【今回の中谷は「粗い部分が気になった」】
「ジュント、いい仕事をしたな! 31連勝で3階級制覇、バンタムで2冠。順調にキャリアを重ねている。ナオヤ・イノウエとのファイトに向け、着々と進んでいる感じだ」
近代アメリカ最初の首都、ペンシルバニア州フィラデルフィアで1957年12月27日に誕生した元世界ヘビー級チャンピオン、ティム・ウィザスプーンはそう語った。WBCバンタム級チャンピオンの中谷潤人が、西田凌佑を6ラウンド終了TKOに追い込み、IBF同級王座を獲得してから、およそ11時間後の会話である。
「対戦相手のIBF王者もいいモノを持っていた。だが、ジュントに勝つには技術、経験値ともに足りなかった。キャリアの差が大きく出てしまったな。あと5戦くらいやっていれば、もう少しいいパフォーマンスができたかもしれない。プロ10戦であそこまでやれた、という見方をすることも可能だが」
1984年にWBC、1986年にWBAの最重量級王座に就いたウィザスプーンは、黒縁の老眼鏡を外すと言葉を続けた。
「チャンピオンvs.チャンピオンということで、ジュントはちょっと緊張していたんじゃないか。『絶対に相手をノックアウトしてやる』という気持ちが強かった。"モンスター"イノウエ戦に向けて、『アピールしなければ』という思いもあっただろう。でも、俺の考えでは、あんなに序盤からノックアウトにこだわらなくても、もっとリラックスして戦ったほうがKOに結びついたよ。ジュントが自分の実力を発揮しさえすれば、間違いなく相手を倒してIBFタイトルも手にできたはずだ。
|
|
あえて言う。俺は今回、ジュントの粗い部分が気になった。肩に力が入っていると疲労するんだ。彼の勝利について水をさす気はないけれど、あの戦いぶりは今後の彼に問題を引き起こすかもしれない。今は調子がいいし、見ばえもいい。コンビネーションも評価する。中にはぎこちなく感じたものもあったが、効果はあった。
でも、もう少し戦い方に磨きをかける必要がある。3、4ラウンドは相手がポイントを取ったよな。本来のジュントなら、すべてのラウンドを自分のものにしていたはずだ。俺には大振りが目に留まった。どうしたって、ボクサーは試合中に何発か空振りしてしまう。でも、パンチが流れた後、体勢を戻すことが肝心だ。打った後のバランスやガード、あるいは相手のパンチへのブロックに改善の余地があると感じた」
【井上戦の「勝利のカギ」は?】
元世界ヘビー級チャンプは、中谷と西田の身長とリーチを確認した上でこう話した。
「昨夜のジュントはパワフルだった。接近戦を選択したが、クロスレンジで戦うのであればスリッピングを使うべきだ。そう、フィラデルフィアを有名にしたジョー・フレージャーの代名詞さ。モハメド・アリがプロで初めて土をつけられた試合でも、フレージャーのスリップは有効だった。
ヘビー級として背が低かった(181cm)フレージャーは、相手の懐に入らなければファイトにならなかった。自慢の左フックをヒットできないからな。スリップしながら中に入るのが彼の第一歩だった。あれを習得したからこそ、フレージャーは伝説の世界ヘビー級チャンプになれたんだ。俺もマネをして練習を積んだもんだよ。本当に何度も何度もやって、体に染み込ませた。
|
|
ただ、ジュントの場合は体型を生かし、距離を取った戦いをしてもよかったと俺は思う。あくまでも私見だけど......。離れた距離で、外からのジャブ、ジャブ、そしてワンツー。さらにジャブ、左フック、右って調子で、フットワークをベースにした戦いさ。打ち合いよりもスタミナを失わないし、ジュントを生かせるように感じる。距離を取った戦いを極めてもいいんじゃないか」
リモート取材の画面越しに、ウィザスプーンはパンチを振るってみせ、やがて身を乗り出した。
