長嶋茂雄さんが志半ばで断念した“ドジャース入団”と、“悲願”を胸にした大谷翔平のロス五輪出場の可能性

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2025年06月11日 12:00  週刊女性PRIME

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2023年のWBCで日本を世界一へと導いた大谷翔平

 日本時間6月3日、大谷翔平はロサンゼルスの夜空に高く舞い上がった白球の行方を見つめ、何度もうなずいた。23号ホームラン。長嶋茂雄さんにささげる追悼アーチとなった。

長嶋さんが“やり残した夢”

「ドジャースの試合開始2時間前に長嶋さんの訃報が届きました。その1時間後に大谷選手はインスタグラムを更新しましたが、試合直前に投稿するのは異例。《心よりご冥福をお祈りいたします》という言葉とともに2025年3月に東京ドームで対面したときの写真などをアップしていました。その直後の試合でホームラン。大谷選手にも思うところがあったのかもしれません」(スポーツ紙記者、以下同)

 2人の初対面は大谷が日本ハムに所属していた2016年、『スポーツ報知』の対談だった。

「当時の大谷選手はスターへの階段を駆け上がっている途中。大谷選手は長嶋さんについて“あんなにオーラを感じさせる人はいなかった”と初めての対面を振り返っていました。そこからは度々会って食事などをしていたそうです」

 2人の英雄は、ある縁でつながっている。幻となったが、長嶋さんにもドジャース入りの話があった。

「1961年、ドジャースのキャンプ地のフロリダで巨人もキャンプを実施。そこでドジャースのオーナー、ウォルター・オマリーさんが長嶋さんのプレーを見て勧誘したんです。長嶋さんもメジャーに憧れがありましたが、巨人の正力松太郎オーナーが移籍に反対して、実現しませんでした」(スポーツライター、以下同)

 メジャー挑戦以外にも、長嶋さんには志半ばで断念せざるをえなかったことがある。

「2004年のアテネ五輪で日本代表監督に就任していましたが、五輪を前に脳梗塞で倒れました。それでも長嶋さんは“死んでもいい”とリハビリをしてアテネに行くつもりでしたが、周囲の説得で断念。オリンピックで指揮をとれなかったことが、かなり悔しかったようで“やり残した夢”と語っていました」

 野球は2008年の北京五輪を最後に正式種目から除外。2021年の東京五輪で復活して以来、2028年のロサンゼルス五輪で追加競技として実施される。

 大谷も「出たい気持ちはある」と出場に前向きだが、一方で課題も。

表彰台に立つ大谷選手を思うと興奮します

シーズンと重なるため、これまでメジャーリーガーが五輪に出場したことは一度もありません。ただ、2028年はロサンゼルスでの開催で、移動の負担がない。自国開催でアメリカも威信をかけて金メダルを狙うと思いますし、メジャーリーグ側が出場を許可するかもしれません」(前出・スポーツライター、以下同)

 ミスターも大谷が五輪で活躍するのを楽しみにしていた。

「五輪での野球復活が決まると“大谷翔平選手がいちばん高い表彰台に立つと思うと今から興奮します”と話して、金メダルを期待していました。長嶋さんが最後に公の場に姿を見せたのは3月15日、東京ドームでのドジャース対巨人の試合。医師の反対を押し切って大谷選手のところへ。長嶋さんは日の丸を背負うことを誇りに思っていました。五輪で果たせなかった夢を託したのかもしれません」

 人々を魅了するスターの系譜は受け継がれていく。
 

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