓殖大学北海道短期大学副学長の小林秀高教授は、その背景をこう解説する。
「ロシアに留学してきたこれまでのモンゴルのエリート層と異なり、オユーンエルデネ氏は米国・ハーバード大学で学び、反汚職を掲げて支持を集めてきました。それだけに国民の反発も余計大きくなってしまったと思われます。
1992年に社会主義から共和制に移行したものの、政情は安定しているとは言い難い状況が続いてきました。現在では高いインフレ率や失業率、環境汚染、貧富の格差といった社会問題を抱えており、オユーンエルデネ氏が退陣に追い込まれたのも、こうした背景があるからといえるでしょう」
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■信頼される実妹のレクチャーが力に
訪問するモンゴルの国民に動揺が広がり、暗雲が立ち込めている両陛下によるご訪問。しかしこの“緊急事態”に際し、雅子さまには心強い援軍が控えていた。その人物とは、ご療養に入られた際も、高齢のご両親の生活への支援もと、さまざまな面で雅子さまをサポートし続けてきた実妹の池田礼子さん(58)だ。
礼子さんは、国際連合児童基金(ユニセフ)やニューヨークの国連本部などで国際公務員として活躍、現在では日本ユニセフ協会のアドバイザーを務めている。小和田家の知人はこう明かす。
「礼子さんは1994年にユニセフの北京事務所の職員になりましたが、当時民主化して間もないモンゴルに開発支援のために、たびたび足を運んでいたのです。
今より社会情勢がより不安定で、仕事をするにも大変な困難があったはずです。それでも礼子さんは、モンゴルの人々の力になりたいと思い、懸命に同国での仕事に携わっていたのでしょう。こうした思いには雅子さまもずっと共感されていたと思います」
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今も強く結ばれている姉妹の絆。前出の宮内庁関係者は、
「それぞれ多忙な立場ですが、モンゴルの人々の心の機微など、現地でしか経験できないことについて、雅子さまは礼子さんからレクチャーを受けているそうです。礼子さんのサポートがあれば、雅子さまは“どんな困難でも乗り越えられる”と、安心してご訪問に向けた準備を進められることでしょう」
最愛妹の力強い助力を受けながら、雅子さまは雄大なモンゴルの地へと旅立たれる。
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