「相手のバランスを崩してコンビネーションを繰り出すといういつものスタイルでも、ジュントはニシダを崩せただろう。あれだけのリーチがあるんだぜ。ジャブを完璧に打ち、ワンツー、右フック、そして左ストレートって調子でパンチを出し、ディフェンスをしっかり固める。そのほうが合っているように思える。
とにかく、ボクシングはディフェンスが大事だ。イノウエはニシダより速いし、間違いなくパンチもある。ほんのわずかなバランスの崩れや、ノーガードになった瞬間を突いてくるのは目に見えている。だからこそ、勝利のカギとなるのがディフェンスなんだよ。イノウエはジュントより背が低いが、階級を上げれば、今後、ジュントの相手は大きく、パンチも重くなる。絶対に食らっちゃいけない」
確かに、中谷自身も「3ラウンド、4ラウンドに少し西田選手のパンチをもらってしまったので、そこは反省しています」と統一戦を振り返っている。
|
|
【自身と比べる中谷の境遇】
「ボクシングってさ、リングで人間性が出るものなんだ。お前の勧めもあって、ここ数年、ジュントの試合映像は欠かさず目にしてきたけれど、真面目な男だってことがよくわかる。ボクシングに懸けている様子もね。
だいたい、英語もろくに話せない15歳の少年が、サウスセントラルに住み始めたこと自体驚きだよ。俺が育ったエリアも犯罪ばかりのひでぇ場所だったけれど、『強いボクサーになるんだ!』という志を胸に飛び込んだんだろう。俺みたいにゲットーで生まれたのなら選択肢はないが、ジュントは自ら進んでそういう環境に身を置いたのさ。正直、『ワォ!』って叫んじまうぜ。
加えて、何本ベルトを獲っても、次、次、と立ち止まらないところがいい。常に走り続けているよな。心から尊敬する。ジュントは本物の男だよ。ぜひ、彼の望む所に辿り着いてほしい」
ウィザスプーンの故郷、フィラデルフィアでは1776年にアメリカ合衆国独立宣言がなされ、今日、観光名所と化した「自由の鐘」が打ち鳴らされた。モダンな高層ビルと歴史を物語る奥ゆかしい建物が混在し、独特の趣がある。
こうしたアメリカ合衆国の主要都市では、繁栄の裏に貧困地域がある。ウィザスプーンも黒人貧民街の一角で育った。元世界ヘビー級チャンピオンが発した「ゲットー」での暮らしである。
3部屋しかない小さな借家で、両親と8人の子供が肌を寄せ合って生活した。父はトラックドライバー、母は心電図技師だった。「選択肢がなかった」とは、治安の悪い土地でサバイバルを余儀なくされたことを示す。第四子だったウィザスプーンは、ディフェンスに長けた選手だったため、45歳にして世界10傑に名を連ねたが、幼い頃から"セルフディフェンス"を覚えていたのかもしれない。
「ジュントにいつか会ってみたいね。ところで、彼が俺のように扱われることはあり得ないよな? 毎回、本人が納得した条件で試合にサインしているんだろう?」
今度は、こちらが質問された。
「俺のように」とは、プロモーターから搾取され続けた過去を指す。ドン・キングと契約していたウィザスプーンは、ファイトマネーのピンハネに泣かされた。多い時は、90パーセントをしぼり取られている。
闘うことへのモチベーションを失った彼は、WBC王座を初防衛戦で、WBAのベルトは2人目のチャレンジャーに奪われた。後にキングと法廷で争い、それでも食うため、子供を養うにはほかに稼ぐ方法がない、と45歳までリングに上がった。
中谷はWBOフライ級チャンピオン時代から統一戦を希望していたが、なかなかマッチメイクに恵まれなかった。今回、ようやく大舞台が用意された。そして、今や井上尚弥が名指しで対戦を呼び掛ける存在となった、そう私は答えた。
「なるほど。イノウエ戦、楽しみだな。ジュントが今回の試合で学習したことを、どう生かすかに期待したいね」
フィラデルフィアの北、ベンサレムで、2010年生まれの五女と生活する元ヘビー級チャンプは、微笑みながら言った。
3階級王者、4本目の世界タイトルを手にした中谷潤人は、メガ・マッチに向け、ギアを上げそうだ。